モチベーションなき代表招集
5月27日から6月4日の期間、静岡県の清水ナショナルトレーニングセンターにて車椅子バスケットボール女子日本代表の第1回強化合宿が行われた。リオパラリンピック出場を逃し、4年後にやって来る東京パラリンピックへ向けた第1歩とはいえ、「ほんまはどういうモチベーションで行けば良いか分からなかった」と言う網本麻里は、今年の代表活動辞退を申し入れていた。しかし返って来た答えは、候補選手全員への参加命令だった。
リオへ向けた女子日本代表は、橘香織ヘッドコーチが一人で切り盛りしてきたが、新たに長野志穂がアシスタントコーチに迎え入れられた。「新体制になり、コーチ陣がその思いを話しました。具体的なんですが、アバウトなんです」という印象を網本は持つ。話を聞く限りでは矛盾するようなコーチ陣の決意表明だが、それこそが今回の大きな目的であった。
「東京パラリンピックには開催国枠ですでに出られるけど、予選もしっかり勝って自ら出場権を勝ち獲って出られるようにしよう。そして『東京で世界一になろう』という話でした。しっかり階段を踏みつつ、世界一になるためにどうするかを具体的に話し合いました」
『4年後の東京パラリンピックで世界一』という明確な目標を設定。橘ヘッドコーチは「世界一になりたいと思う選手だけがここに集まればいい。そう思えないならば、もう合宿に来なくて良い」と宣言した。ただ、その道のりはまだまだ先が見えない。だからこそ全員が集まり、それぞれの思いをコート内外でぶつけ合う9日間にしたかったのだ。
コーチからの挑戦状
世界一を目指すからには、必然的にハードな練習を強いられる。「合宿中は選手とコーチが戦っていました。コーチから渡される練習メニューはいわば、『挑戦状』です。そのハードな練習メニューを選手が受けるかどうかという挑戦。みんなが『なにくそ』と向かい、昔のスポ根のような勢い。これまでとは違うところで勝負できた感じがあります」
覚悟を決めたコーチが鬼となり、選手たちを奮い立たせて闘争心に火を点けたことで、自然と連帯感が強まっていった。「できない選手に対して仲間が補い、一人だけに任せるのではなくみんなで課題を乗り越えられた。今までボンヤリしていた闘争心の部分が、練習中から戦う姿勢を持てたことで、みんなの意識が高くなりました。練習中はもちろん、ご飯の時など日常生活でも個人の責任ではなく、全員の責任で取り組むことができるようになったのは大きいです」
東京パラリンピックへ向けて、期待の選手を挙げてもらえば、網本は「全員」と即答する。「一人だけが突出して強くなったとしても、周りが付いてなかったり、伸びてなかったりするチームは弱い。一人が30~40点を取ったとしても、相手の全員が10点取れればそれだけで50点で勝つことができ、チームとしての強度が高い。相手にとって嫌なことを自分たちがすれば、もっと強くなれる。自分も成長しないとみんなに置いて行かれるという不安があるのがチームスポーツであり、みんなで強くなって行こうという感じが好き。今回の合宿でそれが見えたのもすごく良かったです」
ローポインター(車椅子バスケットは障害のレベルによって持ち点が与えられ、コートに出る5人合計で14点以内でなくてはならない。重度の障害を持つ選手は1.0。ポイントが低い選手をローポインターと呼び、最高の4.5点の網本はハイポインターとなる)の得点力アップも不可欠であり、網本自身はアシストに楽しさを見出している。
「良いアシストが決まると、得点を決めた選手よりも喜んでます。瞬間瞬間のパスの種類であったり、どういうパスの方がより通しやすく相手も取りやすいかを考え、そのタイミング通りにパスが通ると、『ヨッシャー』って思います」
バスケットはコンビネーションで打開するスポーツであり、コミュニケーションが大切。それを再確認できた清水合宿でもあった。「みんなでハードな練習を乗り越えられたという共通認識が多ければ多いほど、強くなれるんだということを今回の合宿であらためて感じることができました。チーム全員の心が合わさったり、絆が強くなる感覚があったんです。これを続けていけば、スムーズに動けるようになるのかなと感じられました。少しの時間でしたが、一気に先が見えた合宿でした」
アバウトだった道のりが、たった1回の合宿で見通しが明るくなった。同じ時間、様々な課題をともに乗り越えたことで、「世界一になれるかな、と一瞬思えました。たぶん、他の選手たちもみんながそう思ったはずです」と自信を持つこともできた。
合宿で共有財産を積み重ねるごとに強くなれる。次回合宿は7月に予定されているが、そこに網本は参加できない。自らを高めるため、1シーズンぶりにオーストラリアへ渡った。
1988年11月15日生まれ、大阪府出身。ポジションはフォワード。右足首の病気のため車椅子バスケに転向し、16歳で日本代表入り。2008年の北京パラリンピックでは7試合で133得点を挙げて得点王に輝いた。以後、日本代表のエースとして活躍している。
車椅子バスケ日本代表 網本麻里インタビュー
vol.1「世界との差を思い知らされたリオ予選」
vol.2「世界一を誓い合った清水合宿」
vol.3「海外挑戦と東京パラリンピックへの決意」