古川孝敏が語るバスケ部時代vol.1「ライバルに負けたくない一心で」

2016/08/16
Bリーグ&国内
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文=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 古川孝敏(ふるかわ・たかとし)
1987年10月20日生まれ、兵庫県出身のシューティングガード。激しいディフェンスと冷静なシュートを兼ね備え、いつもアグレッシブなプレーでチームを牽引する。2011年に日本代表デビュー。28歳にして今なお発展途上の努力家だ。

ライバルに負けたくない一心で

僕は3ポイントや外からのシュートを得意としています。また、激しくアグレッシブにプレーするところも見てもらえると魅力に感じてもらえるんじゃないかと思います。でも、部活でバスケをやっていた頃は、シュートは好きだったし得意だと思っていたけど、ポジションが違いました。高校ではインサイドをやっていましたから。

バスケを始めたのは、引っ越しがきっかけです。それほどバスケに興味があったわけではないのですが、引っ越した先の小学校の友達がみんな優しくて、転校生の僕に「一緒にバスケットをやろう」と誘ってくれたんです。それでミニバスを始めたのが小学校4年生の時で、今に至るまでずっとバスケです。

子供の頃から特に活発というわけではありませんでした。親は「あまり家にいなかった」と言うし、家にこもるタイプではなかったのですが、体を動かすのもそんなに好きじゃなかったし、勉強も嫌いでした。ミニバスも月に2回の活動です。バスケを誘ってくれた友人が剣道をやっていて、親の勧めもあって剣道を週2でやっていたんですが、痛いので大嫌いでした。あの頃は特別なことは何もない、友達の家に行ってはゲームばかりしている子供でした。

背は高いほうでしたが、背の順だと「どちらかと言うと後ろのほう」ぐらいです。中学に入ってから徐々に伸びて、中学を卒業する時には182センチ。高校でも7センチほど伸びましたね。

身体能力もないわけではないんですが、圧倒的ではなかったです。中学3年生で神戸市の選抜に入りましたが、補欠組でした。選抜に入れたという点で、他の人より上のステップにいたのかもしれませんが、僕としては試合に出れない悔しさのほうが強かったです。この「負けたくない」という気持ちは、高校になってもっと強くなりました。選抜メンバーとはバラバラの高校に入るんですが、彼らに負けたくないって一心でやっていました。

今では科学技術高校という名前に変わりましたが、当時の御影工業高校は結構スポーツに力を入れていて、工業の勉強をする生徒もいれば、スポーツを結構やる生徒もいる学校でした。

バスケ部時代で上達したと実感できたのは、高校に入った時ですね。高校になるとバスケ目的で入学してくる生徒も多くて、体のサイズからして全然違いました。最初は付いていくのに必死でした。そこで毎日食らい付くぐらいの勢いでバスケをやったのが、一つ大きなところだったんだと思います。

大学になるとさらに必死にならなきゃいけませんでした。「あの人たちにどう食らい付いていくか」を考えて一生懸命にバスケをやっていましたね。そういうところで激しく、常に全力でやる、というのが僕の唯一の取り柄だと思っています。

バスケ部時代、厳しい練習を続けてこられたのは、単純にバスケが好きだったからでしょう。あとは、「やめたら自分の負け」という感覚がありました。やっていれば大変な事や厳しい局面もありますが、バスケが好きでここまでやってきているんだし、「ここでやめたら俺の負けだ。絶対にあきらめずに最後までやってやる」という精神で。特に高校の時はそういう気持ちが強かったです。「負けたくない」という気持ちが僕の原動力でした。

「ここでやめたら俺の負けだ」という気持ちで、古川は厳しい練習を続けてきた。だが、その根底にあるのは「単純にバスケが好き」という思いだ。

バスケット・グラフィティ/古川孝敏
vol.1「ライバルに負けたくない一心で」
vol.2「厳しい中でも皆と過ごせたことが一番」
vol.3「強いだけでなく良いチームでやりたい」
vol.4「トップの選手こそ工夫をしている」