ルカ・パヴィチェヴィッチ

シーズン終了後、Bリーグでは活発な移籍が行われている。その中でも目立つ動きを見せたチームの代表格がサンロッカーズ渋谷だ。28勝32敗に終わり、2シーズン続けてチャンピオンシップ進出を逃す中、新シーズンでの巻き返しに向け、アルバルク東京で2度のリーグ制覇を達成したルカ・パヴィチェヴィッチを新ヘッドコーチに招聘した。世界標準の規律とインテンシティをBリーグに持ち込み、リーグ全体の底上げにも大きく貢献した名将が、どんな気持ちでSR渋谷を率いていくのかを聞いた。

「自宅で家族とのんびり過ごし、友人たちと旧交を温めました」

──2021-22シーズン終了後にA東京のヘッドコーチを退任されました。1年のブレイクを経て新天地としていろいろな選択肢があったと思いますが、SR渋谷を選んだ理由を教えてください。

日本での6年間という1つのサイクルを終えた後、次はヨーロッパのどこかでコーチをやるのが論理的な選択だと思っていました。しかし、サンロッカーズが私にオファーをくれたことで、考えを変える必要が出てきました。ヘッドコーチ就任の決め手となったのは、何よりもサンロッカーズの掲げる新しいミッションとコンセプトが、とてもやりがいのあるものだからです。

サンロッカーズは日立の下での長い歴史、伝統があります。今はセガサミーという新しいオーナー企業が素晴らしい熱意と大きな野望を持って、日本を代表するビッグクラブになることを目指しています。コーチとしてとても興味のあるプロジェクトです。少しの間、考えた後でこの素晴らしいチャレンジをするため日本に戻ることを決断しました。

──日本に戻ることに対して、周囲の反応を教えてください。日本は自宅から遠く離れた土地であり、驚かれたりしなかったですか。

家族は当初、私がヨーロッパに残ることを期待していたと思います。ただ、今は私の決断をサポートしてくれています。妻と2人の息子も日本のことは大好きです。私が日本の文化や人々に魅了されていることを知っていますからね。また、コロナ禍が過ぎ去ったことも日本行きを決めるにあたって大きな要因でした。コロナ禍の間は、物理的な意味だけでなく精神的にも距離が生まれてコミュニケーションを取るのが難しかったですが、現在は元に戻ってきています。

──現場から離れていたこの1年間、どんな生活を送っていたのか教えてください。

この1年間は私にとって休暇でした。自宅で家族とのんびり過ごし、友人たちと旧交を温めました。また、自宅は(セルビアの)ベオグラードにあるのですが、2022-23シーズンではここを拠点とする2チームがユーロリーグを戦っており、ヨーロッパバスケの様々なチャンピオン争いを楽しんで見ていました。

あらゆるリーグで戦うすべてのコーチはストレスを感じるものです。だからこそ、可能であれば4年とか6年を一つの区切りとして、1年の休みを取ったりリフレッシュするのは良いことです。ずっとコーチを続けていくのは本当にハードです。ただ、残念なことにコーチとは次の挑戦を自分の意思で決められないものです。だから、自分から1年の休養を選ぶのは賢い判断とは言い難いです。

ルカ・パヴィチェヴィッチ

「このチャレンジをポジティブな姿勢で受け入れています」

──今シーズンのBリーグの試合は見ていましたか。

Bリーグの試合については、友人である複数のコーチの皆さんの協力もあって見ていました。ただ、とても激しく、レベルの高いユーローリーグや地元チームのリーグ戦が始まると、そちらを優先してそこまでカバーはしていなかったです。NBAでは私たちセルビアの中心選手であるニコラ・ヨキッチが大活躍で、多くの友人たちは時差の関係で早朝からナゲッツの試合を見ていました。私はヨーロッパの試合を中心に見ていたので、そこまでヨキッチのプレーをずっと追い続けてはいなかったです。ただ、Bリーグもチャンピオンシップはしっかりと見ています。

──今シーズンのBリーグについてどんな印象を抱いたか教えてください。

まず、リーグ全体を見ると西地区の強さが目立ちました。島根スサノオマジックや広島ドラゴンフライズがチーム力を高め、すでに強い組織である琉球ゴールデンキングスと名古屋ダイヤモンドドルフィンズに大阪エヴェッサや京都ハンナリーズが加わることで、数年前は最もレベルが上だった東地区よりも競争力が高くなっています。サンロッカーズの所属する中地区ですが、今シーズンは残念なことに川崎ブレイブサンダース、信州ブレイブウォリアーズ、シーホース三河など故障者に苦しみ、本来の力を発揮できませんでした。新しいシーズンでは中地区のレベルが上がる余地がたくさんあり、来年はより激しい競争が繰り広げられるでしょう。

そして、Bリーグのシステムは他の国と比べると変わっています。NBAは例外として大抵の国では、すべてのチームが同じ相手と同じ試合数を戦ってプレーオフ進出チームを決めますが、Bリーグは違います。また、レギュラーシーズンの成績が下位のチームは、プレーオフになるとアウェーのみの戦いとなり、さらに連戦となります。このためすべてホームで戦った千葉ジェッツと琉球がファイナルに進出するのは予想通りと言える結果でした。

──ファイナルでは琉球が千葉Jを下して初優勝を果たしました。レギュラーシーズンの戦いぶりでは千葉Jの方が上回っていましたが、この結果についてはどのように見ていましたか。

ファイナルにおいて千葉Jの方がプレッシャーはあったと思います。何故なら千葉Jはレギュラーシーズンで最高勝率のリーグ記録を更新するなどBリーグを支配していたからです。ジョン・パトリックヘッドコーチの素晴らしい采配の下で天皇杯も制しており、下馬評では明らかに有利と見られていました。みんなから勝って当然と思われるのは理想的な状況ではなく、選手たちの精神面も難しいものだったと思います。ポシティブな意味で、恐れを持ちにくい状況だったかもしれないです。

一方で琉球は昨年にファイナルで敗れた雪辱を果たそうと危機感を持って戦えていました。琉球は素晴らしい組織を作り、自分たち独自のチームカルチャーを発展させてきました。その中でコーチダイ(桶谷大ヘッドコーチ)は、琉球の持つ大都市のチームを倒してやるというアイランドメンタリティーを熟知し、どのようにうまく活用すればいいかを分かっていました。そして琉球は選手のリクルーティングも素晴らしく、エナジーと勝利へのハングリー精神を持った選手たちが一つにまとまっていました。だから、私は琉球が千葉Jを上回ったことをサプライズとは言いません。

Bリーグには優れたコーチたちに率いられた素晴らしいチームがいます。彼らを相手に優勝を争うチームになることがどれだけ難しいことかは分かっていますが、日本に戻ってこられることにワクワクしています。このチャレンジをポジティブな姿勢で受け入れています。