ハイメ・ハケスJr.

ジミー・バトラー「とてもルーキーだとは思えない」

ヒートは毎年のように未知の若手を輩出する。今シーズンの『最新作』はハイメ・ハケスJr.だった。それでも、彼は他のヒートの若手とは一味違う。ヒートはドラフト外や2ウェイ契約の素材をじっくりと鍛えてNBAで通用する選手へと育て上げる。しかし1巡目18位指名のハケスJr.は、2017年1巡目14位指名のバム・アデバヨ、2019年の1巡目13位指名のタイラー・ヒーローに続く久々の即戦力だった。

開幕戦でピストンズを相手に13分で6得点2リバウンド2アシストと上々のデビューを飾ると、シーズンを通してコンスタントに出場し、20試合で先発を務めた。プレーオフではセルティックス相手にファーストラウンドで敗退したが、5試合中4試合に先発している。

ヒートには『タフな戦士』が揃うが、ハケスJr.は最初から『タフな戦士』だった。NBAでは才能ある選手が毎年登場するが、厳しい状況でギアを一段階上げて攻守両面でアグレッシブにプレーできるルーキーは決して多くない。ハケスJr.はその希少種となった。

その秘密は彼の生い立ちにある。カリフォルニア出身のハケスJr.は、この地で10代のバスケ選手を指導するコーチ、ハイメ・ハケスSr.を父に持つ。そのコーチングのお手本は、地元レイカーズのヘッドコーチであり、後にヒートでヘッドコーチ兼社長となるパット・ライリーだった。ライリーの管理主義と練習の厳しさは前世紀の基準でも選手に敬遠されるほどだったが、ハケスSr.は今の時代に合わせた合理的なトレーニング方法を学びつつも、ライリー流の「限界まで追い込まれた時にどれだけの力を発揮できるか」を重視し、選手に厳しい練習を課した。そこで最高の反応を見せたのが息子のハケスJr.だった。

追い込まれれば追い込まれるほど、ハケスJr.の動きは良くなった。試合だけでなく練習も好きで、努力する過程も愛することができた。厳しすぎるコーチである父がオーバーワークを心配するほどだったが、休むように言うと「僕に上手くなってほしくないの?」と言い返したそうだ。

かくしてハケスJr.は10代にして『ヒート・カルチャー』の一部を備えるプレーヤーになっていた。UCLAで4年間を過ごした彼は、ヒートに指名されるとすぐにジミー・バトラーに「見込みのある若手」と見なされ、行動をともにするようになった。

これはハケスJr.にとって理想的な状況だった。「僕はずっと前からジミーが大好きだった。攻守において完璧を求め、コートに出ればすべての力を出そうとして、しかも結果を出す。そのスタイルにあこがれていたし、僕もそういう選手になりたい」と彼は言う。そしてバトラーは、ハケスJr.のルーキーらしからぬ精神力の強さを「僕だってそれを身に着けたのは28歳か29歳の時だ。とてもルーキーだとは思えない」と称えた。

28.2分の出場で11.9得点、3.8リバウンド、2.6アシストがルーキーシーズンのスタッツ。年に一度のシーズン総括の会見で、ヒートのボスであるパット・ライリーはハケスJr.について「チームのために毎試合戦う、誇り高き戦士」と表現した。今オフはチーム再編も考えられるが、ライリーは既存の選手の評価について「安定して試合に出ることが一番」と語っている。ハケスJr.はレギュラーシーズン75試合、プレーオフで4試合の79試合に出場。これはチームトップの数字だ。

それでも、ハケスJr.が満足を感じることはない。シーズン最後の会見で、彼はこう語った。「来シーズンに向けて、もっとディフェンスを強くしたいし、ビッグショットを任せられるぐらい技術を高めたい。シーズンが進むにつれて研究されて、ポストプレーでダブルチームされるようになった。それをかわしてシュートに行く技術だったり、ディフェンスを読んでパスを出したり、それを打開できるような準備をするつもりだ」

そして周囲への感謝も忘れなかった。「今シーズンに上手くやれたのは、僕を支えてくれる経験豊富な選手たちのおかげだと思う。ルーキーの僕がチャンスをもらえて、周囲に恵まれたことが大きなアドバンテージになったと思う」