文=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 間宮佑圭(まみや・ゆか)
1990年4月3日生まれ、東京都出身。力強さとしなやかさを兼ね備えた日本代表の不動のセンターで、184センチの身長を生かして攻守を支える。センターながら精度の高いミドルシュートも武器としており、俊敏さを生かして得点を量産する。

姉のミニバスをきっかけに始めたバスケット

私がバスケを始めたのは姉の影響です。3歳年上の姉がミニバスのチームに入っていて、その練習についていったのがきっかけで、私もミニバスを始めました。本当は小学3年生からなんですが、兄や姉がいる子は2年生からでも入れてもらえたので、私は2年生で始めました。

その時には身長がポーンと大きかったし、コーチの方々も欲しいと言ってくれたんです。でも、本気でバスケをやるという感じではありませんでした。姉が見せてくれたバスケットが面白そうで、小学生ならではの「私も私も!」という感じだったと思います。

運動神経が良かったかどうかは分かりません。背が高かった分、体育の授業で跳び箱なんかは得意でしたが、スポーツ万能だったかな? そう言われてみれば、そうかもしれません。でも、バスケ以外は運動音痴みたいな自覚もあります(笑)。

小学2年でバスケを始めて、それからずっとバスケを続けています。でも、他のスポーツも少しぐらいはやっておけばよかったと思うこともあります。バスケをやらないわけじゃなくて、バスケ以外のスポーツをやらないと身に着かない動き方もあったんじゃないかと。特に小さい頃に、そういう別のスポーツにチャレンジしてても良かったと思います。

本気でバスケに取り組むようになったのは、中学生になって東京成徳に進学してからですね。ミニバスで都大会に出られるぐらいになって、当時で身長は170cmを超えていたので、冗談で「スカウトされちゃうんじゃない?」とふざけた感じで友達と話していたんです。強豪校に行きたいという気持ちが強くあったというよりは、「スカウトみたいな話って本当にあるのかな?」みたいな、ミーハーな感じですね。

ギリギリまで声が掛かることはなくて、地元の中学校に行くつもりになったところで、東京成徳から誘っていただきました。そこまで重く考えていなかったので、実際に声が掛かってから悩みました。今までやってきたメンバーと地元の中学に行き、どこまでレベルアップできるか試したいという気持ちもありました。

バスケを始めた小2から背が高かったという間宮。小6の時には170cmを超えていた。

この先にどういう世界があるのかを見たくて

身長は高かったですけど、それ以外はまだまだ全然でしたから。食が細かったので体が細く、技術もなかったですし。地区大会だと同じぐらいの身長の相手がいないので、パスをもらって振り向いてシュート、だけの選手でした。都大会に出場するようになって、「こんなに大きい人がいるんだ」みたいな驚きがありましたね。そこでまず一つ、バスケットの世界の広さを知りました。

親も見守るタイプで、相談には乗ってくれなかったんですよね。結局、親が決めたら、自分が辛くて逃げ出したい時に、それが一つの言い訳になってしまいます。「私は別に行きたくなかったのに、お父さんとお母さんが決めたんじゃん」とか。だから私の親は「あなたがちゃんと一人で決めなさい」という姿勢でした。

自信はありませんでした。でも、東京成徳に行くのはチャンスです。悩んだ末に、滅多にないチャンスをつぶすわけにはいかない、と考えました。それで最終的に自分がどこまで行けるか、この先にどういう世界があるのかを見たくて、東京成徳に行くことを自分で決めました。

全国的な強豪校へと進むかどうか悩む中、自信はなかったが「チャンスをつぶすわけにはいかない」と東京成徳への入学を自分で決めた。

バスケット・グラフィティ/間宮佑圭
vol.1「スカウトされちゃうんじゃ? とふざけていたら」
vol.2「カバンに『退部届』の封筒を忍ばせて」
vol.3「周囲の人をどう支え、どう引っ張っていくか」