岸本隆一

「ひたむきにシーズンを戦うことが、代表選出という結果に繋がっている」

トム・ホーバス新ヘッドコーチの初陣となるワールドカップ予選Window1に向けた代表候補メンバーには、前任のフリオ・ラマス体制下では代表に縁がなかったメンバーも多く含まれている。琉球ゴールデンキングスの岸本隆一もその一人だ。

岸本にとって前回の代表は2016年、実質的には若手主体のB代表だったジョーンズカップ出場だった。それだけに31歳になった彼が今回の招集に「年齢も上の方になりますし、驚きの方が大きかったです」と感じたのも無理はない。

『地元の星』として大きな期待を受け、大学4年時に特別指定で琉球に入団した岸本は、今シーズンでチーム一筋の10年目を迎えている。これまで3ポイントラインのさらに後方から沈める爆発力満点の長距離砲を武器に『琉球の顔』としてbjリーグ2度の優勝など数々の勝利に貢献してきた岸本だが、Bリーグ誕生後は大きな壁にもぶち当たった。

Bリーグ2年目が終了したところで、琉球は橋本竜馬、並里成と即戦力の司令塔を一気に2人獲得。これを受けてプレータイムは減り、それ以上に使われ方で序列が下がった。ゲームメークの安定感、ディフェンスの堅実さが足りないと見られ、3ポイントシュートが当たっている時は使われるが、そうではない時はここ一番の勝負ところをベンチで過ごすことも増えた。

この苦境で腐らず、自分の弱みと真摯に向き合ってきたからこそ今の岸本がある。「ひたむきにシーズンを戦うことが、代表選出という結果に繋がっているのかなと思っています」と、昨日の会見で語っていたが、コロナ禍で途中終了となった2019-20シーズン終了後には「この一戦が最後の試合になってもいい、後悔のないようにプレーするという思いを、毎試合、毎秒思っていました」と、悲壮な決意でコートに立っていた時期もあった。

岸本隆一

難病を乗り越えて人生観に変化、プレーの向上にも繋がる

このように自身を極限まで追い込んだからこそ得られたものはあったが、一方で今の彼のメンテリティは違う。2020年5月、指定難病の潰瘍性大腸炎であることを公表したが、そのことで人生観が変わったと以前に語っている。

「入院中や体調が悪かった時期を考えれば、『今がどれだけありがたいことか』とクヨクヨしなくなり、何事にも動じなくなりました。プレーできる喜びを毎日感じながら過ごせているので、そういったところで何が起きても一喜一憂しなくなったと感じています。日々、良いことも悪いこともあり、また明日は違う日になる。明日に対して希望を持って練習に取り組み、日々の生活を過ごしています」

このように気持ちをしっかり切り替えられるようになった岸本は、昨シーズンからプレーの幅を広げ、向上させてもいる。

オフェンスでは3ポイントシュートだけでなく、判断力の向上による効果的なドライブを繰り出している。記憶に新しいのは11月10日のシーホース三河戦で、この試合の琉球は外国籍選手が1人のみ、チーム全体でプレーできるのは8人だけと満身創痍の状況だった。ここで岸本は4点を追う残り1分にまず3ポイントシュートを決めると、さらに残り24秒には外角シュートを警戒する相手の隙をついてゴール下に切れ込んでゲームウィナーとなる左手でのシュートを成功させ、西地区優勝争いのライバルを74-72で撃破するヒーローとなった。

そして、何よりも大きな変化はディフェンスだ。岸本は言う。「ディフェンス力が上がったとは思ってはいないです。ただ、ディフェンスをしなければチームを勝たせられる選手にはなれない自覚は年々増してきて、そこは大きく自分の中で変化した部分かなと思います」

戦略的なファウルで相手のやりたいことをしっかり止める。そして時にはファウル覚悟の激しいプレッシャーで相手からターンオーバーを奪う。たとえファウルになってもその積極果敢なプレーで沖縄アリーナに拍手を巻き起こし、長距離砲だけでなく守備でも試合の流れを変えられる選手になったのだ。

岸本隆一

「地元の子供たちとバスケットの発展に少しでも貢献できるように」

年齢、これまでの代表とのかかわりを考えれば今回の候補入りは意外かもしれない。その一方で、琉球が多くの故障者を抱えながら11勝3敗の西地区首位でブレイクを迎えられた功労者が彼であることは確かだ。今のBリーグでパフォーマンスの良い選手としてトライアウトに呼ばれたことに不思議はない。

これから12名のロスター争いで生き残るには、富樫勇樹、ベンドラメ礼生の東京オリンピック代表組、Bリーグで2シーズン連続ベスト5と守備MVPの藤井祐眞、若手の齋藤拓実に寺嶋良と多くのライバルたちとの競争に勝たないといけない。そのためにはオンリーワンの武器をどれだけこの合宿で披露できるかで、本人もそれは理解している。

「コーチと少しお話をさせていただいた時には、自分が持っているスペシャルなプレーをどんどん表現してほしいと言われました。然るべきタイミングできちんとディープスリーとか自分の持ち味を出せたらいいという感覚です」

今回の候補入りは、難病を含めコート内外での様々な壁を乗り越えてきたからこそで、岸本には自分のことだけを考えてこのチャレンジを楽しんでもらいたい。ただ、本人には強く意識するものがある。「もちろん、沖縄で開催されるワールドカップに出場したいと意識はしています。地元の子供たちとバスケットの発展に少しでも貢献できるようにしっかり意識して取り組んでいきたいと思っています」

サイズの不利をスピード、シュート力で克服し、画一的でない個性豊かな選手を育てていくことこそ沖縄バスケットボール界が長年にわたって紡いできた文化だ。岸本はそれを体現する選手であり、琉球のフランチャイズビルダーとして絶大な支持を受けている。その彼が沖縄アリーナで日の丸をつけワールドカップのコートに立つことができたら、それは沖縄バスケットボール界、沖縄の多くのバスケ少年少女に大きな夢を与えられる。この目標の第一歩として、まずは仙台の地でA代表デビューを果たしたい。