リッキー・ルビオ

「乗り越えられない何かが心を暗くしていた」

今年に入ってすぐ、リッキー・ルビオはNBAキャリアからの引退を発表した。2009年のNBAドラフト1巡目5位でティンバーウルブズに指名されたルビオは、スペインでの契約があったためにNBAデビューが遅れたものの、2011-12シーズンからNBAでプレーし、卓越したスキルとコートビジョン、創造性溢れるパスで異彩を放ってきた。ウルブズで6シーズン、そしてジャズ、サンズ、再びウルブズ、キャバリアーズとチームを変えながら、常にそのスキルと人間性で周囲の人々を魅了してきた。

それでも彼はメンタルヘルスの問題を長く抱えていた。一つは母親を肺がんで亡くした2016年。スペインで闘病する母の近くにいられなかった自分自身を彼は責めた。だが、最近のそれは確たる理由が見当たらないことが深刻だった。

現在、スペインに戻っているルビオは『The Athletic』の取材に応じ、メンタルヘルスの問題について自分の考えを語った。「僕は常に前向きであろうとしていたけど、時には自分自身に嘘をついた。ネガティブに感じているのに『違う、そんな受け止め方をしちゃいけない』みたいにね。でも結局、自分に嘘をつくといずれツケを支払うことになる」

高いレベルでバスケをプレーすることを楽しみ、チームメートやファンと心を通わせるのを楽しんではいたが、大きなケガや不本意なトレードを何度も経験した。トレードされれば私生活はリセットされ、プレーヤーとしての目標設定もやり直し。彼はトレードされるたびにショックを受け、それでも新たなチームで前向きに努力して、どこへ行っても自分の居場所を作り続けてきた。

そんなキャリアを続ける中で『自分に嘘をつく』ことが彼の心の奥で積み重なっていく。「僕はバスケをしなきゃいけなかった。そのためにアメリカに行ったんだからね。でも、もっと自分に正直であるべきだった」

2021年の年末、彼は左膝の前十字靭帯を断裂する。再建チームのキャブズへの移籍からモチベーションを奮い立たせ、彼自身もチームも上昇気流に乗ったところで復帰に1年を要する大ケガを負ったメンタルのダメージは計り知れないものがあった。1年がかりで復帰したものの、それも『自分に嘘をつく』を重ねてのことだったのだろう。昨シーズンのプレーオフではニックス相手にファーストラウンド敗退し、ルビオのプレータイムはわずか17分と『脇役』しか演じられなかった。そしてオフに入ると、『ツケを支払う時』がやってきた。彼はメンタルヘルスの問題を打ち明け、ワールドカップ出場をあきらめた。

「すべてが暗かったあの時期のことを思い出すだけで鳥肌が立つ」とルビオは言う。「人生の目的を見失って、自分が何者なのか分からない、乗り越えられない何かが心を暗くしていた。今は周囲の助けがあって何とかなっている。僕は一人じゃない。声をあげれば、多くの人が寄り添ってくれる」

「まだ完全に乗り越えられたわけじゃない」と彼は語るが、それでもバスケの試合から離れて人間らしい生活を送る中で、暗黒から抜け出して心の平穏を見いだしつつある。「変化していく人生の中で、僕は思い出を作ろうとしている。それはバスケのためにずっと犠牲にしてきたものだけど、ようやくそれができるようになった」

「もっと良いNBAキャリアを過ごしたかったという思いもあるし、優勝したかったと思うこともある。でも、楽しかったよ」