文・写真=小永吉陽子

兄の奮闘する姿を確かめに、アメリカへ一週間の旅

春。高校3年生にとって、新しいステージへと踏み出すシーズン。明成を2年ぶり5度目のウインターカップ制覇に導いたエース、八村阿蓮は高校を卒業する前にやっておきたいことがあった。それは兄である塁の奮闘を自分の目で確かめることだった。高校日本一になり「やっと一歩近づけた」と感じた兄は、阿蓮にとってはいつまでも背中を追い続ける目標の存在だからだ。

2月中旬、八村は卒業前の試験休みを利用してゴンザガ大のあるワシントン州スポケーンに飛んだ。初めての渡米には明成のチームメイトである塚本舞生(まお)も同行。兄がチームメートと同居するアパートメントに寝泊りして一週間にわたって生活をともにし、ホームで2試合観戦した他、ゴンザガ大の練習を見学する機会に恵まれた。

ウインターカップで日本一を達成してからの八村は、大会直前に痛めた膝を完治させることに専念しながら身体作りのトレーニングに励む毎日だった。そんな充電期を利用しての渡米は、八村に新たな目標と意欲を与えるものとなった。弟の目から見て、兄の塁はどのように映ったのか。渡米して感じた兄の勇姿と大学での展望を語ってもらった。

ゴンザガは練習からコンタクトの強さが日本とは違う

――2月にはゴンザガ大にNCAA観戦へ。塁選手と過ごした一週間はどんな旅でしたか。

すごく楽しかったです。はじめて見るものばかりで圧倒されることもあったんですけど、試合の前や後にゴンザガのロッカールームに入れてもらって塁のチームメートに仲良くしてもらったり、塁の勉強を教えている先生に会ったりしました。塁が頑張っているのは日本からでもわかっていたけれど、目の前で試合を見たら、こんなすごいところでやっているのか、勉強もちゃんとやっているんだなと刺激を受けました。塁の頑張る姿を見ることができたのでアメリカに行って本当に良かったです。(※阿蓮選手は兄のことを塁と呼んでいる)

――ゴンザガ大の試合を見ての感想は?

ゴンザガは選手同士で何でも言い合って、自由な雰囲気でやっていました。こういう感じ、好きです。試合でも積極性があって激しさがありました。ミスをしてもリカバリーする力があって、消極的にやっている選手は一人もいなかったです。なんて言うんですか……ハングリー精神がアメリカと日本の違いだと思いました。

――ハングリー精神とは、どういうところで感じたのですか?

NCAA、それも強豪のゴンザガがケンカ寸前になるまでディフェンスをやり合ったり、ぶつかり合いとかも嫌がらずにやるところですね。相手も自分も絶対に負けないんだという気持ちを感じました。自由な雰囲気なのに、練習からガンガンぶつかり合ってるんですよ。

明成も高校の中では、球際では絶対に負けない練習をやっていると思うんですけど、ゴンザガの練習を見たらアメリカはやっぱりすごいと感じました。海外でプレーしたい人は、日本にはないコンタクトの強さというか、そういうのを味わいたくて海外に出て行くんだと分かりました。塁もそうだと思います。

「塁はすごいところでやっていると感じました」

――では、阿蓮選手も海外でプレーしたくなりましたか?

めっちゃしたいですね。みんな楽しそうに、自分から積極的にプレーしているので、そこが一番良いですね。今まで興味がなかったわけじゃないけど、いざアメリカに来てみたらやってみたい気持ちが出てきました。

――大学では兄のように海外でプレーをする選択肢はなかったのですか?

いやぁ……自分は本当に下手だったので、下級生の頃はそういう考えはありえませんでした。塁は高3年の1年間をかけて勉強でも準備をしていたので、勉強のことを思うと、高2の頃には進路を決めたほうがいいですよね。そう考えると、自分が高2の時に海外でプレーすることは全く想像できませんでした。もっと早くに海外の試合を経験できていれば違ったかもしれません。

――今になってそういう考えが出てきたということは、アメリカで見た練習の強度を日本でも生かして、大学のレベルを上げていってほしいですね。

はい、頑張ります。ここに来て練習からバチバチやっているのを見たことは良かったです。

――ゴンザガの練習を見て、フォーメーションの動きは理解できるものでしたか?

