昨年のユニバーシアードで50年ぶりの銀メダルを獲得するなど、ここ数年の女子大学バスケットボール界は着実にレベルアップを果たしている印象が強い。その大学女子界を牽引するチームが東京医療保健大学だ。昨年は関東大学女子リーグ戦、インカレを制覇しているが、実は2006年創部の新興チーム。その東京医療保健大を率いるのは、チームの誕生からかかわっている恩塚亨。同じく2006年から女子日本代表にかかわり、現在はアシスタンコーチを務める若き知将に、これまでのコーチングキャリアを振り返ってもらった。
「代々木体育館のコートに立ちたい」という衝動
──まずはご自身の現役時代について教えてください。筑波大学に進んだのは、指導者になりたいという思いがあったからですか。
そうですね。選手としてはそんなに才能もなく、あきらめていた部分もありました。それもあって、選手が熱い気持ちで学びながら成長していける環境を作ることのできるコーチになろうと思って大学に行ったんです。ただ、大学ではほぼバスケしかしていません。ユニフォームを着て、代々木体育館のコートに立ちたい。1分でも試合に出たいとの思いでした。
3年ぐらいの時からコーチングの勉強として実業団チームの練習を見に行っていましたが、とにかく大学ではバスケットに夢中で、練習の2時間ぐらい前から体育館にいたし、友達もバスケ部にしかいなかった気がします(笑)。
──大学卒業後は、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校で教員となりました。
もともとは地元の大分に教師として帰ろうと考えていたのですが、あまり勉強せずバスケットばかりやっていたので、採用試験に落ちてしまいまして……。それで当時の監督に話したら、OBが来られて千葉県の渋谷幕張高校を勧められたんです。「明日までに返事を」と言われ、何も決まっていなかったので受けることにしました。
──渋谷幕張といえば有名な進学校で、バスケの強豪ではありません。どんな指導をされていましたか。
みんな上手くはなかったですが、一生懸命やってくれました。ただ、生徒たちが急に熱心にやりだしたので、保護者の方々が「勉強させるためにこの高校に入ったのに」と不安になってしまい……。そりゃそうですよね。
子供たちが熱い気持ちでやるのはとても大事ですが、保護者を不安にさせてもいけない。そこである方に「自分の人生は自分で作っていくものだ」とアドバイスをもらい、今の状況に悩むのであれば違う道を考えたいと。高校でなく大学を選んだ理由は2つあって、まずはコーチとして代々木体育館のコートに立ちたかったこと。それと高校ではやればやるほど子供たちは熱い気持ちになりますが、保護者には困る部分もありました。求められていないことを人生で背負ってやり続けたら、自分の感覚が麻痺してしまうと思ったんです。
「緊張しながらも腹を決めたから今がある」
──かくして東京医療保健大の女子バスケットボール部がゼロからスタートして、大変なことがたくさんあったと思いますが、その中でも一番苦労されたのはどんなことですか?
立ち上げ当初は「本当に自分にできるのか」という不安が大きかったです。実績がないので、最初は高校の先生に挨拶に行っても「誰?」という感じでしたし、選手に声を掛けても来てくれません。来てくれるのは行き先のない生徒で、そういう子は高校時代にチームを背負っていたわけじゃないので、大学でバスケを続けるモチベーションが低く、その温度差が難しかったです。だから週に3回だった練習を4回に増やすのに、ファミレスで2時間説得したこともありました。それこそ2部に上がった時も「なんで1日2回練習しなきゃいけないんですか」と言われました。
──今では全国の強豪高校からも選手が入学して来ます。例えば桜花学園からも選手が来てくれるようになりました。
桜花学園のケースで言うと、最初は勉強のために練習を見学させてもらっている時に、井上(眞一)先生から「ちょっと教えてみて」と任されるようになったんです。井上先生が見ている前で教えるのは緊張しますが、そういう中で関係を作ったことで「指導してほしい」と呼んでいただけるようになって、その後は選手を取るのもお願いしやすくなりました。
なんで私がこういう話をするかと言うと、これからの人たちに是非とも伝えたいからなんです。「自分は実績がないからダメだ」と思う必要はありません。一流の方は実績とかではなく、その人の目線の先にあるものを見て、本当に頑張っている人にチャンスを与えてくれます。私がまさにそうでした。緊張しながらもチャレンジしようと腹を決めたから今があるんです。
それがスタートで、あとは信頼関係です。選手が欲しいとお願いするだけでなく、ちゃんと選手が成長できる環境を作る。それで恩返しをする。そういう中で信頼関係ができてくるんです。
「何のために勝ちたいのか」をあらためて考えて
──東京医療保健大は順調に成績を上げてきましたが、リーグ戦でもインカレでもあと一歩で優勝に届かない時期が何年か続きました。それが去年はリーグ戦、インカレの2冠達成。それまでと大きな違いがあったのでしょうか。
去年は春のトーナメントで2位でした。この時、私は代表のアメリカ遠征に行っていて、決勝の前日に帰国しました。決勝の相手は早稲田大で、全員が才能あるメンバーですし、前年に自分たちが決勝で破っていたこともあって、気迫がすごかったんです。ウチは圧倒されてしまいました。それで結構、強めに発破をかけたんですが、選手たちは「はあ?」みたいな感じで。その時の冷ややかな対応が、試合が終わった後も何日か頭から離れなかったです。
それで「何のために勝ちたいのか」をあらためて考えました。それまで自分の中で「勝ちたい」しかなかったのが、「一緒に成長しよう」、「頑張っている仲間と何かを成し遂げて喜びを分かち合おう」、「その瞬間が素晴らしいから頑張ろう」という明確な答えを持てました。
そのためにはチームに関わる全員が良い仕事をして信頼関係を持たないと、喜びを分かち合えない。だから試合に出ている、出ていないにかかわらず、一人ひとりができることを探してエネルギッシュなチームになっていきました。そういう軸ができることで、良くない時も最善を尽くし続けたことが、結果につながったと思います。
──インカレ制覇と頂点に立った時はどんな気持ちでしたか。大きな達成感はありましたか?
みんながうれしそうなことが一番良かったです。達成感はあまりなくて、正直ホッとしたっていう感じが大きかったですね。
──今年のチームですが、5位に終わった春のトーナメントを経て、リーグ戦、インカレへ向け重視した強化ポイントはありますか。
プレー面に加え、うまく行かない時の気持ちの切り替えといったメンタル面も含めてスピードを重視してきました。オフェンスは速さとチームワークを強調する。ディフェンスは1対1に磨きをかけつつ、さらにチームで手厚く守る方法で戦っていきたいです。