名古屋ダイヤモンドドルフィンズ

名古屋ダイヤモンドドルフィンズのアスレティックトレーナー、三木友芽子はチャンピオンシップ進出を目指すチームとともに、もう一つの戦いに挑んでいる。脳震盪の後遺症だ。三木は実践学園バスケ部時代に、骨折からの回復が思わしくなかったところを治してくれたトレーナーがアメリカで勉強したと聞き、ネブラスカ州立大カーニー校へと進学。全米アスレティックトレーニング協会認定のアスレティックトレーナーの資格を取り、ルイジアナ州で大学バスケのヘッドトレーナーを務めた後に日本に帰国した。その後は複数のプロクラブ、JBAのサポートスタッフを経て、昨シーズンから名古屋Dに加わった。三木は「脳震盪の怖さを知ってもらいたい」と、今回の取材に応じてくれた。彼女の身に降りかかった『恐怖』は誰にとっても他人事ではない。

2020年2月、試合前のシューティングでボールが頭に当たる

──まずは名古屋Dで具体的にどんな仕事をしているか、またケガをした時のことを教えてください。

ケガは治療するだけでは治らなくて、姿勢や動かし方を矯正することがすごく大事です。私は治療もしますが、ここが痛いと言う選手の痛みの原因を探り、身体の動かし方を教えて痛みをなくすこと。今はこの動きができないから、ここに負担が掛かって痛みが出ますよ、そこを対処するリハビリをメインに、筋肉を鍛えるというより正しい動かし方を教えることを重視しています。

ケガをしたのは去年2月、アウェーの千葉ジェッツ戦の試合前です。シューティングでリバウンドをしていて、ペイントエリア内でボールを拾って立ち上がり、振り向いた瞬間に飛んできたボールがおでこにぶつかりました。ボールが当たるのはよくあることですし、それ自体は全然痛くなかったんです。脳震盪は頭をぶつけたからではなく、頭蓋骨の中で脳が揺れることで起こります。ボールが当たって、首がきれいに振られたんですよね。脳が揺れた瞬間、ほんの数秒は動けませんでした。私はもともと脳震盪について勉強していて、講習会の講師をやったこともあるので、自分で「これは脳震盪だ」と判断して、すぐにコートの外に移動しました。試合が始まった後は「何かおかしいな」ぐらいの感覚でした。

翌日に人と話しているうちに会話が噛み合わなくなっているのに気付いて、違和感はあったんですけど「まあ大丈夫だろう」と日曜の試合にも行きました。そこで無理をしたのが悪くて、その日の夜に自宅に戻った後に症状がドーンと来ました。頭がぐちゃぐちゃになって何も考えられなくなり、救急車を呼ぼうにも呼べず、「これはもう死ぬんだ」と覚悟を決めた瞬間に意識を失いました。気が付いたら朝で「ああ、生きていたんだ」と思いました。

──本当だったら、日曜の試合には行くべきではなかったと思いますか?

そうだと思いますが、トレーナーも試合になれば選手と同じぐらいアドレナリンが出るので、その時は判断ができませんでした。それと後で分かったのが認知能力にダメージを受けていたことです。アスリートも試合になると大きなケガをしても「大丈夫、行ける」と言います。私も試合で気持ちが入っていて、同じような感じでした。

──そこから病院で精密検査を受けたのですか?

前日の夜ほど悪くはなかったのですが、頭がフラフラしていました。その状況はアメリカでは『レッドフラグ』といって必ず救急車を呼ぶ状況なので、近くの脳神経外科にタクシーで行きました。ですが、ここが難しいところで、私が脳震盪になった選手に付き添って病院に行く時も、だいたいはMRIやCTをして「問題ない」と帰されることがほとんどです。ですがMRIやCTは出血しているかどうかは見れますが、脳震盪で脳の機能を失っているかは分かりません。私も「診察の範囲では脳震盪ではないだろう」と言われて帰されました。選手に帯同していたら、心配なのでもっと診てくれるよう説得するんですけど、そうする頭の元気がなかったので「自分に知識があるからコントロールすればいい」と思って家に帰りました。

名古屋ダイヤモンドドルフィンズ

「悪魔か宇宙人に頭の中を乗っ取られて、脳で誰かが暴れているような」

──それからすぐに新型コロナウイルスの感染拡大でBリーグは中断となり、そのままシーズン終了となりました。三木さんはどのように過ごしていたのですか?

