
2024年12月、長年にわたって女子バスケットボール界をけん引し、桜花学園の監督を務めた井上眞一が、78歳で逝去された。守山中学校や名古屋短期大学付属時代から桜花学園を率い、全国制覇は通算78回。数えきれないほどの名選手を育て上げた井上先生は、まさに日本女子バスケットボール界の礎を築いた存在である。6月29日、名古屋で開かれたお別れの会には、教え子をはじめとする約600人の関係者が参列。笑顔と涙が入り交じる時間の中で、井上先生をよく知る選手たちが、それぞれの思いを胸に花を手向けた。井上先生の教えを受けた選手たちの言葉を通じて、厳しさの中にあった深い愛情、そして命がけでバスケットボールに向き合った熱い思いをたどる。
「先生と同じ格好をして、会いに来ました」
――井上先生とは、今日どんなお話しをされましたか。
そうですね。まず一番に感謝の気持ちを伝えました。今日こうして、久しぶりに同級生や先輩、後輩、そしてバスケット関係の方々と会うことができたのも、すべて先生が繋いでくださったご縁のおかげです。私は今、コーチとして先生に追いつけるように必死に学んでいる途中なので、感謝の気持ちと同時に、「いつか先生に追いついて追い越す」という決意表明を伝えるために、今日この場に来ました。
――井上先生を思わせるようなシャツを着ていらっしゃいましたね。
そうなんですよ。先生はウインターカップの時など、いつもラルフローレンのこのカラーのボタンダウンシャツを着ているのを見ていたので、先生に会いに行く時にはこのシャツを着て会いに行くと決めていました。先生と同じ格好をして、会いに来ました。
――その姿を見たら、井上先生は何とおっしゃると思いますか。
「お前、痩せたな。俺はもうちょっと腹出てるぞ」と言われる気がします。指導者として、先生のようにエナジーを持って、愛情を持って接するには、私自身も健康でいないといけないので、「ちゃんとご飯食べろよ」、「そんなにコーチって簡単じゃないぞ」と、そこを心配してくださっているんじゃないかなと思います。いつも会うたびに、「お前、痩せたな」と言ってくれていたので、まずは自分自身もそこを気をつけながら、選手たちと一緒に成長していきたいです。

「バスケットボールに携わっていくことが、自分の今世での役目」
――井上先生が指導者として、また人としてすごいところはどんなところですか?
指導者としては、『根気強さ』ですね。これは私が引退してからも先生とよく話をしていましたが、一つのプレーに対しても十人十色ですし、分かる選手、理解が早い選手、再現性が高い選手がいる中で、指導者がより根気強く指導していかないといけないというのはよく口にされていました。その『根気強さ』と繋がる部分ではありますが、先生はそこに愛がありました。時にしつこいと感じるくらいの指導でも私たちがついていけたのは、先生の愛情があったからです。本当にそこが人としての学びだと思っています。温かくて熱い先生でした。
――大神さんは世界を舞台に活躍されましたが、井上先生の教えがそこに繋がったと感じる場面はありますか?
先生にはいつも「世界で通用する選手を育てたい。お前は世界を目指すんだ」と言われてきました。『世界』という言葉を常に言われてきたことで、アメリカや中国、日本代表でプレーをするきっかけを先生が与えてくれました。先生が根気強く『世界の』という言葉をぶつけてくれたからこそ挑戦できた場所だと思っています。
――その『世界』を教えてくれた井上先生から学んだマインドを、どのようにバスケ界に生かしていきたいですか?
私は指導者になったばかりでまだ余裕がありませんが、井上先生は、常に日本バスケットボール界のことを考えている人でした。桜花学園や名古屋短期大学付属だけでなく、どうしたら女子のバスケットボール界が良くなっていくのかを、その場だけではなく、中長期的に一つの絵として考えていました。今は自分のことに必死ですが、先生のその考えを忘れずに少しでもトヨタアンテロープスの選手や、きっかけをくれる後輩たちがアジアから世界に挑戦するのに対して、思い切って背中を押してあげられるような指導者になりたいと思います。
――「世界」という言葉がの他にも、井上先生の口癖はありましたか。
そうですね。『命がけ』っていう言葉も先生の口癖でした。「お前は命がけでやらんのか!」ってよく言われてました。本当に、先生が最後まで病と闘っていた姿も『命がけ』そのものだったんですよね。私は物理的にも先生の近くにいて、その『命がけ』の姿を目にしていたので、そこは使命だと思っています。バスケットボールに携わっていくことが、自分の今世での役目なんだと、あらためて覚悟を決めました。

最後の言葉は「ありがとう。頼むぞ」
――井上先生とは最後の日にもお会いされたと伺いました。その時、どんな言葉を交わされたのですか。
あの日、一番最初にかけてくれた言葉が「ありがとう。頼むぞ」だったんです。先生はいつも、まず自分のことを話される方だったので、最初にこの言葉を聞いた時は本当にびっくりしました。「ありがとな」っていう言葉と、「頼むぞ」っていうこの2つの言葉が、先生が伝えてくれた最後の言葉なので、これから私が指導者として使命としてやっていくことが、高校3年間だけでなく自分の選手生活すべての、先生に対しての本当の恩返しだと思っています。先生から託された思いを大事にしていきたいです。
――「頼むぞ」という言葉には、女子バスケ界全体への期待も込められていたのかもしれませんね。
そうですね。本当に今は必死で先生の足元にも及ばないですが、今日は服装だけは先生の真似をして来ました(笑)。自分自身でそれを先生にいつも問いかけながら、先生の「お前まだまだだぞ」っていう言葉を胸に秘めて成長していきたいです。いつまでたっても、先生とともにバスケットボール界を何とかしようと、これからも頑張っていきたいです。