動きは分かります。僕らが高校でやっている動きをもっとスクリーンを使ってやっていて面白いです。アメリカはリピック(スクリーンを1度セットして終わるのではなく、2度セットする動き)が多いですね。日本ではここまでスクリーンをかけ合うのはあまりないです。でも、動きは分かるんですけど、ゴンザガは6人のコーチがいろいろと言っていて、それぞれのコーチが英語で言うことを理解するのは大変だと思いました。練習だけ見ても、塁はすごいところでやっていると感じました。

――そんなすごい世界で試合をしている塁選手のどこが成長していると思いますか。

いや、もう高校の時よりうまくなっていますよ。特にスピードとジャンプ力が上がりました。

「阿蓮には塁にはない良さがある」の言葉を支えに

――高校3年間での自分自身の成長についてはどう感じていますか。

塁を追いかけて明成に入ったんですけど、入った頃の自分はとても日本一になるとか考えられなくて、ただ塁の背中を追っていて、それで何とか練習についていけた感じでした。2年生になって主力になったけど、頼りなくてチームメートに迷惑ばかりかけてきました。そんな消極的だった自分を(佐藤)久夫先生が「阿蓮は塁にはない良さがある」と言って、あきらめないで教えてくれたので、3年生になって強気のプレーができるようになったんだと思います。

――『塁にはない良さ』というのは、自分では何だと思いますか?

それが何なのか、自分ですら分からないんですけど……。一番うれしかったのは、(ウインターカップ3回戦の)洛南戦で前半でファウルを4つしてしまった時に久夫先生が「みんな、阿蓮を信じろ」と言ってくれたことです。あの言葉のおかげで、何とか最後までファウルをせずにディフェンスをすることができて、みんなのカバーのおかげで勝つことができました。そうやって、先生やみんなが自分を信じてくれたことで、自信を持てるようになりました。今までエースらしくなくて迷惑をかけた分、みんなに恩返しがしたいと思って戦ったから、ウインターカップで優勝できたんだと思います。

――高校卒業後、今後の目標を聞かせてください。

東海大に進学するんですけど、大学でも日本一になることと、将来はプロの選手になって活躍したいです。それから、将来は日本代表で塁と一緒にプレーがしたい。僕は兄のような身体能力はないけれど、リバウンドやルーズボールとか、泥臭いところで頑張って、シュートレンジを広げてもっと外のプレーができるようになりたいです。

努力を認め合う同志、いつか兄弟で日の丸を

『塁になはない阿蓮の良さ』について、佐藤久夫コーチは「高校の段階では塁よりも身体が強い」ことを挙げている。また、兄の塁は自分の目標を追うことに対して貪欲だったが、阿蓮は自信を持てるようになるまで時間を要した選手。そんな弟に対し佐藤コーチは「試合に負けるたびに『弱い心を変えたい』と自分に向き合ってきた選手で、時間はかかったけど、努力する姿勢は兄に劣らない」とも言う。

2歳違いの兄弟。高校時代の兄は、1年生の弟に対して優しく手を差し伸べることは一切なかった。「自分で考えてやれと言われ続けました」と阿蓮が言うように、むしろ突き放して自立を促しているようにも見えた。それが2年後にウインターカップで優勝した時には「自分が3連覇したときよりうれしい」と兄は手放しで喜んだのだ。その理由を兄は「久夫先生から『3連覇の本当の価値は後輩たちが結果を残すことで決まる。後輩が頑張ることで、お前たちの優勝に価値が出てくる』と言われていたから」と語ったが、それと同様なことを卒業する時にこう言っていた。

「僕たちは簡単に勝ってきたわけではない。チームの信頼関係や絆を、毎日の練習で築くことができたから勝てたんです」――。こうしたメッセージが伝わり、各自が自覚を持って成長したことが、兄として、先輩としてうれしかったのだろう。そして兄は日本一になった弟から「モチベーションをすごくもらえた」と言っている。

阿蓮が「日本代表でプレーしたい」と口に出すようになったのは、アメリカで兄の奮闘を目の当たりにして、さらなるモチベーションを得たからだ。阿蓮にとっての兄はまだまだ先にいる存在だが、今では努力を認め合う同志になった。いつか、日の丸をつけて兄弟で同じコートに立つことを目標に、八村阿蓮は次なるステージに進む。