ほとんど歩けない、会話もできない状態になってしまい、ずっと寝たきりで休養していました。そうするうちにシーズンも終わり、その間はチームの活動は全くしていません。私たちは選手と同じプロ契約なので4月に面談をする必要があって、それに合わせてリハビリをして、ようやく歩けるようになって30分の会話ができるようになったのですが、そこで記憶をどんどん失っていることに気が付いたんです。引き出しの中に知らないものが入っていたり、歩いていて気付いたら自分がどこにいるのか分からなかったり。それでようやく「これは自分一人では抱えきれない」と判断して、東邦医療センター大橋病院の中山晴雄先生という日本の脳震盪の第一人者であるドクターのところで6月に精密検査を受けました。

検査の結果、前頭葉、頭頂葉に影響があることが分かりました。認知機能、判断力、思考の整理や計算だったりの部分。会話が噛み合わないのも、言いながら話す内容を忘れてしまったり、あとある程度は先の予測をしながら会話をするのに、その認知機能が欠けていたからです。そこから少しずつできることが増えていますが、今も50から60%といったところです。足のケガが治りつつあってもやりすぎるとまた腫れてしまうのと同じで、できることが増えて頑張っちゃうとまた症状が出たり。空間認知機能がないからテーピングも巻けなかったですし、ひどい時には歩いていてドアにぶつかることもありました。

──今はトレーナーとしての仕事はどのようにされているのですか?

チームの練習には毎日行っていますし、試合にも帯同しています。ただ、近くで激しい動きを見ると情報がたくさん入りすぎて頭がパンクしてしまうので、練習でも試合でも選手の動きは見ていません。練習前に選手を診て、練習中は休んで、練習後には私の調子次第で選手を見ています。試合前には私がチェックしなければいけない選手がいるので診て、動画なら見られるので試合は動画でチェックして、動きのおかしな選手がいれば後で診るようにしています。それでも今はすごく良い先生に出会って良いリハビリができているので、練習では休憩を取りながら、アメリカの専門医の指示の元、特別なメガネをかければ少しづつ見れるようになっています。トレーナーとしてできることを少しずつ取り戻していきたいですが、気持ちが先行してやりすぎちゃって寝込むこともあるので、少しずつですね。

それでも夏までは、発作のように突然パニックになることがありました。ホラー映画で悪魔か宇宙人に頭の中を乗っ取られて、脳で誰かが暴れているような。それはだいたい無理をした日の夜で、頭を抱えながら叫んで、でも叫んでも仕方ないからタオルを噛みしめて落ち着くのを待つような。それは本当につらかったです。

脳震盪は今も明確な治療法がなく、手術で治すことも薬で症状を緩和することもできません。それは自分でも理解しているので、誰かに言っても仕方ないし、ただ耐えていました。それが10月ぐらいからまだ普通にではありませんが働けるようになっています。

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「いつでも誰でも脳震盪になる可能性はあります」

──この取材を通じて、読者の皆さんに伝えたい思いがあると思います。それを聞かせてください。

まず個人的には、脳震盪について知られていないとすごく感じました。悪気のない言葉ではありますが、「眩暈がするだけでしょ」とか、選手は脳震盪のガイドラインで1週間で戻ってくるので「普通は1週間か、長くても2週間で治るものでしょ」と言われたのがすごくつらかったので、今後そういう人が出ないためにも脳震盪のことを伝えたいと思いました。スポーツをやっていなくても、いつでも誰でも脳震盪になる可能性はあります。それでこんなに苦しい思いをするし、場合によっては死にも至ります。私のように1年以上続くかもしれないし、治らないかもしれない。誰にでも起こり得るし、簡単なものではないことを知ってほしいです。

私ほどの症状ではなくても、脳震盪になった選手に対して「本当に脳震盪なのか」、「サボってるんじゃないか」と軽く見ないでほしいし、当の本人にも「1週間で治るだろう」という浅はかな判断はしてほしくありません。海外では長く症状を抱えてしまった人の自殺が増えて問題になっています。まず脳震盪だと理解しない限りは先に進めないので、その疑いがあれば「ただの偏頭痛かな」で済まさず、脳震盪の危険性を疑ってほしいです。

私はひどい症状になりましたが、ラッキーだったのは自分がアスレティックトレーナーだったことで、知り合いを通じてそれぞれの分野で日本のトップの病院で診てもらっています。また今はアメリカの有名なドクターにZoomで診察してもらい、認知機能の回復も進んでいます。それでここまで回復できたし、今も少しずつですが良くなっています。一時期は「なぜこれだけリハビリをちゃんとやっているのに良くならないんだ」と思っていましたが、今は「これだけリハビリをちゃんとやっているおかげで、こうやって少しずつ良くなっている」と思えるようになっています。

たまたまyoutubeで、アメリカの人工知能研究者が脳震盪になった自分の経験を話す動画を見ました。文字の読み書きができない、暗記ができない、記憶が飛ぶ、いろんな情報で頭がパニックになる、というのを聞いて「自分と同じだ!」と思ったんです。私の症状は今まで学んできた脳震盪の症状とは違って、自分が人間じゃないみたいな感覚もありましたが、誰にも理解してもらえない自分の症状を話してくれる人がいたのがすごくうれしかったです。私にはそれが励みになったので、この取材がケガで苦しんでいる人の励みになればと思います。この経験がいつか誰かの役に立ってほしい。「脳震盪って怖いな、油断できないな」と皆さんが感じてくれればと思います。