渡嘉敷来夢が語るバスケ部時代vol.3「苦手だったポストプレーを習得したら、バスケットがどんどん楽しくなってきた」

2017/01/02
Bリーグ&国内
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文=三上太 写真=野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 渡嘉敷来夢(とかしき・らむ)
1991年6月11日生まれ、埼玉県出身。193cmの長身ながら、走って跳べる運動神経抜群のエース。Wリーグでは『女王』JX-ENEOSサンフラワーズの主力として活躍。また日本人3人目のWNBAプレーヤーとして、2年連続でシアトルストームでのプレーを経験した。昨年のリオ・オリンピックでは攻守にフル回転して日本代表のベスト8進出に大きく貢献した。愛称はタク。

ポストプレーの基礎を学んだ、桜花学園での日々

中学時代の自分は、インサイドばかりをやっていたわけじゃないんです。185cmで女子中学生では大きいほうなのに、インサイドで身体を張るキャラクターではありませんでした。もちろんリバウンドシュートはしていましたけど、どちらかと言えば外からシュートを打つ方がカッコ良いと思っていて、アウトサイドに出ては外からシュートを打っていました。

ポストアップって地味じゃないですか? そういう地味なプレーじゃなくて、周りがワーッと盛り上がるプレーが好きだったんです。普段からそんな練習ばかりやっていたから、試合でもそんな感じで……。当時の顧問もそれを「ダメだ」っていう方ではなかったから、それが良かったのかもしれません。

ですが、桜花学園に入ってからはポストプレーの練習ばかりの日々でした。ひたすらポジションワーク、ひたすらシールです。それでも入学当初はアウトサイドに出てドライブをしていたんです。そうしたらすぐに井上先生から「186cmもあるのになんで外に出てくるんだ」って言われました。「それじゃ相手のスパイだろ。それだけ大きいんだから、中でプレーしろ!」って。あの言葉は印象的でしたね。

当時はまだ身体の線も細くて、接触が嫌いだったんですけど、とにかく1年生の時はポストプレーばかりをやらされて、ちょっとでも外からシュートを打ったら「外に出てくるな。お前はポストだろ」って。

井上先生にはプランがあったようで、1年目はとにかくポストプレー、2年生になったら「少し外に出てもいい。ただし、できもしないのにどんどん外に出ていくな」、そして3年生になったら「ドライブをしてもいいけど、あくまでもポストプレーが中心だ」と言われました。

ポストプレーができていないと「ポストプレーもできないのに、外からのプレーなんてするな」って散々怒られました。でも井上先生はそれまでに多くの選手を見てきて、実際に育てているわけです。だから井上先生の言うとおりにやれば、自分もできるようになるんだと思って、一生懸命やっていました。そして井上先生の示す練習を繰り返していくうちに、少しずつできるようになるんです。そしてバスケットがどんどん楽しくなっていったんです。

1年生の時は3年生の同じポジションに髙田(真希。現デンソーアイリス)さんや木林(稚栄。現JX-ENEOSサンフラワーズ)さんがいて、そんな憧れの先輩と一緒にプレーできたことも、印象に残っています。

ケガを経験したから、思い切ってプレーする喜びを知る

その年のウインターカップ前に両ひざをケガしました。ケガとというか、まだ身長が伸びていて、ドクターからは「骨がまだ小学生だ」って言われたんです。そんな骨で練習を重ねているから両ひざに疲労が溜まってしまって、練習ができなくなったんですね。それでリハビリをしていたら、ウインターカップ直前に井上先生から「なんでお前はこんな大事な時期にコートに立っていないんだ」って言われて、そこで初めて「ああ、自分は先生から『コートに立っているべき選手』だと見られているんだ」って思ってうれしかったです。そこからやっと「自分がやらなければ!」という気持ちを持てるようになりました。

それまでは周りがミニバスや中学の全国レベルで活躍した選手ばかりだったから、「自分がそこに入っていいのかな」という気持ちがあったんです。でも先生にそう言われてからは、もちろん髙田さんたち3年生がサポートしてくれたこともありましたが、「先輩たちについていくだけじゃなくて、この人たちと一緒に優勝しなければいけないんだな」っていう気持ちになれたんです。それが1年生の印象に残っているエピソードですね。

あらためて振り返ると、やっぱり桜花学園でインサイドのポジション取りを練習したことが今の自分の原点だと言えます。井上先生が3年間のプランを考えてくれて、自分でも進化というか、成長していくのが分かるんです。それはもう楽しかったですよ。

前にも言ったけど、最初はインサイドに入るのが嫌だから、外にばかり出ていたら怒られます。インサイドに入れば、それこそ1年生の時は高田(真希)さんがいるから、当たると痛い。痛そうな表情を出すと、井上先生から「ヘラヘラするな!」って怒られる。外に出ても、中に入っても怒られるわけです(笑)。

それでもやっぱりインサイドの基礎を身に着けたことで、その後、インサイドとアウトサイドのバランスがうまく取れるようになりました。それはJX-ENEOSでもそうだし、WNBAのシアトルストームでもそう。高校時代は嫌だったし、怖かったし、痛かったけど、やっていてよかったです。

そんな嫌で、怖くて、痛い練習でも、いざやり始めたらそんなことは思わなかったですね。だって、嫌々やってたらもったいないでしょう。この考え方は高校時代にケガをしたおかげです。思うようにやれない時期があったから、練習で思い切ってやろうと思うんです。ケガをした経験があるからこそ、プレーする喜びが身に染みるんです。ケガをするとフラストレーションが溜まりますが、またバスケットができる喜びを考えることでリハビリも頑張れます。戻った時にチームメートの足を引っ張っちゃいけないですし。

こうやってバスケットを続けられるのは、「好きだから」というのもあるけど、「やらなきゃいけない」という責任感みたいなものが小さい頃からありました。兄がしっかりしていなかった分、自分に責任感が芽生えたのかな……って、兄がこれを読んだら怒るかな(笑)。ただそんな兄を含めて、家族には感謝しています。

バスケット・グラフィティ/渡嘉敷来夢
vol.1「陸上は背面跳びが怖くて、バレーは服装のルールが嫌で、バスケットを選択」
vol.2「悩んだ末に『やるからには本気でやってみたい』と井上先生のいる桜花学園を選択」
vol.3「苦手だったポストプレーを習得したら、バスケットがどんどん楽しくなってきた」
vol.4「最高のチームメートがいたことで、『負けない』と信じて戦うことができた」
vol.5「バスケットをやっているみんなで盛り上げて、メダルを取りに行きましょう」