山﨑一渉

文=鈴木健一郎 写真=野口岳彦

12月の始めに千葉ジェッツU15の練習を見る機会があり、山﨑一渉と少し言葉を交わした。その時は195cmと言っていた身長は、2カ月半で2cm伸びていた。その身長に負けず劣らず、技術も成長している。この年代の大きな選手はインサイドのプレーだけで通用してしまうものだが、ミニバス時代から外でのプレーとハンドリングを重視する指導者に恵まれ、千葉ジェッツU15でもガードのスキルとノウハウを叩き込まれた。練習で一対一を仕掛けるフットワークとボールさばきを見れば、その成果は明らか。今年始めに行われたU16日本代表のチェコ遠征にも参加し、エースとしてクリスタル・ボヘミアカップの優勝に貢献。大会ベスト5にも選ばれた。ジュニア年代のトップを走る山﨑はこの春から明成へと進学。大きく羽ばたこうとしている。

中3で197cmも「身長だけの選手と思われたくない」

──まずは自己紹介からお願いします。

松戸市立第一中学校、千葉ジェッツU15の山﨑一渉です。千葉県松戸市の出身で、小学校4年生でミニバスを始めました。お父さんがギニア人で、お母さんが日本人です。生まれたのは日本で、ずっと松戸で育ちました。

最初は野球かサッカーで迷っていたんですけど、自分の通っていた小学校で松戸ミニバスケットボールクラブというクラブチームが活動していて、その練習を少し見た時に面白そうだと思ったのが最初です。もっと小さな頃から運動は得意で、徒競走はずっと1番だし体育の成績も5です。他の勉強は普通なんですけど(笑)。

──では、バスケも始めた時から周りの選手より上手かった?

ミニバスを始めた最初は周りの人よりも全然下手でした。始めたばかりの頃が、これまでで一番の壁だったと思います。技術的には劣っていたんですけど、身長があったので小4から試合に出してもらえて、そこから感覚をどんどんつかんで上手くなりました。そうなると上達するのが面白くなって、どんどんバスケに夢中になっていった感じです。自分の代ではセンターだけではなくて外のプレーもできるようになって、キャプテンも自分がやりました。

──小学生の頃から身長は平均よりもかなり高かった? 背が高くて得したと思いますか?

そうですね。小学校5年生の時が170cmで、中学に入学した時は179cmでした。今は197cmですが、まだ伸びています。オスグッド(成長痛)は小5ぐらいからずっと痛いんですけど、最近ではもう慣れてしまって。痛いことは痛いんですけど、プレーには支障ないです。

──まだまだ成長期、どこまで身長が伸びてほしいと思いますか?

夢はNBAでプレーすることです。215cmあってフォワードができればNBAでもかなり有利だと思うので、牛乳は毎日かなり飲んでいますし、食事はお母さんがいろいろ考えてくれています。お母さんも背が高くて、東京成徳でバスケをやっていました。最初は「まさか自分の子供がこうなるとは思ってなかった」と言っていたんですが、今はどこまででも行けると僕の力を信じてくれて、アメリカの夢も応援してくれています。

──サイズがあるのは分かりましたが、大きいだけではトップレベルで通用しないのもバスケットボールです。どんな練習をしてここまで上達してきたのですか?

背は高いんですが、「身長だけの選手」って言われるのが嫌で、外のプレーを頑張って練習しました。夏休みは自主練で毎日500本のシュートを打ったり、チームの練習だけじゃなくて、誰も見ていないところでの努力もしてきたつもりです。

僕は背が高いだけじゃなくて、足も速かったしジャンプ力も他の選手よりありました。試合に出て活躍できていたこともあって、小学校5年ぐらいから少しずつ注目されるようになって、そこからどんどん練習も頑張れるようになりました。松戸ミニバスも松戸第一中も強いチームだったので大会にも上位に行くことができて、勝つことの楽しさを知ってからずっとバスケにのめり込んでいます。

小学校5年生から6年生にかけてアウトサイドのプレーを覚えて、自分のプレーの幅がすごく広がりました。中学校に入学してから、そのプレー一つひとつの精度が上がったというか、試合で使える確実性が出せるようになったと思います。

山﨑一渉

千葉ジェッツU15では「バスケットIQを学んだ」

──あらためて山﨑一渉選手のプレースタイルを教えてください。

背が高いですけど外のシュートが得意なので、フォワードもガードもできるオールラウンドな選手です。高校に行ったら3番(スモールフォワード)か2番(シューティングガード)をやりたいと思っています。もともとは「デカいだけ」と言われるのが嫌で外のプレーを覚えたのですが、今は外のシュートが自分の一番得意なプレーだと思っているので、それを生かしたいです。

──あこがれている選手、お手本としている選手はいますか?

