デリック・ローズ

グリズリーズとの契約を破棄してキャリアに終止符

デリック・ローズは2024-25シーズン始動を前に現役引退を決断した。昨年に加入したグリズリーズとは2年契約の2年目が残っており、現役を続けることは可能だったが、彼はこの契約を解除することを自ら申し出た。そして現地9月26日、彼は自分がプレーした6つの都市、シカゴ、ニューヨーク、クリーブランド、ミネアポリス、デトロイト、メンフィスの地元紙の広告枠を買い取り、「僕の初恋に感謝」と題したメッセージを掲載して引退を表明した。

「良い時も悪い時も僕を信じてくれた。他のすべてが不確かでも、常に僕の支えだった。愛が意味するものを教えてくれた。コートは僕の聖域となり、自分を表現する場所にしてくれた。一緒に過ごした早朝や深夜のすべてで、一滴の汗も無駄にすることなく価値を与えてくれた。どんな時でも頼りになって、迷った時にはいつも僕に何ができるかを思い出させてくれた」

「バスケットボールの試合だけでなく、人生や規律、努力、忍耐を教えてくれた。世界中が僕の敵になったように見えた時でさえ、無条件で僕のそばにいてくれた。僕らが一緒に過ごした時間を一生大切にする。別れを告げても大丈夫だと君は言った。人生がどうなるとしても、君が常に一緒でいてくれることが僕を安心させてくれる」

2008年のNBAドラフトで全体1位指名を受けてブルズに加入したローズは、キャリア1年目から爆発的な運動能力を生かしたオフェンスで見る者を魅了した。1年目にルーキー・オブ・ザ・イヤー、2年目にオールスター、3年目には史上最年少でのMVPと、主要な個人賞のほとんどを手に入れた。

しかし、キャリア4年目からはケガとの戦いが主となる。左膝の前十字靭帯断裂により2012-13シーズンを全休し、翌2013-14シーズンも10試合にしか出場できず。持ち味である爆発力を失い、2016年オフに予期せぬトレードを告げられた時にはショックで涙を流した。

ローズのキャリアの華やかな部分はブルズ時代に集約されるが、その後の8年間こそが彼の強さとバスケへの愛情を示した時間と言っていいだろう。多くのチームを転々とする中で常にケガと向き合いながらのプレーを強いられたが、彼は若いチームメートたちにプロフェッショナルとしてのお手本を示し続けた。

「一生懸命にやれば報われる。それが神様が作ったこのゲームの仕組みだ」という言葉をローズは繰り返してきた。それは「身体のケアではなくダンクすることばかりを考えていた」という自分自身の若い頃の反省であり、後進たちへのアドバイスだった。