文・写真=泉誠一

180度変わった菊池のバスケットボール人生

Bリーグ誕生により、長くバスケットを続けてきた選手たちに劇的な変化が訪れている2016年。完全プロ化となったトップリーグに対し、「だいぶ気持ちの面が変わりました」と言うのは、10年目を迎えるアルバルク東京の菊地祥平だ。

日本大学卒業後、2007年より東芝ブレイブサンダース(現・川崎ブレイブサンダース)に入団。当時はバスケと社業を両立していた。現在32歳の菊地は、日本が誇るツインタワーである竹内公輔(栃木ブレックス)、竹内譲次(A東京)とともに2007年ユニバーシアードで世界4位になった黄金世代の一人。ルーキーシーズンから主力として活躍し、2009年には香港で行われた東アジア競技大会に出場。黄金世代の仲間たちとともに銅メダルを日本に持ち帰る。順風満帆かと思われたバスケ人生だったが、その後はケガなどにも見舞われ、次第に出場時間が減っていった。

低迷する状況下、当時はA東京のアシスタントコーチだった伊藤拓摩(現ヘッドコーチ)から声がかかる。菊地の言葉を借りれば「トヨタが拾ってくれた」。リーグがJBLからNBLに変わった2013年、A東京の前身となるトヨタ自動車アルバルク東京への移籍を決断した。

「あのまま東芝に残っていたら、もう引退していたと思うし、そこれこそバスケにはかかわっていなかった可能性がありました」

風前の灯火だった菊地のキャリアに、伊藤ヘッドコーチがもう一度油を注ぎ、再燃させてくれた。こうして菊池は晴れてプロリーグの舞台に立つことができている。

引退が頭をよぎっていた東芝時代とは違い、今では伊藤大司、同期の正中岳城とともにキャプテンを任され、先発出場を続けている。「もう180度変わりましたね」という現状に、菊地自身が目を丸くしていた。

新加入選手もベテランも『変化に対応しつつある』状況

今シーズンは新たに6選手が加入し、チームは様変わりした。菊池は言う。「昨シーズンまでは長く一緒にプレーしていたこともあり、声に出さなくてもお互いに分かってできていた部分がありました。しかし今シーズンは選手が代わり、その部分の再確認というか、細かいところまで声を出そうと言ってます」

特に日本で初めてプレーするディアンテ・ギャレットとトロイ・ギレンウォーターには一から教えてきた。「当初はアルバルクというチーム自体も知らない状況でした。チームとしてどこを頑張れば良いかを示すのに1カ月間かかりました」

新加入選手にとっては、ようやくチームカラーが浸透してきたところ。これまでA東京にいた選手にしても、新たに覚えなければならないことは多い。

「bjリーグは2試合くらいしか見たことがない。知らない選手が多い中で、より早く対応しなければならないです。第1クォーターの5分くらいで相手選手がどういう特徴を持っているか観察する能力も、今シーズンは問われてきます。コートで対戦してみて分かる部分と、ベンチで観察して仲間たちに伝える役割も僕にはあると思っています。観察することも重点に置いて今シーズンはやっています」

ベテランにとってもBリーグは初めての環境であり、経験値を積んでいかなければならない。それはヘッドコーチも同じであり、試合が終われば選手たちに意見を求めてくる風通しの良さがA東京にはある。

「ヘッドコーチは意見をすごく共有してくれる人。僕も意見を言わせてもらっていますし、すごく良い信頼関係ができています」

ファン+選手+運営の意見を取り入れ、より良いホームへ

初めて迎えた代々木第二体育館でのホームゲームは、チームカラーの黒と赤で統一されていた。「照明の間隔を空けて周りを暗くしたり、ファンもタオルを回してくれたり、運営側も新しい取り組みをしています」と菊地も満足のホームでの初戦を終えた。

ヘッドコーチが選手に意見を求めてチームを向上させ、これまでと変わらずに強いチームを作っている。運営側も積極的に菊地ら選手たちの意見に耳を傾ける。「ファンの方からもいろいろなご指摘が下りてくるので、ファンと選手と運営の3つの意見を取り入れている」とのこと。変わらぬ強さを求めるA東京だが、ホームアリーナをより良くしていくためには柔軟に変化させていく姿勢が見られる。

このインタビュー時、菊地の周りをかわいい愛息がチョロチョロと走り回っていた。「今はまだ小さいので記憶に残っているかは分かりませんが、もう少しきちんと記憶に残るくらいまで身体を張って頑張っていきたいです」と話す。バスケ人生はまだまだ続いていく。