2021-22シーズン、B1は宇都宮ブレックスが年間チャンピオンを獲得して幕を閉じた。シーズン終了後、チームを指揮していた安齋竜三が退団し、越谷アルファーズのアドバイザーに就任したという発表によってリーグに激震が走った。さらに1年のアドバイザーを経て、今オフにはヘッドコーチ兼アシスタントゼネラルマネジャーの就任が発表された。話題性に事欠かない安齋氏にアドバイザーとしての1年を振り返り、ヘッドコーチ兼アシスタントGMとして臨む新シーズンについて話を聞いた。

──2022-23シーズンは、アドバイザーとして新しいチームで新しい挑戦となりましたが、振り返ってみるとどのようなシーズンでしたか?

チームカルチャーとして、当初は甘さみたいな部分もあるチームだったので、そこを少し変えなければというのがありました。アドバイザーとしても言うことは言っていいと(桜木)ジェ イアールにも言われていて、いろいろ口を出したりしていました。戦術面でもジェイアールと一緒に作っていきましたが、結局目標のB1に上がることは叶いませんでした。成功か失敗かって言われたら失敗かもしれないですが、初めてのB2を経験して、あらためてB2で勝つことの難しさも痛感しました。目標達成はできなかったですが、段階を踏んでいくという意味では、クラブとしてのステップアップは見られたので、成功でもあるのではないかと感じています。

──目標を達成できなかったことに対して、悔しい気持ちが大きかったのでしょうか?

悔しいは悔しいですが「正直そうだよな」という感じですね。そこまでの積み上げがないので、そんなに簡単にB1には行けないよなっていう感じでした。

──越谷で2年目となる2023-24シーズンはヘッドコーチ兼アシスタントGMに就任しました。どのような経緯で就任に至ったのでしょうか?

最初は本当にヘッドコーチをやるつもりはあまりなかったです。クラブがコーチングスタッフ体制の選択肢を探る中、まずはジェイアールが指揮を執らないことで話が進んでいきました。新たなヘッドコーチを探すこととなりましたが、予算にも限りがあり、適任を見つけることはもちろん簡単なことではありません。そして会長から「お前がやってくれれば1番いいんだけど」と話がありました。ちょうど自分自身、勉強になる部分はもちろんあったものの、昨シー ズンにアドバイザーとしてチームのサポート役を全うできたのか、やり切れたのか、このポジ ションでチームやクラブのために力になり切れるのかと葛藤していたタイミングでもあり、自分のためにもやった方がいいかなと思い、引き受ける決断に至りました。

──宇都宮ブレックス退団の理由に、ヘッドコーチを離れてコーチとしての勉強を積みたいということを挙げていたため、今回のヘッドコーチ就任は驚きがありました。この1年間で学べたことや得たことを教えてください。

僕もブレックスで5年間ヘッドコーチやってきた中で、最初の何年かは自分で全部練習メニューを決めていましたが、最後の1、2年はアシスタントコーチ陣に任せるように変えていました。 そのやり方が良かったと思っていたんですけど、越谷でもそのやり方はいいなということが再確認できました。あとは戦術ですよね。結局僕がブレックスで持ってた選手たちと越谷の選手 たちはタイプが全然違うので、違うタイプのバスケットのやり方を学べた経験は大きかったです。今まで自分がやってきたことを選手によっては変えていくというのは、越谷に来たからこそ経験できたことでした。

──今回ヘッドコーチだけでなくアシスタントGMも兼任ですが、こちらの経緯もお願いします。

最初にも言いましたが、ヘッドコーチをやるという選択は正直なかったので、あと20年くらいはこの世界で働いていければという状況の中でGMも勉強したいという気持ちもあり、本当はそっちの経験もしたいなと考えていました。そういう中でヘッドコーチとしてもう1回チャレンジするということになりましたが、契約の問題で退団になる選手が何人かいたので、新しい選手を連れてくるという時には、B2で戦っていくための人選には関わらせてもらいました。井上(宗一郎・サンロッカーズ渋谷から移籍)や、笹倉(怜寿・アルバルク東京から移籍)もそうですし、フォワード系の外国人選手が欲しいよねとフロントとも話していたので、LJ (ピーク・横浜エクセレンスから移籍)を取ったりは自分も携わりました。