豪快なダンクマシーンが知的なスポットシューターに
八村塁がルーキーとして臨むNBAシーズンを、ビンス・カーターは現役最後のシーズンとして臨むことになります。類まれなジャンプ力とパワーを武器に伝説的なダンクを世界中に披露したスーパースターがNBAでデビューしたのは21年前の1998年。なんと八村が生まれた年から現役生活を続けてきました。
ドラフト5位でラプターズに入団したカーターは、1年目に新人王、2年目には最多得票でオールスター選出、シドニー五輪で金メダルを獲得。3年目には平均27.6点で得点ランキング5位とスーパースターの道を進みます。一時期はケガの影響でスタッツを落とすものの、2004年に当時ニュージャージーを本拠地としていたネッツに移籍すると再び平均25点近くを記録し、2007年まで8年連続でオールスターに出場するなど、2000年代のNBAを代表するスーパースターでした。
それでも、爆発的な身体能力を武器にするタイプであり、30歳を超えて肉体的な衰えが出始め、初めて平均得点が20点を下回った2009-10シーズンの頃には、故郷のオーランドにあるマジックに移籍したこともあり、そのキャリアは終盤を迎えたと思われました。
ところがその後のカーターは、『チームに欠かせないベテラン選手』としてマジック、サンズ、マブス、グリズリーズ、キングス、ホークスと6つのチームを渡り歩いて10年間を過ごしています。それは若き日の身体能力に任せたプレースタイルとは異なり、現代のNBAで求められる脇役に徹してきたからです。常にチームの中心だったスーパースターが、その時々の自分にできるプレーに合わせてスタイルを変えるのは珍しい例です。
若き日のカーターは豪快なダンクで得点できれば良いものの、強引にドライブしてタフショットを打つことも多く、シュートセレクションの良いタイプとは言い難い選手でした。ダンクという武器が発揮されなくなったここ数年はゴール下での得点が難しくなり、全盛期は平均10点近くあったペイント内得点は1.5点まで落ちました。それによりフィールドゴール成功率が40%を下回ることも多くなりました。
その一方で、昨シーズンの3ポイントシュートの成功率は38.9%と全盛期並みの数字です。全シュートの68%を3ポイントシュートが占め、同じく64%のシュートがドリブルをつかないキャッチ&シュートであり、若いチームメートからのパスを待つスポットシューターに変化しました。自分でプレーをクリエイトすることはありませんが、的確なポジショニング、そして時には全盛期と変わらぬ強気なシュートチョイスで苦しい時間帯に頼られるシューターになっています。
もう一つの特徴がディフェンスです。若い頃はガードとしてプレーしていたカーターですが、NBA全体の高速化とスモールラインナップの隆盛に対応するように、ビッグマンを守れる貴重なウイングディフェンダーに変化しました。若い頃のスピードは失われても、トレーニングを重ねている肉体は42歳になってもフィジカルで押し負けません。またリバウンド数2.6は多くないものの、堅実なボックスアウトも持ち味となっており、自身が高さで勝てなくてもしっかりとボックスアウトすることでチームリバウンドを生み出しています。
ラストシーズンを過ごすホークスは再建中で、42歳のカーターに次ぐ年長者が30歳と、非常に若いチーム。どこからでも3ポイントシュートを打つ機動力をつかったオフェンスを好み、効果的なオフボールムーブでスペースを有効に使うことを志向しています。
カーターが過ごした22年の間にNBAは移り変わってきましたが、その最先端にあるようなバスケットをするホークスで必要とされたのは、広がった空間を使うのが上手いトレイ・ヤングやジョン・コリンズがクリエイトするプレーで生じる、アウトサイドの穴を堅実に埋めるベテランの判断力でした。
脇役に徹してはいますが、若き日のカーターが今のホークスにいたらエースとして、広がった空間をドライブで切り裂くプレーを連発し、豪快なハイライトダンクを毎試合決めていたのではないかとも想像してしまいます。
オールスターで若手からダンクコンテストの出場を要請されていたように、あの豪快なダンクは誰もがもう一度見たいと思うもの。42歳になったとはいえ昨シーズンも15本のダンクを決めており、時に年齢を感じさせない動きもしています。現在の得意技3ポイントシュートを決めながらも、20年前と変わらぬ豪快なドライブダンクもラストシーズンには期待したいです。