瀬戸山京介

Bリーグ開幕前夜の2016年オフ、33歳の瀬戸山京介は現役引退を決断した。2015-16シーズンのbjリーグでは在籍7年目の京都ハンナリーズで52試合に出場。試合を託すことのできるポイントガードとして評価は高かったが、もともと指導者を志していた彼は、京都の両洋高校の教員へと転身し、男子バスケットボール部を指導を始めた。あれから4年、激戦区の京都府に身を置く彼は、チームの土台作りに没頭している。どこまでも現実的な彼に、華やかなBリーグへの未練は全くない。ただただ今いる選手たちをどう成長させ、チームをどう強くするかを考えて、充実した日々を過ごしている。

「バスケだけやっていればいいという指導をするつもりはない」

──プロ選手として活躍していた時期から「いずれは教員としてバスケの指導を」という考えはあったのですか?

私は高校生の頃からプロバスケ選手と高校の教員が将来の夢で、それをベースに進路を決めていました。プロになるにはレベルの高いところでやる必要があるだろうと関東に行ったし、教員免許を取れる大学を選びました。現役時代も教員になりたい思いは持ち続けていました。小中高とバスケを教わる中で自分が成長してきたので、自分もそういう指導者になりたいという思いがありました。バスケしかやってこなかった人間ですけど、バスケを通していろんなことを教えてもらったので。

──それこそbjリーグからBリーグに変わって、環境が良くなるタイミングでの引退でした。悔いはありませんでしたか?

パフォーマンスが落ちているとは思わなかったし、まだ現役を続けることもできたと思います。ですが、その年に両洋高校から男子バスケ部の監督を探しているとの話をいただいて、強化に力を入れるし体育館も新しくできるとのことで、このご時世に環境が整ったところからのオファーはなかなかないと思ったんです。だから、このタイミングで引退するのは良い決断だと思いました。それほど悩むことなく、スパッと決めましたね。ただ、「これからバスケ界が盛り上がるタイミングで辞めるの?」という声はありましたし、両親からは「もっと続けてほしかった」と言われました(笑)。

地元は宮崎ですが、別にどこでやるかのこだわりはありませんでした。京都は長く契約してもらった場所ですし、京都のバスケットボールがもっと盛り上がるように、自分を必要としてくれるのであればそこで頑張りたいと思いました。

──両洋高校はどんな学校ですか?

全日制の普通科の学校です。いろんなスポーツが強化クラブとして活動している元気な学校です。勉強を頑張る子もいれば文武両道の子もいます。

──教員になればバスケ部だけ見ていればいいわけではありませんよね。学校の先生としての仕事は大変なのでは?

プロバスケ選手をやっていた時、私は「自分が好きなことを仕事にしていて、こんな楽なことはない」と思っていました。普通に社会人をやっている友達は、当たり前ですが普通に働いていて大変なわけです。だからバスケ選手ってすごい楽というイメージだったんです。その分だけ引退したら大変だと覚悟していたので、大変なのは当たり前だと思っています。

──プレーヤーから指導者に立場が変わり、高校生にバスケを教える上で何が大変で、何が楽しいですか?

選手は一生懸命に頑張ってくれるので、毎日体育館に行くのが楽しいですよ。ただ、「なぜできないのか」という違和感はあって、それを直すために自分の語彙力のなさとか伝える力のなさは痛感させられて、今もいろいろ考えながら指導に当たっています。

──京都人はよそ者に厳しいとか、独特な人間性があると言われますよね。馴染むのに苦労はありませんか?

そこは現役時代から京都に悪いイメージはなくて、独特な言葉のニュアンスとか伝え方があると言われますけど、私は田舎者なので言われたことを真に受けています(笑)。それに宮崎の訛りがあるので、訛りを出さないように話そうとすると、思ったことをパンと言わずに考えてしゃべることになるので、それが良いのかもしれません。宮崎弁だと良いことも悪いこともバンバン言ってしまいますけど、方言を出さないようにと考えればいろいろ整理して話すことになるので。もう京都での生活も長いので、訛りはほとんど取れたというか、京都人になってきたと自分では思っているんですけどね(笑)。

瀬戸山京介

「浜口炎さんのバスケが指導のベースになっています」

──両洋高校のバスケは自分が現役時代にやってきたバスケの影響を少なからず受けていますか?

