稲垣愛

BリーグのU15、中学校の部活、クラブチームとカテゴリーを超えて日本一を争うJr.ウインターカップ。今年1月に行われた第1回大会に、メリノール学院中学校は男女ともに三重県の代表チームとして参加。男子は3回戦進出、女子は優勝を果たした。驚くべきは2017年に創部したばかりのチームであること。ただ、男子の山崎修コーチ、女子の稲垣愛コーチともに実績も意欲も十分。2017年の創部から、エネルギッシュに日々の指導にあたる稲垣コーチに話を聞いた。

子供たちの「全国優勝したい」の声にどう応えるか

──まずは稲垣コーチの経歴、バスケットボールの指導を始めてメリノール学院に来るまでの経緯を教えてください。

私は四日市の出身で、実家も自宅もすぐそばです。地元の中学校、高校と進み、高校では県の2位になりましたが、強いチームを選んだわけではなく近いから通うことにした高校で、私の代だけ強いチームでした。1つ下の後輩は全中に出た経験があったんですけど、私と同級生とあとの2人は初心者で、そのうち2人は中学までバレーボール部でした。忘れもしないのは東海大会で名短(名古屋短期大学付属、今の桜花学園)との試合で130-30ぐらいで負けたんですよ。その試合で出来が良くなかったんでしょうね、桜花は残り10分まで主力がずっと下がらずに「マジか!?」と思いながらプレーしました。その試合で私は18得点を取って、今でも井上眞一先生に自慢するんです(笑)。

その後は愛知大に進み、3年と4年の時に東海学生のアシスト王になり、4年で初めてインカレに出ました。その後は仲の良い選手とクラブチームを立ち上げて国体でプレーしています。そこから国体成年のスタッフをやっているうちに、恩師が教頭先生をしている朝明中バスケ部がそれまでの指導者が異動でいなくなったということで、保護者の要望で外部コーチをやるようになりました。

私は仕事をしながら朝明中の外部コーチを始めたのですが、子供たちが「全中に出たい、全国優勝したい」と言うんですよ。その気持ちに応えるには、私がこんな中途半端じゃ絶対ダメだと思いました。祝日が休みじゃなかったのでチームを見れなかったし、平日も仕事でなかなか見れません。子供が真剣にやっているのに私がこれじゃ申し訳ないと思って仕事を辞めたんです。娘が小学校に上がるからという一応の理由を付けていましたけど、家族に嘘をついたようなものです(笑)。そうして1年間やっているうちに県立高に非常勤講師で入れていただくことになりました。お世話になった県立高では、私のこんな性格(笑)を評価していただいて、いろいろなタイプの生徒対応ができると非常勤から常勤になりました。

メリノールからは最初、高校の指導者としてお話をいただいたのですが、私は高校には全く興味がないのでお断りしたんです。そうしたら数日後に「では中学の指導ではどうですか」と打診いただきました。私は指導に専念するために会社員を辞めたぐらいなので、メリノールに来れば子供たちと過ごせる時間がもっと増えると思い、引き受けることにしました。

それに朝明中では外部コーチで、日常を見ているわけじゃなかったので。子供たちにずっと言っていたのは、「私の見ていないところが一番大事。そこでのごまかしは絶対コートに出る」です。実際、私のいないところでもちゃんとやる子は結果も出ます。子供たちをより身近で見られるのはありがたいと思いました。

稲垣愛

「子供を本気にさせられるのは指導者だけ」

──中学生年代の子供たちにバスケを教える上で、一番面白いと思う部分はどこですか?

私はバスケットボールを教えるというより、子供と一緒にバスケットをするのが楽しかっただけなんです。一番初めに見た子たちの指導が本当に楽しかった。その子たちはめっちゃ下手だったんです。地区でベスト4ぐらいで、全中なんか絶対無理だと思ったんですけど、なんせ目をキラキラと輝かせてバスケをしている。下手だけど、教えたら教えただけ毎日上達するんです。高校に興味がなくて中学で指導したいのは、中学って成長の幅がすごく大きいんですよ。そこにクラクラしちゃって、自分が虜になっちゃった(笑)。ただただかわいい。あの子たちがいなければ、間違いなく今の私はいません。

──公立の中学から私立のメリノール学園に移りました。最初に苦労した点はありましたか?

