5月に他界した母へ金メダルを捧げる夢は実現できず
スペインの若き司令塔リッキー・ルビオには、大好きなバスケットボール以上に大切な存在があった。今年の5月、ルビオは母親を肺ガンで亡くしている。
昨シーズン開幕時期から病気が進行し、徐々に弱っていく母の姿を見続けたルビオは、シーズン中に遠征先のホテルで、「自分はここにいる意味があるのか?」と、プレーを続ける意味を自問自答し、苦しい日々を過ごしたと『AP通信』に明かした。
母親が元気だった頃は、試合を終えるとビデオチャットで会話することが多かった。勝敗にかかわらず、真っ先に母親の声を聞きたかったからだという。だがそれも、ガンの発病後はできなくなった。昨シーズンが終わるとすぐにルビオはスペインに帰国。約6週間、母親と一緒に過ごし、今年の5月25日、56歳の若さで息を引き取った母の最期を看取った。
失意のどん底を経験したルビオは、母の死から約2カ月半後に開幕するリオ五輪に、スペイン代表の一員として出場するかどうか悩んだ。16歳から代表でプレーしているルビオにとって、代表は自分を成長させてくれたチームであり、チームメートは皆、家族に近い存在だった。
悩みに悩んだ末、ルビオは代表チームに加わる決断を下した。その時の心境を、本人はこう振り返っている。
「自分にとって何がベストかを考えた」とルビオは言う。「家族と過ごすべきか、それとも金メダルという目標のために尽くして、母にメダルを捧げるかで悩んだ」
スペインのリオ五輪は、予想外の2連敗という波乱からスタート。ルビオは、これまでのキャリアと同様に重圧を背負っていたが、連敗後は何かが吹っ切れ、自分のプレーを楽しくやろうという気持ちが芽生えたという。それからスペインは3連勝で予選ラウンドを突破。準々決勝でフランスを破り、直近2大会続けて決勝で敗れているアメリカと準決勝で対戦したが、76-82で惜敗した。
ルビオには、亡き母に金メダルを捧げたいという願望以外にも、今大会に懸ける思いがあった。前のオリンピックイヤーである2012年の3月、NBAで1年目のシーズンをプレーしていたルビオは、試合中に左ヒザ前十字靭帯を断裂する重傷を負った。このケガでロンドン五輪への参加は不可能となり、家族のように慕う仲間たちが、決勝でアメリカに100-107で敗れる姿を黙って眺めることしかできなかった。
ルビオは、リハビリの初日、自分を担当するフィジカルセラピストに「4年後のリオ五輪に出場するためにヒザを治してほしい」と頼んだそうだ。それから五輪が話題になったことはなかったそうだが、ルビオが母の死を乗り越えて五輪参加を決めた後、トレーナーのもとには妻の分を含むリオ行きの航空券が2枚、ルビオから送られてきたという。
リオの準決勝で惜しくもアメリカに敗れたスペインは、同じく準決勝でセルビアに負けたオーストラリアと銅メダルを懸けて3位決定戦を争う。一番良い色のメダルを取ることはできなかったが、次の試合に勝てれば、天国の母に報告することができる。いや、勝っても負けても、墓前で語り掛けたいことはたくさんあるのだろう。
辛いリハビリを耐えてチームメートのために五輪に出場し、悲しみを乗り越え母にメダルを捧げるために出場した五輪は、ルビオにとって意味のある大会になるはずだ。