山本千夏が語るバスケ部時代vol.1「みんな一緒にうまくなろう」

2016/06/02
日本代表
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文=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 山本千夏(やまもと・ちなつ)
1991年8月12日生まれ、千葉県出身。ドライブやアシストを高いレベルでこなす、オールラウンドな能力を備えたスモールフォワード。日本代表ではシューターを任され、クイックモーションから次々と放つ3ポイントシュートので流れを引き寄せる。

なんか、比べられると勝ちたくなっちゃうんです

バスケを始めたのは小学校4年生の時です。仲の良い友達に「一緒にやろう」と誘われたので。その前には野球と水泳、あとは少しだけですけどテニスをやっていました。野球が一番長かったですね。少年野球の中に一人だけ女子が混ざってやっていました。

小さい頃から活発な子供だったと思います。外で遊んでばかりで、基本的に家で遊ぶということをやらない子供でした。

学校でミニバスをやりながら、学校とは別のところで少年野球のチームに入っていて、スイミングスクールにも通っていました。3つの掛け持ちだったので、バスケの上達はそれほど早くなかったです。最初は試合にも全然出ていませんでした。

でも、小学校の時は周囲の人たちがバスケにすごく燃えていたんです。休みの日にも自分たちで練習したり、中学や高校だけでなく実業団の試合をみんなで見に行ったりしていました。それで5年生ぐらいから、それまで勝てなかった地区大会で勝てるようになって、市でも勝てるようになりました。チームとして徐々に強くなっている実感がありました。

6年生になった頃には「県で優勝を目指そう」というぐらいのレベルになっていました。同い年の選手が10人もいて、全員が試合に出ていたので、「みんな一緒にうまくなろう」という感じがありました。私は引っ張るタイプではありませんでしたが、みんなに流されるわけでもなく、みんなで頑張って上達していった感じです。

それで東京成徳大学中学に進学することになりました。地元の中学に進まないのがどういうことか、深く考えてはいなかったですね。友達と別々になることや、通うことの大変さを考えずに、成徳から話をいただいた時点で「あっ、行きたいです!」と答えていました(笑)。

中学に入ると、やはりカルチャーショックはありました。朝練はなかったですが、それでも7時前の電車に乗り、着くのが9時間半でしたので。バスケ部のレベルも違いました。小学校の時も頑張っていたつもりですが、それとは比になりませんでした。入学前に練習を見学に行ったのですが、その時点で圧倒されました。信じられないぐらい走っていて、やっていけるかどうか不安になりました。

中学では同級生と同じポジションの2人組を作って、その相手と切磋琢磨すると言うか、ライバルみたいな雰囲気にされるんです。私は同じポジションの別のグループも見ながら、「この人たちに勝たなきゃ」と気合を入れて練習していました。意外と負けず嫌いなんですね。なんか、比べられると勝ちたくなっちゃうんです(笑)。

富士通レッドウェーブでチームメートの篠原恵選手とは中学からの付き合いで、高校、実業団と同じチームでプレーしてきました。付き合いは13年目ということになります。ベタベタするような仲良しではないですが、昔からずっと自分のことを知っているので、分かってくれる部分は多いです。私も彼女がバスケのことで落ち込んでいたりするとすぐに分かります。そういう意味では一番信頼できる相手ですね。

「バスケの上達はそれほど早くなかった」と言う山本だが、仲間と切磋琢磨しレベルアップしていった。

バスケット・グラフィティ/山本千夏
vol.1「みんな一緒にうまくなろう」
vol.2「目標は細かく設定するタイプ」
vol.3「挫折があるから次に頑張れる」