橋本竜馬が語るバスケ部時代vol.1「負けず嫌いはヤバかったと思います」

2016/09/06
日本代表
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文=丸山素行 構成=鈴木健一郎 写真=足立雅史、吉田武

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 橋本竜馬(はしもと・りょうま)
1988年5月11日生まれ、福岡県出身のポイントガード。攻守両面で闘争心溢れるプレーを見せ、チームを鼓舞して引っ張る不屈のファイター。男子日本代表の長谷川ヘッドコーチからもアグレッシブさではナンバーワンと太鼓判を押された。

今でもまだ上手くなりたい気持ちは変わらない

バスケを始めたのは小学校4年の時ですね。ミニバスケットボールからやっています。従兄弟に誘われたのがきっかけです。最初は「人数が少ないから入ってくれないか」みたいに言われて。それで始めてみたらのめり込んだ、そんな感じですね。

スポーツは大好きで、野球とかサッカーとか、いろんなスポーツをやってました。その中からバスケを選んだのは、単純に一番好きになったからでしょうね、ハマったと言うか。それで中学校に行くときにバスケットボールが強い中学に行こう、と自分で思いました。

良い先生に習いたくて、上手くなりたいと思ったので。公立の中学に行ったんですけど、その中でも強い学校があるじゃないですか。両親にお願いして、引っ越してそこに転校しました。

その頃は全然上手くなかったです。ただ、バスケはすごく好きだったし、上手くなりたいという気持ちはありました。その理由だけでしたね。最初の頃は自分よりずっと上手い選手がいました。小学校の時点でキャリアがある選手もたくさんいました。その中で僕は、「バスケットをやりたい」という気持ちだけでした。

周囲のレベルが高かったので、それに必死に追い付こうということしかなかったです。みんなに追い付きたい、みんなよりもっと上手くなりたい、という気持ちだけ。がむしゃらにバスケットボールをやっていた記憶しかないです。

でも、上達するかどうかは、バスケが好きな気持ち、上手くなりたいという気持ちが本当に大事だと思いますね。今でもバスケット好きですし、まだ上手くなりたいと思っているので、その気持ちは変わっていないです。

「バスケが上手くなりたい」という気持ちで日本代表まで来た橋本だが、原点となる気持ちに変化はない。

体育の授業でも「絶対に勝ちたい」って言ってました

キツい練習しかなかったですけど、その中でどうやって上手くなるか、それしか考えていなかったです。公立の中学校だったので、練習も17時から19時ぐらいで限られた時間しかやらなかったのですが、その中でも上手い人のプレーはずっと見ていました。1年生の時は3年生に上手い人がいたので、「この人はどういうプレーをするのだろう」と考えながら。

中学生なのでなかなかアドバイスをもらいには行けなかったんですが、見るのはやっていました。それは高校に行ってもずっと続けましたね。

ポジションはずっとポイントガードです。でも、中学校の頃はもっとアグレッシブで、得点を取りに行ってました。ぺネトレイトしたり、シュート打ちまくってました。中学校ってできる選手がガンガンやるじゃないですか、そのイメージのままだと思います。ガキ大将でしたし、普通に「俺がやりたい!」みたいな(笑)。

他にも上手い選手たくさんいましたけど、それでもボール持ったら攻めたいタイプでしたね。アシストしたいというより、ボールにとにかく絡みたい、そんな感じでしたね。タフショットも打ってましたし、今とは全然違うと思います。ただ負けたくない気持ちは変わらないかなと。

負けず嫌いはヤバいレベルだったと思います。体育の授業でバスケ以外のスポーツをやるじゃないですか、サッカーとかバレーボールとか。そういう時も「絶対に勝ちたい」って言ってました。体育の授業で、すごく勝ちたいって言う人がいると、だいたいそのチームは勝ちますから(笑)。スポーツに限らず、勝負事はすべてそうですね。

「ヤバいぐらい負けず嫌い」の橋本にとって、東芝に敗れた昨シーズンのファイナルは悔しい思い出。「その気持ちを忘れずにBリーグの60試合を戦います」と、リーグは変われどリベンジに燃えている。

バスケット・グラフィティ/橋本竜馬
vol.1「負けず嫌いはヤバかったと思います」
vol.2「前進し続ける力というのはすごく大事」
vol.3「上手くなるために自分を知る」