ウチはセットプレーもいくつかありますけど、基本的にはモーションからズレを作って攻めることをベースにしています。それはハンナリーズにいた時に浜口炎さんがやっていたオフェンスで、それが自分の指導のベースになっています。

やるからには勝ちたいですし、そのために練習も一生懸命やるし、工夫もします。選手の時に気付かされたのは人間性の部分が大事だということで、当たり前のことを当たり前にできるようにしたいです。あとは勉強をやっておかないと将来の選択肢が狭まるので、選手たちには勉強も頑張るように伝えています。勉強もバスケも、当たり前のことを当たり前にできるようになってほしいです。勉強が頑張れればバスケも頑張れるし、上達すると思うんですよ。プロじゃないんだから高校生としてやるべきことにはしっかり取り組んで、その中でバスケも一生懸命やってほしいです。

──バスケで勝つことと、勉強も含めた人間育成の部分との兼ね合いは難しいと思いますが、どこを重視していますか?

私はやっぱり勝ちたいんですよ。でも、勝つためには勉強したり社会性を身に着けることは遠回りじゃないと思っているので、バスケ以外の部分もうるさく指導しています。京都はレベルが高く、就任してからずっとベスト16で、ベスト8が一つの壁で、そこを乗り越えるために練習して、ベスト8に入ったら今度はベスト4がすごい壁です。洛南、東山と当たるようになればまた全然違う次元になるのですが、倒すつもりで練習をしています。

ベスト8を目指すチームは上手く行ってもベスト8です。それはこの何年かで感じたことなので、せっかく一生懸命やるのであれば全国大会に出たいですし、そのためには2強を倒さないといけない。良い選手が来てくれればそこに近づけるかもしれません。でもウチにいる選手はウチで頑張りたいと来てくれているので、その選手たちの良さをもっと生かせるように私がもっと努力しないといけないです。

──目の前の目標としてはウインターカップの京都府予選があります。京都の男子の出場枠は2。洛南に東山と強豪がいる中で、何とかそこに割って入るのが目標なのか、もっと現実的なところを見ているのか。目標はどこに設定していますか?

洛南と東山が頭一つ抜けているのは事実ですが、3番手以降のチームもレベルが高くて、簡単に勝てないのが京都です。どのコーチも勉強しているし、それぞれのチームの味があって、どこと試合をやっても大変ですよ。もちろん、洛南と東山を倒すのが一つの野望ではあるのですが、私たちがどんな試合ができるかがまず課題であり、良い試合をどれだけ続けられるかがチャレンジです。

やっぱり毎年選手が入れ替わる中で、チームのカラーが変わらざるを得ないのが現状なので、まずは安定して戦えるチームにならないと、その次には行けません。いきなり良い選手がバッと集まって、ドカンと勝つようなことはないと思っています。もちろん全国大会に行くつもりで指導にあたっていますけど、チャレンジできるように足元を固めていく必要があります。結局、どこと対戦するかというより、まず自分たちがどう戦えるかですね。

──では、指導者としての自分自身のキャリアについて、この先のビジョンはどう考えていますか?

正直に言うとまだ全然イメージがないです。今いる選手たちがどうやったらもっと上手くなるのか、チームがどうやったら上に行けるのかと、とにかく今のことを考えてしまいます。もちろん、来年の春に入って来る今の中学3年生の子もいるので、彼らが入ったらどうなるか。チーム全体を見据えながら声を掛けて来てくれた選手たちなので、彼らそれぞれの将来をいろいろ考えているので、自分がどうなのかまで考える余裕がないですね(笑)。

瀬戸山京介

「プロでした、という肩書だけでは長くは続きません」

──これからBリーグでは多くの選手が引退するようになります。セカンドキャリアに関連する支援はまだ充実しておらず、選手それぞれが自分で準備していく必要があります。何をしたらいいか分からない選手にアドバイスできることはありますか?

