渡嘉敷来夢が語るバスケ部時代vol.2「悩んだ末に『やるからには本気でやってみたい』と井上先生のいる桜花学園を選択」

2017/01/01
Bリーグ&国内
1015

文=三上太 写真=三上太、野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 渡嘉敷来夢(とかしき・らむ)
1991年6月11日生まれ、埼玉県出身。193cmの長身ながら、走って跳べる運動神経抜群のエース。Wリーグでは『女王』JX-ENEOSサンフラワーズの主力として活躍。また日本人3人目のWNBAプレーヤーとして、2年連続でシアトルストームでのプレーを経験した。昨年のリオ・オリンピックでは攻守にフル回転して日本代表のベスト8進出に大きく貢献した。愛称はタク。

中2で埼玉県選抜に選ばれたのは「サイズ」のおかげ

中学2年の途中に、引っ越しのため同じ市内の中学校に転校しました。今度の学校では周りがミニバスケットの経験者ばかりで、すごく上手かったんです。前の学校では自分が一番、みたいなところがありましたが、状況が変わって、「自分も負けちゃいられないぞ」と思って。

その学年の終わりに初めてジュニアオールスターの埼玉県選抜チームに選ばれました。選ばれたと聞いた時には「なんで自分?」と思いましたよ。だって選考会で他の選手を見て「おお、うまーい!」って一人で騒いでいたくらいだから、まさか自分が選ばれるなんて思っていないですよね。

選ばれたのはサイズのおかげだと思います。当時182センチくらいだったかな。ただ、その少し後で出会うメグ(篠原恵。現富士通レッドウェーブ)を見た時は「篠原さん、デカッ!」って思ったし、埼玉にも落合(里泉。現羽田ヴィッキーズ)がいて、もうお姉さん的存在……同級生なんですけどね。上手すぎて、別世界の選手でしたよ。

転校した春日部東中学で一番印象に残っているのは、最後の埼玉県大会で、落合のいる児玉中学に勝ったことですね。当時、埼玉では児玉中が1番で、絶対に勝てないって誰もが思っていました。

ただその前に一度、全国や関東大会につながるような大会ではない県内の大会で、自分とキャプテンは児玉中と一度対戦しているんです。その大会と修学旅行が重なったんですけど、でも自分とキャプテンは修学旅行をキャンセルして、その大会に出ることを選びました。だから児玉中がどんなチームなのか、感覚的に経験をしていたんです。

それで関東大会につながる県の準決勝で児玉中と対戦して、そこで勝ったことが中学バスケットで一番印象に残っていることです。当時、全国レベルでは北九州の折尾中学とか、それこそメグたちがいた東京成徳大学中学などもいたんですけど、「一番強いのは児玉中」というイメージが強かったんです。だから余計に印象深いです。結果として埼玉県1位で初めて関東大会に出場して、そのまま全中(全国中学校バスケットボール大会)にも出られて、すごくうれしかったですね。

修学旅行をキャンセルして試合、そうしてライバル校を倒す

その後にキャプテンの子と「修学旅行を選ばなくてよかったね」って話していました。最初は自分が「児玉中と対戦したいから修学旅行に行かない」って言ったら、キャプテンも「来夢がやるって言うなら、私もそうする」って言ってくれて。もしあの試合で負けていたら「修学旅行に行けばよかった!」って言っていたかもしれないけど(笑)。

でも県大会の前に一度戦ったことで、心の準備ができていました。それまでの自分たちだったら「いやあ、あの児玉だよ……無理でしょ」って思ったと思うんですけど、3年生のうち2人だけでも経験したことで「いけるよ」っていう気持ちになって、それがチーム全体に伝わって、「絶対に勝とう!」という気持ちを強く出せたゲームでした。

それはオリンピックのブラジル戦でも同じことが言えるんです。実はオリンピックの直前にブラジルと練習ゲームをしていて、その時は負けたんですけど、自分としては「いや、本番では勝てるな」って感じたんですよ。心の準備という意味では児玉中の話と同じだと思います。

話を中学に戻せば、児玉に勝てたことも、その後、全中に出られたことも、それらはすべてチームメートのおかげです。キャプテンだけじゃなく、他の子もすごく力があったし。

高校進学は悩みました。最終的に悩んだのは愛知の桜花学園にするか、東京成徳大学高校にするか。母は心配だから近くの成徳に行ってほしいって言っていたんですけど、自分としては「やるからには本気でやってみたい」って思ったのと、将来的なことを考えた時に、井上(眞一)先生はポストプレーを教えるのが上手だという評判を周りから聞いていたので、親元を離れて真剣に取り組んだ方がいいかなって思って、母に「桜花に行く」と伝えました。

将来のことと言っても、その時はまだWNBAを強くイメージしていたわけではありません。ただ桜花って実業団みたいなところがあって、その3年間を逃げずにやり通すことができれば、卒業生にも多くの日本代表選手がいたし、もしかしたら自分も日本代表でプレーできるかもしれないな、くらいに考えていたいんです。

実際、桜花学園を選んで正解でした。やはり今の自分があるのは、桜花で過ごした3年間があるからこそだと思うので。ただ、入学して間もない頃は井上先生の話している言葉が全然分からなかった。知らない専門用語が次々に出てくるので、何を言っているんだろうと(笑)。

バスケット・グラフィティ/渡嘉敷来夢
vol.1「陸上は背面跳びが怖くて、バレーは服装のルールが嫌で、バスケットを選択」
vol.2「悩んだ末に『やるからには本気でやってみたい』と井上先生のいる桜花学園を選択」
vol.3「苦手だったポストプレーを習得したら、バスケットがどんどん楽しくなってきた」
vol.4「最高のチームメートがいたことで、『負けない』と信じて戦うことができた」
vol.5「バスケットをやっているみんなで盛り上げて、メダルを取りに行きましょう」