文=泉誠一 撮影=フォトサービス・ワン 提供=(一社)日本車椅子バスケットボール連盟

オリンピックが近くにあった幼少時代

2008年北京パラリンピックで、車椅子バスケットボール女子日本代表は4位入賞を果たし、メダルまであと一歩に迫った。その原動力となったのは、当時19歳だったルーキーの網本麻里。平均19点(7試合合計133点)で得点王に輝いた。

「自分がずっと夢に思い描いていた舞台。これまで出場経験のある選手たちが『何回も行きたいと思います』とよく言ってますが、それが本当によく分かったという印象が一番強いです」とパラリンピック初体験を振り返る。

幼少時代はオリンピックで数々のメダルを獲得した体操選手、池谷幸雄さんと同じ体操教室に通っていた。2歳半から打ち込んできた器械体操でオリンピック出場を夢見ることが当然の環境だった。しかし、小学校3年になるとあっさり辞めてしまう。 友達に誘われ、バスケットに出会ったからだ。競技は変わったが夢はそのまま、「バスケット選手としてオリンピックに出たいとずっと思っていた」そうだ。

右足首の骨が変形して生まれ、2歳の時に手術をして歩けるようになったが、成長期の中学時代に再びメスを入れるはめになる。代償として走ることが困難となり、大好きなバスケットが奪われた。幸い、車椅子バスケットに出会うことができ、高校生の頃には「パラリンピックに出たいという思いが強くなりました」

再び、世界への挑戦が始まった。

右足首の骨が変形して生まれた網本は、成長期の中学時代にバスケを断念するも、車椅子バスケに出会った。

まさかの予選敗退、遠のくパラリンピック

2000年シドニーパラリンピックで銅メダルを勝ち獲った女子日本代表は、アテネ大会で5位、続く北京大会で4位と順位を上げ、2012年ロンドン大会に期待が膨らむ。しかし、アジア・オセアニア予選の準決勝で中国に58-69で敗退。2枠しかないロンドンパラリンピックへの出場が阻まれるとともに、初出場となった1984年アイリスベリー大会より続く連続出場が7で途絶えてしまった。

昨秋、千葉で行われたリオ予選はオーストラリア、中国と日本の3カ国で1つの出場枠を争わなければならない厳しい状況。前年の世界選手権でアジア・オセアニア地区のどこかが5位以上に入っていれば枠を増やせたのだが、日本は9位、最高位となったオーストラリアも6位に終わっていた。結果は散々たるもので、ロンドンパラリンピックを経験したライバルたちに1勝も挙げることができなかった。2大会連続パラリンピックから遠のいた瞬間である。

「特に中国が力をつけてきたことを見せつけられたな、と大会期間中に思わされていました。北京パラリンピックに出たことはもう過去のことであり、8年も前の話。覚えているにしても4年前に行った選手の方が記憶は新しく、自分は忘れかけている。その差は大きいと一番感じました」

完敗──。車椅子バスケットの技術進歩がめざましい近年、世界から取り残されている現実を目の当たりにさせられた。

「北京パラリンピックまでは余裕で予選突破できていたんです。ロンドン予選も(日本、オーストラリア、中国の)3チーム中、どこが勝ってもおかしくはない状態でしたが、日本がパラリンピックへ行かれへんことがありえへんぐらいの感じだったし、ぶっちゃけ中国には勝てるだろうと思ってた。逆にオーストラリアを食いに行くぞ、と勢い良く臨んだにもかかわらず、まさかその前の中国に負けてしまう。どういうことやねん、みたいな。良い意味での気持ちの余裕がロンドン予選まではあったけど、リオ予選は枠が1つしかない。どっちかに勝てば良いのではなく、どっちにも勝たな行けへんという初めての体験でした」

これまで当たり前に通過してきたアジア・オセアニア予選だったが、昨年のリオ予選は経験したことがないプレッシャーが重くのし掛かり、経験値の少ないチームはすべてにおいて勝つことができなかった。

3カ月後に迫るリオパラリンピックは、吹っ切れた気持ちで観戦するのを心待ちにしている。「やっぱり行かれへんかったことを考えると、見ておかないといけない。 今回はどこが勝つんやろって思いながら早く見たい」

すばり、リオパラリンピックで金メダルを獲るチームを予想してもらおう。「全然分からん。でも、どうなんかなあ、オランダは強いんですよ。アメリカも強い。ドイツはオランダくらいの迫力や威圧感がなく、そう考えるとオランダが一番強いかも。でも、相性もあるからどうやって勝つんやろ……とりあえず、早くやって~!(笑)」

ロンドン予選後は悔しさに打ちひしがれ、本戦を見ることさえできなかった。4年間で少なからずメンタルは強くなっている。もう一つ、先日行われた女子日本代表強化合宿で新たなる決意をしたことも大きい。

PROFILE 網本麻里(あみもと・まり)
1988年11月15日生まれ、大阪府出身。ポジションはフォワード。右足首の病気のため車椅子バスケに転向し、16歳で日本代表入り。2008年の北京パラリンピックでは7試合で133得点を挙げて得点王に輝いた。以後、日本代表のエースとして活躍している。

車椅子バスケ日本代表 網本麻里インタビュー
vol.1「世界との差を思い知らされたリオ予選」
vol.2「世界一を誓い合った清水合宿」
vol.3「海外挑戦と東京パラリンピックへの決意」