『B2降格』という最悪の現実を突き付けられてシーズンを終えてから1カ月──。秋田ノーザンハピネッツのキャプテン、田口成浩は「辛いシーズンでした」と振り返る。ただ、苦笑交じりで話せるぐらいに気持ちを落ち着かせることはできた。
「降格が辛かっただけでなく、過程も。間違いなくプロになって一番長く感じたシーズンでした」と話す田口に、Bリーグ1年目を振り返ってもらおう。
最後、ああいう形で負けたのもシーズンを象徴している
──60試合の長丁場になりましたが、試合数以上に長く感じたということですか?
長かったです。慣れない環境の中、水曜の試合もありました。全試合、勝ちが決まっている試合がなくて、常に全力を注いでいました。その中で結果的に負けが多かった。試合に勝つことができれば精神的には楽になれるし、それで疲れも取れるものです。逆に負けると本当に辛いというか、精神的に沈んで、立ち上がるのにすごくパワーがいります。その分、これだけ負けが続いて長く感じるシーズンでした。
──秋田はハードワークして善戦して、最後に力尽きて負けるイメージがあります。結果は出ないとしても、あっさり負ける試合が少なかったというか……。
それで勝てればいいんですけどね。5点差以内の試合が19あって、そのうち4試合しか勝っていないんです。確かにそういう試合が多かった印象です。最後、ああいう形で負けたのもシーズンを象徴している、自分たちが経験を生かして改善できなかった結果だと思います。それを今シーズンで得た経験にしようと自分は受け止めています。
──やはり精神的にも肉体的にも、シーズン終盤はキツかった?
最後の1カ月は負けられない試合が続いてキツかったですね。その前は良かったんです。名古屋ダイヤモンドドルフィンズとアルバルク東京、千葉ジェッツを相手に6戦4勝。そこでレバンガ北海道に勝てれば良かったところを、4点差と1点差で連敗して。仙台89ERSに2つ勝った後、栃木ブレックスに連敗してまた北海道に負けて。
「ここで頑張れば」というところで結果を出せずに抜け出せない。北海道に連敗した後が本当にキツいと感じました。残留圏内はキープしていましたが、精神的には追い掛けられる立場なのでキツかったです。
シーズン終盤になればなるほど東地区だと不利というか、地区の厳しさもありました。それは言い訳にしかならないんですけどね。前半戦や中盤の試合で勝てる試合に勝っておけば、そもそも別の展開になっていたはずです。終盤にしても「ここぞ」という北海道との試合とかを勝ち切っていれば、降格することもなくて、そこは自分たちの弱さだと思います。
力が拮抗している時に落ち着いた判断ができるかどうか
──接戦の展開を勝ち切れなかった原因はあるのでしょうか。5点差以内の試合で4勝15敗という結果は「ツキ」では説明できないと思いますが。
経験でしょうね。どこで抜け出せば勝つ可能性が高まるか。最後どこを守ろうとしているか、どこで攻めるのか。そういった面で経験のなさが出ました。力が拮抗している時に落ち着いた判断ができるかどうか、それがbjリーグの時とは全く違って、そこが響いたと感じます。
でも、それもシーズン序盤での失敗を生かさないといけないんですけど、それができなかったのも含めて実力でした。それが弱さだったんだと自分では受け止めています。拮抗した試合が多かったことから、「秋田は実力的には負けていなかったんじゃないか」、なんて言ってもらえますけど、その少しの差が本当に大きかった。だからこういう結果になりました。「本当に弱かったなあ」と今では思います。
──結果が出ないとチームがまとまるのも難しくなると思います。キャプテンの目から見て、チーム内のコミュニケーションは取れていましたか?
コミュニケーションできていたつもりです。ただチーム全体として、練習中にいろんな意見や思いを伝える場面はありましたが、そこで話し合ったことがうまく試合でのプレーに反映されたかと言えば……結果がこうだったので「できた」とは言いづらい部分があります。
──田口選手は1試合平均のプレータイムが32.4分、安藤誓哉選手は33.8分。2人がリーグのトップ2です。タイムシェアがほとんどできなかったことで、最後に競り負ける展開が増えたのではないかという印象があります。これは「自分がやるんだ!」という気持ちと「もうちょっとうまく回らないかな」という気持ち、どちらが強いものですか?
両方ありますね。自分が休んでいる時にうまく点が取れたり守れたりしていれば「やれ、このまま行け!」という感じになります。逆に悪い展開になれば「自分が行く」と思います。良い時間帯が短かったことが、僕を含めたスタートのメンバーが出ないといけない形になった、そういう面は確かにあります。
このトラウマが払拭できるのは「昇格できたら」
──接戦の最後に力尽きるパターンの最たるものが残留プレーオフの横浜ビー・コルセアーズとの試合でした。第3戦、勝っていたのに川村卓也選手にタフショットを決められ逆転負け。あの瞬間を振り返ることはできるようになりましたか?
正直、あのシーンは今も見れません。ただ、あの瞬間は結構覚えています。ちょっと前から話すと、第3戦の1クォーターにファウルを2つしてしまって、僕が川村さんに付くことができなくなっていたんです。それで最後のシーン、僕が先にハリーバックしていて、川村さんが一人でボールを持ってきたので、「これは間違いなく一人で来る」と思って逆サイドから思い切り行ったんですね。それをあの人は読んでいて、逆足にステップを踏んで打ったと思います。
僕としてはそこでダブルチームになれると思ったのですが、打たれてしまったので「あれっ」とは思いました。実際にどうだったかは映像を見ていないので分かりませんが、打たれた時点で「やられた」と。「外れてくれ」じゃなくて「やられた」と思いました。タフショットに見えて、あれは川村さんの世界ではタフショットではないと思います。あのステップは川村さんのうまさでした。
あのシーンで一番後悔しているのは、ファウル2個していましたけど、最後に自分がマッチアップする状況にしなかったことです。すべては川村さんの力でしたけど、自分が「やらかした」とも思います。
──ここまで映像を見ることができないというのは、やっぱり結構な精神的ダメージですね。
そうですね。テレビを見ていたり、SNSをやっていると、そのシーンがパッと出てくる時があるじゃないですか。そういう場合も、怖い動画を見る感じで目をそむけてしまいます。今みたいに、話すのは大丈夫なので、克服していないわけじゃないと思うんです。現実を見るしかないので、それはいいんですけど、やっぱり映像だけは(笑)。結局、このトラウマが払拭できるのは昇格できたら、だと思います。
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