ずっとバスケットだけやっている選手が多いと思うので、もっと外の世界に触れることが大事です。自分と同世代の人がどんな生活をして、どんな苦労をしているのか。地元の友達に聞く話が現実なんです。華やかなところでプレーしていると感覚がズレてくると思うんですよ。でも今の位置にずっといられるわけじゃない。むしろ引退してからの方がずっと長いです。

今は指導者を外部委託する部活も増えているので、バスケを教えたいのであれば教員免許にこだわらなくてもいいのですが、若い選手なら取れる資格は取っておいた方が自分のためになります。教員として部活に携われば、学校で生徒の顔を見て、部活で選手としての顔を見ることができるのが良いですね。普段の様子や表情、クラスでの様子やテストの成績まで見てずっと接することになります。バスケだけやっていればいいという指導をするつもりはないので、余計にバスケ以外のところが目に付きますね。

──悔いを残さず引退するのは難しいと思います。それができるための秘訣は何ですか?

ずっと単年契約だったので、現役時代を通じて「このシーズンで引退しよう」と決意していました。アイシンでは自分の能力任せのバスケをしていたし、まだ学生気分だった部分が多かったです。戦力外になった時に現実を突き付けられた気がして、ハンナリーズに入ってからは自分で毎年プレッシャーをかけてプレーしてきました。「今日引退してもいい」と思って毎日の練習ですべてを出し切って、そのレベルに達していなかったら後悔する。そうやって毎日過ごしていたから、高校から指導者のオファーが来た時にすぐに決断できたし、切り替えることができたんだと思います。

セカンドキャリアで悩んでいる人の多くが、今後バスケを仕事にしたいと考えますよね。でも、それが自分にしかできない特別な何かである必要があります。youtubeを見ればいくらでも出てくること、周りの人が普通にやっていることに特別な価値はないと私は思っています。自分自身が何を得意にしているか、それをどんなアプローチで他者に提供できるかで違いを出さなきゃいけない。プロでした、という肩書だけでは長くは続きません。仕事として続けたければ特別な何かである必要があります。

B1からB3までたくさんプロ選手がいる今は、ある意味ではすごく危険ですよね。これから引退したりカットされたりする人がたくさん出てきます。バスケの職業はまだ少ないし対価も十分ではなく、飽和状態のバスケから離れなければいけない人は、自分がどう生きていくか考えないといけないし、生活レベルを落とし、生活リズム自体も変えなければいけない。すごく大変ですよ。

──価値観を大きく変える必要があると思います。どういうマインドセットをすれば良いと思いますか?

私はプロバスケット選手の価値を過大に考えていなかったんです。今はメディアにもたくさん出るし、少なからず影響力のある選手はいると思うんですけど、実際に街を歩いてて声を掛けられるのは数人じゃないですか。そんなもんなんですよ(笑)。だから、自分が特別な人間じゃないというのがベースになります。コートを離れたら特別な価値があるわけじゃないから、偉ぶるわけじゃないし勘違いもしない。職業はプロバスケ選手ですけど、コートを離れたら普通の人間。まずそう考えるべきだと思います。

──では最後に、懐かしくこのインタビューを読んでいるであろう当時のファンの人たちにメッセージをお願いします。

引退して数年たちますが、こうして高校生と一緒にバスケットを頑張って毎日楽しく過ごしています。新型コロナウイルスの影響で大会があるかどうか分からなかったり、あっても無観客だったりモヤモヤしますが、毎年良いチームを作っていますし、見ている人が楽しめるようなバスケを目指しています。応援できる環境になれば是非応援に来てください。