文=小永吉陽子 写真=小永吉陽子、鈴木栄一

役割の徹底からチームにエナジーをもたらした39歳の指揮官

今シーズンから千葉ジェッツの指揮を執る大野篤史の現役時代を知る人ならば、初優勝を遂げた『オールジャパン2017』で披露した千葉のエナジーに驚き、「こんな采配をするコーチなのか」と新たな発見を見いだしたのではないだろうか。

ビッグゲームの経験豊富な栃木ブレックス、シーホース三河、川崎ブレイブサンダースを撃破しての優勝に『勢い』は欠かせなかったが、すべてに快勝した内容を見れば理由はそれだけではない。司令塔の富樫勇樹を筆頭に、個性あるメンバーたちが役割を全うし、エナジーあふれるディフェンスを発揮したことが最大の勝因だ。

大野ヘッドコーチは常々「ウチの弱点は自分の経験不足」と言っていたが、試合の流れを読む洞察力や、試合を組み立てる論理的な思考は現役時代と変わらず、采配にも生かされていた。そんな中で強調してきたのは「ディスアドバンテージ(不利な点)を補い、アドバンテージ(有利な点)を生かすこと」。例えば、富樫の機動力を生かすためには、サイズのなさを補う献身的なディフェンスが必要だが、その役目は伊藤俊亮やヒルトン・アームストロングらが買って出ている。相手センターの動きを押し殺すようなパワフルなディフェンスは、マイケル・パーカーが得意とするスティールへと結びつき、チームの武器となる速攻に発展していった。

始めからこうした動きができたわけではない。リーグ序盤はオフェンスで解決しようとするあまり孤立したプレーが多かったし、ウィークサイドの守りにも対応できなかった。ディフェンスローテーションが確立できてきたのは、確認ボイスが出るようになってからだ。

決勝の川崎戦にしても、年末に2連敗したからこそ、ニック・ファジーカスと辻直人にいい状態でボールが渡らないように修正することができた。次から次へとコートに出てくる選手がサボらずに仕事をする。こうした予想外のハードワークに、対戦相手は自分たちを見失ってしまったのだ。

ただ冒頭でも述べたように、過去にこだわった目で見ると、大野ヘッドコーチはお世辞にも『ハードワーク』を体現するような選手ではなかった。だから良い意味で、個性をまとめ上げた手腕には新鮮な驚きがあったのだ。

本人は言う。「コーチとしての僕は、選手時代の反面教師でやっています。たくさん後悔してきましたから」

成長できなかった現役時代「あの後悔を味あわせたくない」

197cmのサイズがあり、ポストプレーからガードまでこなすオールラウンダー、それが大野篤史だった。全国制覇をした布水中、強豪の愛工大名電高で基礎を叩きこまれ、決して能力任せではなく、状況判断に優れた賢いプレーで周囲を唸らせてきた。日本体育大の4連覇は大野なしでは語れない大学界の伝説である。

しかし、2000年から7年間在籍した三菱電機では、どれだけすごい選手になるかと期待を抱かせた学生時代に比べると、成長の歩みは止まってしまった。「若くして日本代表に選ばれてそこで満足していたんです。環境に甘えて、安っぽいプライドだけがある向上心のない選手でした」と振り返る。

事実、この時代の男子バスケ界は、初の世界選手権開催(2006年)に向けて世界への扉を叩き続ける者がいた一方で、トップリーグに目を移せば、試合そのものが少なければ、スタンドで閑古鳥が鳴いていても、盛り上がらなくても、何一つ不自由なく生活できてしまう競争力のない、生ぬるい空気が漂っていた。もちろん意識の高いチームも選手もいたが、企業という守られた環境の中で向上できない選手は多く、大野もその一人だった。

志が変わったのは、2007年にパナソニックに移籍してからだ。「僕は拾ってもらったと思っているけれど、監督の清水(良規)さんは『必要だから獲得した』と言ってくれて、そんな人のためにも仕事をしたかった」。だからこそ、心底慕った恩師から、「篤史はコーチに向いている。来シーズンから僕を補佐してくれないか」と頼まれた時には「必要とされるならば」と、2010-11シーズンの途中で現役を退き、コーチ業に就く決心をしている。

当時33歳。早すぎる引退だったが、辞めることに後悔はなかった。その後、尊敬する佐古賢一の下で2年間、広島ドラゴンフライズのコーチに就けたことも「勝者のメンタリティを学ぶ貴重な時間」だったと語る。

ただ、いちばん身体が動く20代に成長へのチャレンジを怠ったことに対しては、「やり直したいほど後悔している」という。だから選手に訴える。現役時代にやり残すなと。「僕が選手に伝えているのは、現役の時にこうしておけばよかった、コーチにこうしてほしかったということばかり。それを伝えられるコーチになるため、人と人が向き合うことを大切にしています」

くすぶり続けた過去の自分もバスケットボールも変えたい

千葉でのヘッドコーチ就任にあたり、フロントから告げられたのは「戦うチームを作ってほしい」ということ。フロントと大野のやりたいことは一致していた。千葉の面々を見渡せば、くすぶって浮上できない者、努力しているが芽が出ない者など、個性を出せない選手ばかりだった。

特にキャプテン小野龍猛が抱えていた勝利への飢えや、器用貧乏になりがちなプレーは、過去の自分と重なるものがあった。そんな小野に対しては「本当はすごくリーダーシップがある」(大野)一面を引き出し、本人のやりたい3番ポジションを任せている。

大野ヘッドコーチの2つ下で、かつて日本代表でともにプレーをした37歳の伊藤は言う。

「大野さんはバスケでも私生活でも、選手を尊重して自由を与えてくれます。でもこれだけはやらなきゃいけない義務に関しては、絶対に守らせる人。それがディフェンスですね。今、抑えるところの優先順位をみんなが理解してきて、チーム内で対話が増えているので、これからはもっと面白いバスケができるようになる手応えがあります」

大会が終了し、若き指揮官に目指すバスケについて聞くと、「昔から日本には多いですけど」と前置きして「外国人選手にボールを入れてそれで終わり。日本人選手はパスを回してスポットでシュートを打つ。そんなバスケは面白くないですよね」と、やりたくないことが先に出てきた。そして「全員がファイトして、攻撃的なディフェンスによってテンポを生み出すバスケをしたい」と続けた。くすぶり続けた過去の自分もバスケットボールも変えたいのだ。

企業チームの良し悪しも、千葉のようにフロントが一丸となるプロクラブも、停滞していた時代も、前に進もうとしている今も、全部を経験してきた。だからこそ日本の選手に伝えられることがある。変わりゆく新時代にそんな指揮官が出てきてもいい。新米の看板が取れるこれからこそ、今までの経験を生かし、チームを成長させる仕事が待っている。