八村塁選手です。僕が小学生の時に千葉インターハイがあったんです。地元の大会だったので見に行って、そこで初めて八村塁さんのプレーを見たんですけど、一目見た時点で「この人みたいになりたい!」って。今もすごく影響を受けています。

──では、同年代でライバル視している選手、意識している選手は誰ですか?

菅野ブルースという岩手県出身の同い年の選手が一番のライバルです。中1からずっと代表で一緒で、ジュニアオールスターでも対戦しましたが、そこでは負けてしまいました。自分と同じハーフで、プレースタイルもほとんど同じと言っていいほど似ていて、いつも1対1で競い合っています。同じ高校に行くので、楽しみです。

──千葉ジェッツU15に参加したきっかけを教えてください。

中学のバスケを引退して、高校に進学するまでにどうしようかと思った時に、神作大介コーチに声をかけてもらいました。県選抜で一緒のメンバーも3人いるので、すぐに馴染めるだろうと思って入ることにしました。去年8月の総体で学校の部活は終わりで、9月から来ています。

──全国に行く強豪校と比べても、ユースだとやっているバスケ、学べる技術は違いますか?

全然違います。指導者が違うこともあるし、求められるプレーが違います。自分で対応しなければいけないので大変ですが、それでプレーの幅が広がるので自分にとってはすごくプラスになっています。中学では自分一人でやらなければいけないチーム事情があって、得点を取るのはもちろんですけど、リバウンドもボール運びもやっていました。

千葉ジェッツU15では1対1で点を取るプレーがすごく求められるし、スクリーンも自分がかけるのではなく、スクリーンに来てもらって自分の1対1に持っていったり。千葉ジェッツU15でやっていたのは完全に2番ポジションのプレーで、そういう指導してもらって上手くなったと感じます。ここでは少なくとも自分の能力だけではバスケットができません。観察して考えて、どう攻めたり守ったりするか。バスケットIQを学ぶことができました。

山﨑一渉

「高校3年間を頑張るのがお母さんへの恩返し」

──年が明けてすぐには、U16日本代表のチェコ遠征に参加し、クリスタル・ボヘミアカップでは優勝。個人的にも大会ベスト5に選ばれました。

今までで一番印象的な大会になりました。最初は時差の関係もあって全く自分のプレーができなかったんですけど、2試合目からチームとしてやってきたことが出せるようになりました。佐古(賢一)ヘッドコーチにエースというポジションに置かせてもらって、責任も感じたんですけど、それを力に変えることができました。準決勝が初戦で負けたチェコとの試合だったんですが自分のブザービーターで勝てて、期待されていた仕事をやりきれたと思います。

──これで中学は卒業で、4月からは明成高校だと聞きました。

高校に行けばレベルはまた上がると思いますが、代表やセレクションもたくさん経験させてもらって、プレッシャーに耐える力には結構自信があります。重圧を力に変えてやっていけると思っています。中学の試合では1試合平均60点ぐらい取っていて、最高は82点です。高校でも得点の取れる選手になりたいと思っています。

──あこがれの八村塁選手の後輩になりますね。八村選手の活躍は刺激になりますか?

はい。八村選手の試合はいつもネットでチェックしています。目標があればつらい時も折れそうな時も耐えられると思うので、いてくれるだけでモチベーションになります。いつか同じコートに立って試合ができるぐらいに実力をつけたいです。

──高校生活への期待の裏で、寮生活をするために親元を離れる寂しさや不安もあるのでは?

お母さんにこれまでいろいろ支えてもらっていたので、その支えとともに生活しなくなるのは不安でいっぱいなんですけど、そこは自分で選んだ道なので。しっかりと自分の夢に向かって高校3年間を頑張るのが恩返しだと思っています。ウインターカップ3連覇を目標に頑張ります。