文=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 栗原三佳(くりはら・みか)
1989年5月14日生まれ、大阪府出身。試合展開にかかわらず豊富な運動量を生かして攻守に渡ってチームを支える万能派スモールフォワード。決まり出したら止まらない3ポイントシュートが最大の武器で、リバウンドやブロックでも強さを見せる。

「バスケが楽しい」と言う姉の影響でミニバスを始める

バスケを始めたのは小学校3年生の時、姉の影響でした。姉が「バスケが楽しい」といつも言っているのにふと気付いて、自分もミニバスのチームに入ることにしました。よくしゃべる子供ではありましたが、お転婆ではなかったですね。当時はスポーツにもあまり興味はありませんでした。でも、昔からスポーツを見るのは好きです。バレーボールとか、テレビでやっていたら何だって見ていました。

ミニバス時代、小3の時はずっとベンチで、先輩の応援をしていました。試合に出るようになったのは4年生からですね。先輩と一緒に試合に出してもらえました。それは背が高かったからだと思いますけど(笑)。

中学は地元の公立中学校で、そこまで強くはないチームでしたが、1年生から試合には出してもらっていました。中学校まではポジションも決まっていなかったので、いろんなポジションを経験しました。先生に教えてもらいながらポイントガードからセンターまで、好きなようにプレーしていました。

今は2番(シューティングガード)と3番(スモールフォワード)、両方のポジションをやりますが、そんなプレースタイルができてきたのは大阪薫英女学院高校に入ってからです。中学校までは近畿大会に出られないチームにいたのに、いきなり全国大会の常連校に行ったので、レベルの違いを目の当たりにしました。「全然違う世界に入ってしまった」と思いましたね。

鍛えました。と言うか、鍛えられました(笑)

中学校のバスケ部では体育館が使えない日があったり、下校時間も厳しかったので、1時間しか練習しないような日もありました。それが高校に入るといきなり2部練習になって。レベルも上がりました。でも、大変ではあったのですが、それを苦労とは思わなかったです。

意識の面でも、中学と高校では違いました。中学の時はここまでバスケを続けると思っていませんでした。バスケを頑張るモチベーションは、ただ試合に勝ちたい気持ちだけですね。それが高校に入ると、どういう選手になりたいのかをよく考えるようになりました。先生にアドバイスをもらって、得意なシュートをとにかくいっぱい練習したり、シュートに入る形を練習したり。

体作りのために食事や睡眠に気を使うようなことはなかったですね。高校生の頃はまだ鈍感でした。とりあえずたくさん食べて、眠くなったら寝るという感じで。ただ、私は食べるのが好きなので、高校生の時なんか特に、容赦ないくらい食べていました。バスケのために食事する、という感じではなかったですけど(笑)。

私は自分が身体能力に優れているとは思っていません。努力したら身に付くものもありますが、バスケでは身体能力だけがあっても生きていけないので。ただ、練習はいっぱいやりました。鍛えましたね。と言うか、鍛えられました(笑)。

「自分が身体能力に優れているとは思いません」と言う栗原だが「ただ練習はいっぱいやりました」と笑う。

バスケット・グラフィティ/栗原三佳
vol.1「考えるバスケとの出会い」
vol.2「バスケも勉強も、自分に負けたくなくて」
vol.3「自分の個性は『好き』で探す」