文=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 山本千夏(やまもと・ちなつ)
1991年8月12日生まれ、千葉県出身。ドライブやアシストを高いレベルでこなす、オールラウンドな能力を備えたスモールフォワード。日本代表ではシューターを任され、クイックモーションから次々と放つ3ポイントシュートので流れを引き寄せる。

高校で求められた「考えるプレー」

今の私は、代表では3ポイントシューターで、チーム(富士通レッドウェーブ)に戻ったらオールラウンドなプレーが求められています。ポジションは基本的に3番(スモールフォワード)です。元々は2番(シューティングガード)で入ったのですが、今はメンバーがどんどん入ってきて3番をやるようになりました。今は「自分は3番の選手」という感覚があります。

中学1年の時、身長はもう170センチぐらいまで伸びていました。でもプレースタイルは今と全く違いました。中学の時はとにかく攻めることが大事で、ドライブでガンガン仕掛けるタイプで、外がない選手でしたね。

外からも打つようになったのは高校からですが、富士通に入った時もあまりプレースタイルは変わらなかったです。3ポイントシュートを打つ選手になったのは代表に来てからかもしれません。中学では走り込みなどの基礎をすごくたくさんやりましたが、高校に入ると頭を使って、考えてプレーするバスケが求められるようになりました。

それまでは単にドライブに行けばいい、ぐらいに思ってプレーしたのですが、高校は違いました。そのバスケットに慣れるまでは大変でしたね。色々と理解しているつもりでも、実際のプレーになると考えないまま勢いでやってしまって、よく怒られました。

部活をやっていた当時から、実業団の試合はよく見ていました。プレーを見て参考にするのはもちろんですが、それよりも高いレベルのバスケを見ることで良いプレーのイメージが沸いたり、自分の目標を高く持つことができます。

高校で考えるプレーが求められるようになると、それまでは「すごい」ばかりだった試合の見方も変わりました。流れを見るようになりましたね。今はゆっくりしたほうがいいとか、ここを使ったほうがいいとか。そういうことを考えて見るようになったのも成長だと思います。

もともと身体能力が高いとは思わないのですが、努力して身に着けたと言えるほどの自信はないです。富士通に入ってから、練習で記録が伸びるんだと実感したぐらいなので。短距離のタイムも、富士通のトレーニングをやるようになって明らかに良くなりました。

でも、練習はかなりやったと思います。スライドとかシャトルランとかのフットワーク練習は、中学校の時にすごく嫌だったのですが、逃げずに頑張りました。一番キツかったのは中学の時です。引退がかかっている時期に3連覇がかかっていて、それをモチベーションにしたので耐えられたのだと思います。

バスケ部の頃は日本代表でプレーするという目標は持っていませんでした。目標はもっと細かく設定するタイプなんです。実業団に入る時には「チームで試合に出られるように」で、試合に出るようになったら「勝てるように」とか、徐々に自分の目標を決めてきました。

「実業団の試合はよく見ていました」と言う山本。高いレベルのバスケを見てプレーのイメージを得ていた。

バスケット・グラフィティ/山本千夏
vol.1「みんな一緒にうまくなろう」
vol.2「目標は細かく設定するタイプ」
vol.3「挫折があるから次に頑張れる」