卓越した技術をベースにした1対1の強さと正確なシュートで、bjリーグ初年度から活躍を続ける青木康平。現役選手でありながら子供たちにバスケを教える普及活動にも熱心な彼が、自身のバスケ部時代と部活生へのアドバイスを語ってくれた。
1980年12月13日生まれ、福岡県出身。ポジションはガード。卓越したボールハンドリング技術で攻撃を組み立て、美しいフォームからのシュートで得点を量産する。2015-16シーズンのbjリーグではフリースロー成功率で首位を独走している。
大事なのは「自分に制限を作らないこと」
高校では、上下関係の厳しさに耐えられずにバスケ部を辞めていく同級生もかなりいました。自分にとってもなかなか大変な時期でした。
高校生ともなると、理不尽なこともあるわけです。バスケ部の先輩に会ったら絶対に挨拶しなきゃいけないのですが、街で先輩が僕に気付いたけど僕は先輩に気付かない、なんてことがあると次の日にものすごく怒られる。バスケとは関係ないですから。
それでも大濠で学んだことはたくさんあります。プレースタイルの基礎を作ったのはこの時期です。あの時代、この身長の選手を大濠は取っていなかったのですが、最初に求められたのはボールをプッシュしたり、積極的にディフェンスしたり、といったプレーでした。
最初はとにかく何も考えず、先輩から「ハイ!」と言われたらパスを出すような状態でしたが、そこから始まって3年生になった時には3年でレギュラーが僕だけとなり、下級生を従えて試合をするようになりました。
僕は強豪校で常にトップにいる状態でした。僕は1年からベンチに入っていたんですが、同級生は2年や3年になってもベンチ入りできなかったり、上下関係の厳しさで辞めていったり。特待生でも辞めていったので、チーム内で競争することがほとんどなかったです。必然的に3年になればトップになる、という感じですね。
厳しい状況でもバスケを続けられた、上達し続けられた理由は、メンタルの持ち方にあったと思います。大事なのは「自分に制限を作らないこと」ですね。大濠は大きくてうまい選手ばかりが集まっていましたが、田中(國明)先生だったり近くにいる人たちが「お前ならできる」と小さな僕を励まし続けてくれました。
僕自身も「僕ならできる」といつも考え、自分自身を疑う方向で物事を考えるということを絶対にしませんでした。
これは高校時代に限らないのですが、例えば試合に出られない時に、僕は「コーチが自分を評価してくれないからだ」とは考えません。「僕がマイケル・ジョーダンだったら、絶対にレギュラーで出られる」と考えます。
そうなると誰かのせいにはできません。「今の自分の実力が足りないだけで、もっと努力しなければいけない」となりますよね。僕はずっとそういう考え方をしてきました。
バスケット・グラフィティ/青木康平
vol.1「全国レベルの洗礼、目の前でダンク!」
vol.2「奇跡のメンバーでも全国制覇は果たせず」
vol.3「夜中の駐車場でスキルを磨いた日々」
vol.4「大事なのは、自分に制限を作らないこと」
vol.5「自分の理想とするバスケを追い求めて」
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