この話を受けるにあたって、子供や保護者に伝えなくてはいけない。子供が「行きたい行きたい」と言いだせば、親にとっては経済的な負担になるので、私は転校して来いとは一言も言いませんでした。メリノールに行く話は先に保護者に伝えたのですが、その場で「ウチの子は行けますか? 編入試験は大丈夫でしょうか」と言うんです。「よく考えてください、お金がかかりますよ。制服もまた新たに買わなきゃいけないです。受かるか受からないかは分かりません」と言ったんですが、「子供が楽しんでひたむきにバスケをやらせてくれる愛コーチがいなくなるのは耐えられません。行くとか行かないの議論ではないです」と言われてしまって。「この人たち、すごい」と思いました。結果、ほぼ転校して来ました。

4年目で全国優勝できたんですけど、それこそ今まで勝たせてあげられなかった1期生の親御さんから優勝を喜ぶLINEや電話をいただいたのは本当にうれしかったです。

──子供たちがバスケを通じて成長することにこれだけ夢中になれる、その性格はもともとのものですか?

分からないですけど、指導者として駆け出しの頃に若水中の杉浦裕司先生、ポラリスの大野裕子先生、八王子第一中の桐山博文先生には大事にかわいがって指導してもらえました。子供を本気にさせられるのは指導者だけ。それは3人の先生方から学んだことです。自分の名誉や地位じゃなく、本気で子供と接しているか、バスケットと向き合っているか。先生たちが本当に愛情たっぷりに子供たちに接している姿を間近で見られたことが大きかったんだと思います。

稲垣愛

決勝は延長戦に「やったよ、まだ試合できるじゃん!」

──それでも、子供たちの「全中に出たい、全国優勝したい」の気持ちに応えるには結果が必要ですよね。

結果は大事ですが、「結果って何だろう?」とも思うんですよ。全中に出場しなくても子供たちがすごく頑張って、良いチームにしてくれたと思う年もあって、それも一つの結果だと思います。例えば今回のJr.ウインターカップで言うと、ユニフォームを着れなかった3年生がいました。1、2年生にも本当は全国の舞台を見せてあげたかったんですけど、すぐ新人戦があるのでそちらを頑張りなさいと三重に残して、3年生だけ連れて行きました。

コロナ対策でホテルも別々にしていたんですけど、その3年生が夜な夜な、試合に出る選手に見せるプラカードを作っていたんです。それを見た時に「こいつらめっちゃ良いヤツだな! すごい!」って。年末最後の練習で大掃除をした時にも、全員が手を真っ赤にして掃除をしていました。3年生で最後の大会にエントリーできない子たちがそれをやっているのを見て、「今回は勝てる」と思ったし、「勝てるっていうか、勝たせてあげたい」と思いました。

──『笑顔でやりきる』を目標に掲げていました。これは何に対しての『笑顔』なんですか?

負けてもやりきってくれたら良いんです。それだったら最高の笑顔で終われると思います。朝明中で広島全中に出た時、決勝トーナメント1回戦で高見中に7点差で負けたのですが、24点差から7点差まで追い上げたんです。試合が終わって泣いていた選手に、「泣く必要はないよ、ナイスゲーム! よく頑張った、楽しかったね!」と大きな声を掛けたら、みんなの泣き顔がニコニコに変わったんです。そういうゲームをもう一回したい、勝ち負けにかかわらずやりきって、楽しかったという大会にしたいという気持ちがあります。

今回はコロナで何もかもなくなってしまい、Jr.ウインターカップも開催まで、大会関係者の方々が本当に大変な思いで開催してくださったと思うんです。みんな大変な思いがあって、そんな中でたくさんの先生方がLINEや電話をくれて応援してくれた。みんな応援してくれるんだから、泣いてる暇なんかないじゃないか、とは思いました。だから決勝で延長に入る時も、「やったよ、まだ試合できるじゃん!」と子供たちに言いました(笑)。こんなに良い舞台でこれだけ良い試合ができているんだから、思いきって楽しんでこい、って。途中のタイムアウトでも「もう一回延長でもいいんじゃない?」と言いたいぐらい子供たちの表情も良くて。それだけ楽しむことができたので良かったですね。