文=三上太 写真=三上太、野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 渡嘉敷来夢(とかしき・らむ)
1991年6月11日生まれ、埼玉県出身。193cmの長身ながら、走って跳べる運動神経抜群のエース。Wリーグでは『女王』JX-ENEOSサンフラワーズの主力として活躍。また日本人3人目のWNBAプレーヤーとして、2年連続でシアトルストームでのプレーを経験した。昨年のリオ・オリンピックでは攻守にフル回転して日本代表のベスト8進出に大きく貢献した。愛称はタク。

走り高跳びで全国優勝、バスケ部への入部は「ノリ」で

幼い頃から身体を動かすことがすごく好きで、2歳上の兄の影響で空手をやったり、スポーツクラブに入ったり、野球もしていました。親としては兄に運動をさせようとクラブに入れたのに、なぜか私のほうが張り切っていましたね(笑)。

小学4年と6年の時には、週に1回、学校のクラブ活動でバスケット部に所属していました。でも身体を動かしたいっていう理由と、仲の良い友だちがバスケットにするって言うから「じゃあ自分も」という感じで、本格的にやっていたわけではありません。バスケットを始めたのは中学に入ってからです。

小学6年生の時には、走り高跳びで全国優勝しました。4年生で初めて競技会に出たんですけど、2年連続で地区大会2位だったので、次の大会には進めませんでした。6年生で初めて地区大会を突破したら、そのまま全国優勝。決して本格的にやっていたわけじゃなくて、身体の大きさを生かした感じですかね。

だから中学に入って部活動を決める時には陸上部も選択肢の一つだったんです。でも本格的に走り高跳びをしようと思うと、背面跳びになりますよね。それが怖くてやめました。小学生は挟み跳びだったから。バレー部も頭のなかにあったんですけど、ジャージの裾を短パンのなかに入れなきゃいけなくて、それが自分としてはカッコ悪いと許せなかった……(笑)。それでバレー部もなくなった。

バスケット部には、途中で辞めているけど兄がいたし、仲の良い友だちも入ると言うので、自分もノリでバスケット部に入りました。ただ当時は本気でバスケットを続けるとは思ってもいなかったし、もちろん今の自分のようになるなんて想像もしていませんでした。

1年生の時は3年生が多くいたので、練習で5対5をすることもできていたんですけど、その3年生が引退すると5、6人になってしまって。一度、5人だけで公式戦に出たことがあるんですよ。しかも地区で一番強いチームが相手。その試合で1人の子がファウルアウトをして、コートに立てるのが4人になってしまったんです。4対5ってすごくないですか? これは自分のバスケット人生の中でもトップクラスにすごい経験だと思っています(笑)。

朝からシャトルラン、走りに走った中学バスケ部時代

その頃はまだ「うまくなりたい」よりも「楽しい」なおかつ「キツい」という思い出が強いですね。「今、そんなに走れるかな?」って思うほど走っていました。多分、これまでバスケットを続けてきた中でも一番走っていたんじゃないかな。だって朝からシャトルランとか、200mトラックを20周ですよ……それが嫌で嫌で仕方がなかったです。

でも自分としては「負けたくない!」という気持ちのほうが勝っていました。嫌々でも、やれば自分にとって絶対にプラスになる。そのことは分かっていたし、何よりも先輩に負けたくなかった。でも弱いチームの先輩って、実力に関係なく、後輩に対していろんなことを言ってくるでしょう? それかまた悔しくて、余計に負けたくないって思っていたいんです。

当時やっていた走る練習では、下級生が上級生を追い抜かなければいけないっていうルールがあったんです。1人でも抜けばOKです。でも自分は11人いる先輩のうち10人を抜いたんですね。実際には最後の1人も抜けたんですけど、そこはちょっと気を遣ったんです。なのに抜かれた先輩たちから「あれ(10人も抜くこと)はなくない?」みたいなことを言われて、「えっ、ダメなの?」みたいな……。顧問の先生が言っていることだし、自分は見せてやろうと思っただけだし、最後は気も遣ったんですけどね(笑)。

私は監督から「これをやりなさい」と言われたら、それをきちんとやるタイプなんです。自分で言うのもおかしいけど、バスケットに対しては昔から真面目だと思います。例えば自分は「こっちに行くべきかな?」と思っても、監督が逆を指示したら、そっちをやると思います。それがまた自分にとってプラスになると信じているから。

本当に走らされてばかりの中学時代でしたけど、先生が言っているんだからやらなきゃいけないって思っていたし、一人でも決められた時間や周回に達していないと連帯責任でずっとやらされるから、余計に自分も頑張っちゃうんです。

それが今の自分にもつながっていると、自信を持って言えます。中学の始めの頃に走り込んでいたから、今でも少しは走れるのかな、あの時に走っておいて良かったと思えますね。

バスケット・グラフィティ/渡嘉敷来夢
vol.1「陸上は背面跳びが怖くて、バレーは服装のルールが嫌で、バスケットを選択」
vol.2「悩んだ末に『やるからには本気でやってみたい』と井上先生のいる桜花学園を選択」
vol.3「苦手だったポストプレーを習得したら、バスケットがどんどん楽しくなってきた」
vol.4「最高のチームメートがいたことで、『負けない』と信じて戦うことができた」
vol.5「バスケットをやっているみんなで盛り上げて、メダルを取りに行きましょう」