青木康平が語るバスケ部時代vol.2「奇跡のメンバーでも全国制覇は果たせず」

2016/04/04
Bリーグ&国内
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文=鈴木健一郎 写真=H.Shuto 取材協力=ライジング福岡

卓越した技術をベースにした1対1の強さと正確なシュートで、bjリーグ初年度から活躍を続ける青木康平。現役選手でありながら子供たちにバスケを教える普及活動にも熱心な彼が、自身のバスケ部時代と部活生へのアドバイスを語ってくれた。

PROFILE 青木康平(あおき・こうへい)
1980年12月13日生まれ、福岡県出身。ポジションはガード。卓越したボールハンドリング技術で攻撃を組み立て、美しいフォームからのシュートで得点を量産する。2015-16シーズンのbjリーグではフリースロー成功率で首位を独走している。

奇跡のメンバーでも全国制覇は果たせず

中学校まではポジションの概念がそもそもなくて、シュートが武器だというのは当時から変わっていないのですが、別にガードという意識もなく、今とは全く違うプレースタイルでした。中学時代はみんな体が小さかったので、みんなが自然と役割分担をしながら動いていたんです。

中学のバスケ部は今思い出しても上手だと思うぐらいみんなレベルが高くて、普通の公立中学校であれだけのメンバーが集まったのはちょっとした奇跡ですね。ただ、僕らの代は全国ベスト8で終わってしまい、全国優勝は果たせませんでした。

僕は自分の運動神経が良いとはあまり思っていません。ただ、適応能力には自信があります。何をしてもそつなくできるようになる、という部分ですね。身長を含めて身体能力がない分、バスケットをすごく考えてプレーするようになりました。

小中高から今もそうですが、ずっと自分より大きな選手を相手にしてきました。だから感覚的にはずっと一緒で、「自分がこうやれば相手はこう動く」ということを常に考えて「バスケットの頭」を鍛えてきたんです。

当時好きだった練習は……オールコートでの5対5ですね。分解練習は中学校ではあまりやらないじゃないですか。当時は女子のバスケ部とコートを分け合って練習していたので、オールコートが使えるとなって5対5ができると楽しかったですね。嫌いな練習はランニング。どの時代でもボールを使わずただ走る練習は嫌です(笑)。

ただ、ランニングも避けては通れないわけで。プロになって、これだけ走ればどれだけ自分にプラスとして返ってくるのかが理解できるようになったのですが、中学や高校の頃は、その先に何があるのか考えることなく、とにかく走るだけ。走ることのメリットを理解できていれば、もっと意味があった練習になったと今は思いますね。

バスケット・グラフィティ/青木康平
vol.1「全国レベルの洗礼、目の前でダンク!」
vol.2「奇跡のメンバーでも全国制覇は果たせず」
vol.3「夜中の駐車場でスキルを磨いた日々」
vol.4「大事なのは、自分に制限を作らないこと」
vol.5「自分の理想とするバスケを追い求めて」