
6月29日に、桜花学園の井上眞一のお別れの会が名古屋で開かれた。24歳でバスケットボールの指導に携わり、54年の指導歴の中で全中8回、インターハイ25回、国体21回、ウィンターカップ24回と78回の全国制覇という功績を残した名将とのお別れの場には、多くの名選手たちが足を運んだ。笑顔と涙が入り交じる時間の中で、井上先生をよく知る選手たちが、それぞれの思いを胸に花を手向けた。井上先生の教えを受けた選手たちの言葉を通じて、厳しさの中にあった深い愛情、そして命がけでバスケットボールに向き合った熱い思いをたどる。
馬瓜ステファニー「自分をずっと支えてくれた人」
――今日、このような会に参加して、どんな思いがこみ上げてきましたか。
そうですね、卒業してもう9年くらい経つんですけど、それでも色褪せずに、鮮明に覚えていることがいっぱいあります。毎日一緒に練習した体育館や、寮での会話、それ以外の場面。先生はずっと自分を支えてくれた人なので悲しみもありますが、同時に「先生、もう大丈夫だからね」、「安心してね」という気持ちもあります。
――「あの言葉が忘れられない」という思い出があれば教えてください。
高校2年生のウインターカップで負けた時ですね。先生にとって初めての『高校9冠』がかかった大会だったんですけど、それを達成できなかったんです。その時に、自分が不甲斐ないプレーをしてしまって「お前のせいだ」とすごく責められました。練習にも来てくれなかったんですよ。そのあと先生の家まで行ったりしました。そういうことが、自分が今頑張ろうと思えたり、責任を持ってプレーできる起源でもあるので、本当に良いきっかけだったなって思います。
――今日、これだけ多くの教え子たちが集まりました。この雰囲気の中でどんなことを感じましたか。
本当にすごいですよね。あれだけ厳しくされたのに。みんなちゃんと先生のことが大好きで、こうやって先生の思い出話で盛り上がって。あらためて桜花ってファミリーなんだなと思いました。
――最後に、井上先生にメッセージをお願いします。
「本当にありがとうございました」というのが一番です。それぞれの場所で、私たちも頑張っています。私自身も、日本のバスケに貢献できるように、これからも全力で頑張ります。先生、ラッキー(犬)と一緒に見守っててくださいね(笑)。

田中こころ「感謝してもしきれない人」
――井上先生とはどんな思い出がありますか。
まずは、やっぱり桜花学園でしか経験できないことを3年間経験させてもらえたことが今の自分を作っています。桜花に行ってなかったら、井上先生に出会えていなかったら 、ENEOSにも行けてないですし、代表でも活躍できていないと思うので、本当に感謝してもしきれない人です。
――一番学んだことは何ですか。
技術的な面というよりは、メンタル的な部分が一番大きいです。「もっと点取りに行け」とか「20点取れ」というような、強い気持ちで挑むことを言われ続けてきたので。そこは今にも繋がっているかなと思います。
――あらためて先生に伝えたい言葉はありますか。
「先生のために頑張ってるよ」っていうのを見せたかったんです。でも、きっと天国から見てくれていると思うので、先生のためにもこれからもっと頑張らないといけないなと思います。
――ウインターカップが終わって、12月31日に先生が亡くなられたことをどのように受け止めましたか。
本当に急なことで……突然連絡がきて、「えっ?」って、最初は信じられませんでした。「本当なの?」という気持ちのままで。時間が経つにつれていろいろなことが込み上げてきて、涙も出ましたし、「これから恩返しをしたい」という時期に先生がいなくなってしまったことは、本当に残念でした。でも、だからこそ、これからの自分の活躍で恩返ししたいです。
――先生の晩年に指導を受けた、貴重な世代としての想いはありますか。
やっぱり、結果を残すことが先生への一番の恩返しだと思っています。しんどい時も、井上先生のことを思えば頑張れますし 、本当に自分の中で先生の存在は大きいと感じます。
――「命がけ」って書かれた張り紙の話もありましたよね。
ありましたね。懐かしいです(笑)。桜花に入ってあの張り紙を見て「ここまでバスケットに命をかけているんだ」と衝撃を受けました。実際に先生の指導を受けて、本当に命がけで教えてくれていることが伝わってきましたし、自分たちも「命がけで挑まないといけない」と思わされました。あの張り紙は、体育館に入るたびに目に入るので気合いが入りました。
――今後、どんな姿を先生に見せていきたいですか?
先生に教えてもらった基本的なことを、どんな時でもしっかりと体現して、「先生に言われたことをちゃんとやっているよ」というのを、見せられるように頑張っていきたいです。

白慶花アシスタントコーチ「井上先生が大好きという思いは変わらない」
――まず、今日という日を迎えてどのようなお気持ちでしょうか?
はい。あらためてこのような会が開かれて、たくさんの方々が参列されていること、会場に飾られたトロフィーや、井上先生の功績を目の当たりにして、先生が築かれてきたものの偉大さを肌で感じました。先生が多くの人に愛され、応援されていた証拠だと思います。あらためて、先生への感謝の気持ちと、尊敬の気持ちがより強くなりました。
――教え子として、高校時代はどのようなご指導を受けてこられたのでしょうか?
コートの上では本当に厳しくて、細かいところまで妥協しない監督でした。でもコートを離れたら、選手にとってはおじいちゃんのような存在で、オンとオフの切り替えがとてもはっきりしていました。それはやっぱり、先生が選手とチームへの深い愛情を持っていたからこそできることだと思います。たくさん教えてもらって、たくさん叱られたりもしましたが、井上先生が大好きという思いは変わらないです。
――会場に集まった方々が、涙しながらも笑顔でいるのが印象的でした。先生のお人柄が表れた会だったように感じます。
そうですね。先生の人柄はもちろんですが、やっぱり、先生との思い出をそれぞれの卒業生が持っているので、バスケットの話だけじゃなく、寮生活の中でのエピソードだったり、笑える話だったりを思い出して感情が込み上げてきたのではないでしょうか。
――今後、井上先生が築いてきたものを受け継ぐ立場として、どのような思いで桜花学園のバスケットを引き継いでいきたいですか?
井上先生がずっと目指してきた『全国制覇』、『日本一』 という目標は、どんなことがあってもブレずに、まずはインターハイの全国制覇を目指して戦っていきます。そして、命がけでバスケットに取り組むこと、バスケットを全員が好きだという『桜花学園魂』をより向上できるよう、これからさらに歴史と伝統を大きいものにしていけたらと思います。