文=小永吉陽子 写真=吉田武、Getty Images、野口岳彦
PROFILE 吉田亜沙美(よしだ・あさみ)
1987年10月9日生まれ、東京都出身。スピードあるゲームメイクとアグレッシブなディフェンスでチームを牽引する司令塔にして、日本代表とJX-ENEOSサンフラワーズの頼れるキャプテン。2013年、2015年アジア選手権ベスト5受賞。愛称はリュウ。

誰よりも「オリンピックに出たかった」日本のキャプテン

今でも鮮明に覚えている。昨年のアジア選手権(リオ五輪アジア地区予選)、予選ラウンド最終の中国戦。勝ったほうが1位で準決勝に進む大一番で、逆転シュートを決めたのがキャプテンの吉田亜沙美だった。

残り18秒、1点ビハインドで迎えたラストチャンス。タイムアウト後、残り10秒を切って日本の作戦が動き出した。間宮佑圭のスクリーンを受けた吉田がドライブを仕掛け、誰を使うのかと固唾を呑んだその時、吉田は190㎝台の大型選手をフェイクで飛ばし、鮮やかなステップインでゴールを射止めた。残り時間は3秒。

「ゴールまでの道に光が見えました」――と、のちに振り返ったそのシュートに、一切の迷いはなかった。

実は、この時の指示は「渡嘉敷(来夢)がドライブをする予定でした(笑)」と、吉田は内海知秀ヘッドコーチの指示を無視し、自分の判断で攻めたことを試合後に明かしている。厳密に言うと無視したというより、吉田は指示を途中までしか聞いておらず、最初から自分で行くと決めていたのだ。

「ゲームの勝敗はポイントガードにかかっているし、若い選手が多い中で自分にはオリンピック予選の経験がある。日本代表のキャプテンになった時から、すべての責任は自分で背負う覚悟でいました」

2005年、高校3年時に出場した東アジア競技大会で日本代表入りを果たした吉田は、今年で代表歴11年目のキャリアを持つ。オリンピックへの挑戦は北京、ロンドンと経て、今回のリオで3大会目の経験。日本が12年前に出場したアテネ大会以降の五輪予選をすべて経験しており、北京とロンドンはOQT(世界最終予選)にも出場している。これら5度の挑戦はすべて厚い壁に阻まれてきた。

特に悔しい思いをしたのはロンドン行きをかけた世界最終予選。ラスト1枚の切符をかけて最終戦まで進み、カナダと対戦したが完敗。号泣してしばらくその場を動けないほどだった。

「OQTで負けるということは、アジアで負け、世界予選でも負けることなので、どん底に突き落とされるんです。こんなにも悔しい思いをするなら、バスケを辞めてしまいたいとさえ思いました」

5度にわたる悪夢を、先輩たちの無念を、誰よりも知っている。そんな吉田だからこそ、昨年のアジア予選では「何が何でもアジアで切符を獲る」との決意だった。中国戦で決めた逆転シュートは光の道に導かれたのではなく、誰よりも「オリンピックに出たい」という強い意志が光の道を呼び寄せたのではないか。そう思えるほど、吉田の司令塔としての支配力はアジアで群を抜いていた。

アジア選手権での優勝が決まった瞬間、チームメートたちが12番の吉田に駆け寄った。

失意のOQTから立ち上がり、ケガを乗り越え、吉田は前に進む

ミニバス、中学時代からそのセンスが注目されていた吉田は、東京成徳大高時代にはすでに「将来の日本を背負って立つ司令塔」との呼び声が高かった。スピード感あふれるゲームメイクに、視野の広さから繰り出される鋭いパス。ダイナミックなドライブをしたかと思えば「ディフェンスが好き」と言ってのけ、前線から激しいプレッシャーを掛ける。何より光るのがボールへの執念。2009年のアジア選手権では誰よりも先にボールに跳び付き、ガードながらリバウンド王にも輝いている。

そんなスター街道を走ってきた吉田だが、これまで挫折がなかったわけではない。バスケを辞めようと思ったことが一度だけある。2014年2月、43年ぶりにアジア制覇に輝いた直後のシーズンに左膝を痛めたときだ。

「病院の診断で靭帯が切れていると聞いた時は引退しようと思いました」。そう言うまでに思い詰めてしまったのは、たとえ手術をして復帰したとしても、以前のようにコートを縦横無尽に走り回れる保証はなく、不安との闘いになることが目に見えていたからだ。

引退を口にするほど落ち込んだ吉田を救ったのは、JX-ENEOSの同期で親友である寺田弥生子だった。寺田はオペを勧めるわけでもなく、引退の意向を引き止めるわけでもなく、「リュウ(吉田)が辞めても誰も責めないし、自分で決めていいんだよ」と声を掛けた。当時、寺田自身も膝を負傷しており、リハビリをしても復帰が難しい状態にいた。そんな親友の言葉に吉田は気付かされた。

「自分はオペをすれば復帰できるのに、クゥ(寺田)は復帰したくてもできない。彼女がバスケができない時に自分は何でそんなことを言わせてしまったんだろうという思いから、彼女と一緒に復帰するつもりでリハビリを頑張りました」

懸命のリハビリの末に驚異の回復力を見せた吉田は、2015年1月にはオールジャパン(全日本総合選手権)のコートに立ってチームを優勝に導き、その年の春には日本代表に復帰し、初のキャプテンとしてチームを3大会ぶりのオリンピックに導いたのだ。

膝の怪我以降、スタミナに不安を抱えながら戦っていることは事実である。試合の終盤には、時折、辛そうな顔を見せることもある。けれどもコートに立つ以上、激しく走り回るスタイルを変えるつもりはない。

Never Stop――それが、吉田亜沙美のモットーだからだ。

「辞めたくなるくらいつらかった」という4年前の世界最終予選――敗戦直後のロッカールームでは、号泣する選手たちに内海ヘッドコーチが「選手である以上、前に進み続けてほしい」という言葉を掛けていた。

「あの時、すぐに現実を受け入れることはできなかったけれど、内海さんの言葉は私を立ち上がらせてくれました。『前に進み続ける』という言葉を自分なりに解釈し、『ネバーストップ』という言葉に置き換えて、心の支えにしています」

ケガをしたことは「決して良いことではない」と吉田は言う。10年間の代表生活では試合に負けたことのほうが多い。けれども吉田は「ケガをしたことで、自分はこんなにも多くの人に支えられていたのかと気付くことができ、今は感謝の気持ちを持ってプレーできる」と言い、何度もオリンピックへの壁に跳ね除けられたからこそ、「今度は絶対に自分がオリンピックに連れていくんだという気持ちで戦えた」と語る。誰よりも背負うものがある今、吉田亜沙美は前に進み続ける。

「リオでも40分間走り続ける日本のバスケを見せます!」

『ネバーストップ』という言葉を心の支えに、日本の司令塔、吉田は前進し続ける。

[女子日本代表 選手紹介]
vol.1 吉田亜沙美 NEVER STOP――キャプテンは進み続ける
vol.2 間宮佑圭 史上最強のインサイド陣を支える『我慢』の女!
vol.3 本川紗奈生 勝ち気な切り込み隊長、故障を乗り越えリオに挑む
vol.4 髙田真希 最強のシックスマン、リオで輝け!
vol.5 栗原三佳 修行の先につかんだリオでの『爽快シュート』