バスケ界の頂点に君臨するアメリカのトップリーグ、NBA。バスケをプレーする者なら誰もが憧れる舞台だが、残念ながら日本人選手では田臥勇太が2004年に4試合プレーしたのが最初で最後。はるか高みにある「夢の舞台」であり続けている。だが、選手ではなくてもNBAの舞台に立つ日本人がいるのをご存知だろうか。アトランタ・ホークスのダンサーを務める阿武夏織は、華やかなコートからどんな景色を見ているのだろうか。
「今回が最後」という覚悟でオーディションに合格。
(阿武)なぜあんなに強い衝撃を受けたのか、言葉ではうまく説明できません。ダンサーが出てくる前からNBAの雰囲気、バスケだけじゃないアリーナの一体感をすごく楽しんでいたからかもしれません。普段からあんまり後先考えず、直感に従うことが多いのですが、この時もそうでした。
「NBAダンサーになろう!」と思ったのはいいのですが、決して簡単ではありません。挑戦資金・弁護士費用・アメリカでの生活資金を貯めなければいけませんし、何の経歴もなかった私にとってビザの取得も大難関でした。日本国内でプロバスケチームのオフィシャルダンサーをやりながら漠然とNBAへの憧れはあったのですが、現実を突きつけられると挑戦すらできなくて、一度はあきらめたんです。
でも、私の周囲にはダンスに限らず自分の好きなことに真剣な人がたくさんいてくれて、その人たちから刺激を受けて「挑戦もせずにやめるのは嫌だ」と思い、もう一度目指すことにして。3年目の挑戦でようやく今シーズン、オーディションに受かったんです。
審査はほとんどのチームで書類選考はなくて、何段階かに分かれた選考をパスした人がファイナリストになります。ファイナリストは2週間程度、トレーニングやダンス、コミュニケーションスキルを見られて、最終的にファイナルオーディションを勝ち抜いた人が合格となります。ファイナルが一発勝負ではなく、長期間の選考になるのは、ダンス以外の要素が見たいからだと思います。面接での受け答えも重視されるし、トレーニングに対する姿勢や他の受験者との協調性、時間を守れるかどうかをチェックしていたり。ホークスは演劇の審査もあったんです。みんなが笑いを取る中、「これ何の関係があるんだろう」と思って、早く終われと時計ばかり見ていました(笑)。
私が合格できた理由は……勢いだと思います。「今回がダメならもうやめる」という覚悟だったので、気持ちで負けていませんでした。背の低い私はアメリカ人にダイナミックさで勝てないので、絶対に気持ちで負けないようにしました。
そして、昨シーズン不合格になった後、スポーツエンターテイメントやチアダンサーという場所を一度離れて、ショーの世界でダンスを踊っていたんです。それまでは仕事とバイトを掛け持ちして合間にチームでの活動と、ダンスに費やす時間がなかなか作れないのが一番の悩みでした。でも、ダンスが仕事になり、ダンス漬けの毎日を送ってオーディションに挑むことができましたし、チアとは違った角度で魅せ方を考える機会にもなりました。
NBAで踊るためには、ダンスが踊れるだけではダメだと思います。ダンスでお客さんを魅了することも大切だけど、何より大切なのはチアスピリットなんですよね。チアスピリットとは「誰かを応援したり元気にしたいと思う気持ち」かな。オーディションでは、受験者同士はライバルだけど、応援し合い、励まし合うのが当たり前なんです。これはNBAのオーディションに来て一番驚いたことですね。
チームメイトに対してチアスピリットを持てているかどうかも審査員はよく見ているので、人間性や協調性もかなり重視されていると思います。あと日本人の場合は英語力ですね。私たちの仕事の大半はチアリーダーとしてファンの方や街の方と関わることです。私の英語もまだまだひどいですし、完ぺきさは求められていないと思いますが、英語でコミュニケーションが取れないとチアリーダーとしての役割が果たせません。
あとは、ホークスの場合は、シーズン中に同じダンスを踊らないという方針があるので、ひどい時には前日に振り入れをされて踊らなきゃいけない。短期間で振りを覚えて完成度を上げる、その力も見られています。なので、オーディションではファイナルの2日前までダンスを教えてもらえませんでした。
阿武夏織(あんの・かおり)NBAダンサーのお仕事
vol.1「ファンに楽しんでもらうのが私たちの仕事」
vol.2「NBAを目指すと決めた瞬間」
vol.3「ダンスだけではNBAのコートには立てない」
vol.4「同じダンスは決して踊りません!」
vol.5「率先して騒いで楽しもうとする気持ちで!」