町田瑠唯が語るバスケ部時代vol.3「全国制覇は当たり前、そんなの目標じゃない」

2018/12/22
プレーヤー
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町田瑠唯

文=三上太 写真=三上太、古後登志夫

『バスケット・グラフィティ』は、今バスケットボールを頑張っている若い選手たちに向けて、トップレベルの選手たちが部活生時代の思い出を語るインタビュー連載。華やかな舞台で活躍するプロ選手にも、かつては知られざる努力を積み重ねる部活生時代があった。当時の努力やバスケに打ち込んだ気持ち、上達のコツを知ることは、きっと今のバスケットボール・プレーヤーにもプラスになるはずだ。

PROFILE 町田瑠唯(まちだ・るい)
1993年3月8日生まれ、北海道出身。身長161cmとガードの中でも一際体格は小さいが、それを補って余りある俊敏な動きとトリッキーなハンドリング、そしてバスケットIQの高さで富士通と日本代表での地位を確立する司令塔。コートネームは「ルイ」。

「得点はゼロだけど攻め気があった」vs桜花学園

私の『原点』は札幌山の手での3年間です。本当に心から札幌山の手を選んで、上島(正光コーチ)さんに出会えて本当に良かった。同期のメンバーにも恵まれて、もし私が一つでも年上だったり、年下だったりしたら味わえない3年間だったと思います。お父さんの反対を受け入れて地元の高校に進学していたら、日本代表はもちろん、富士通にも、Wリーグにも行けなかったと思います。それくらい私にとって札幌山の手への進学は大きな出来事だったんです。

札幌山の手での一番の思い出は3年生の時の高校3冠です。一方でその3年間で何が一番成長したんだろうって考えると、もちろんバスケットの技術もあるけど、メンタルとか人間性のほうが大きいと思います。

上島さんの指導は選手の気持ちの持っていき方がうまいんです。たとえば1年生の時はとにかく褒めて、アゲる。そして2年生で落とす。そこから這い上がってきた選手が3年生で活躍できるという感じです。卒業後にOGと一緒に練習風景を見ていると「この子たちは今この時期なんだね」って分かるんです。そう考えると私たちも上島さんにうまく操られていたんだと思います。

1年生の時は何人かがベンチ入りできるメンバーに選ばれて、実際に試合を経験させるのが上島さんのやり方です。みんなにチャンスを与える。私もそういう時があって、自分の持ち味を出そうとか、どれだけ通用するかを1年生の時から経験させてもらいました。

それがウインターカップの時に3年生のポイントガードがケガをして、私がスタメンに起用されることに繋がりました。準決勝、しかも相手は桜花学園。負けず嫌いの私は負けるつもりもなかったし、もちろん勝ちたかったですけど、それ以上にあの桜花学園に今の自分の力がどれだけ通用するのか試したかったから、積極的にシュートも狙っていました。

結果として0得点で、試合も20点差で負けたんですけど、試合後に上島さんにちょっと褒められました。「得点はゼロだけど攻め気があった。相手から逃げていなかった」って。「あとはシュートを決めるだけだな」と言われて、めっちゃシュート練習をしたのを覚えています。

町田瑠唯

「負けず嫌いな子が燃えた」2年の3位決定戦

2年生の時はまあまあ怒られました。いや、自分はまだ怒られていないほうかもしれません。卒業後、同級生で集まったりすると「あの時さ、私も結構怒られていたよね?」って話すんです。そうしたらみんなから「ルイは怒られてない」って言われます。自分では怒られていたと思っているんだけど、みんなからするとシオリやサナエ(本川紗奈生)のほうが怒られていたって。試合に出してもらえないことはありましたよ。でも「練習から外れてろ!」と言われることはあまりなかったな。それが多かったのはサナエです(笑)。

2年生の時から私たちの代が主力でやらせてもらっていました。ウインターカップは3位です。準決勝で渡嘉敷来夢さんたちの桜花学園に負けて、3位決定戦は山形市立商業が相手。延長戦までもつれ込んで79-76で勝ちました。

あの時はガチで泣きましたね。スタイル的に似ているチームで、身長もさほど変わらない。準決勝の時よりは対等に戦える相手でした。来年に繋がるような試合をしたい気持ちもあったけど、やっぱり3年生の最後の大会だったので、どうしても勝たせてあげたいと思っていたんです。だから本当に勝てて良かったって。

しかもこの試合は桜花学園戦の出来があまりにもひどくて、上島さんが「明日の3位決定戦は3年生がスタメンを決めなさい」と。そうして3年生が決めたスタメンが、3年生3人と私とサナエでした。今だから言えるけど、正直あの時は「このメンバーで勝てるかな」ってちょっと不安もありました。試合が始まってから交代で入って来るのも3年生。最終的にシオリやモエコが入ってきました。本来のスタメンになったら、まあみんな負けず嫌いな子たちばかりなんで(笑)、さすがに燃え始めて、延長戦で勝ちました。

今思えば、私たちは下級生だったのでどこかに「まだ来年もある」という気持ちがあったのかもしれません。それを上島さんは見抜いていたのかも。ウインターカップは3年生にとって最後の大会だし、しかも3位決定戦は3年生にとって最後の試合だから、そんな気持ちで臨むことを許さなかったんだと思います。

町田瑠唯

来年のキャプテンはルイ「ハメられた!」

自分たちの代になって、生まれて初めてキャプテンに選ばれました。札幌山の手のキャプテンは選手投票で、キャプテンと副キャプテンを全学年の選手が紙に書いて投票するんです。そうしたら1つ上の3年生全員が「ルイ」って書いてたんです。「ハメられた!」って思いましたね(笑)。2年生の時は自分たちの代をシオリがまとめていたから、私はてっきりシオリがそのままキャプテンをやるものだと思っていました。中学の時もシオリがキャプテンだったし、自分もシオリに投票しました。そうしたら「来年のキャプテンはルイ!」って言われて……。

キャプテンになってもチームを引っ張っている感じはありませんでした。私は言葉で何かを伝えるタイプではないので、プレーで頑張ろう、背中で引っ張ろうという気持ちだったかな。言葉にして、時には怒ったり注意したりするのはシオリやサナエができるから、そういう時は2人に任せていました。

シオリとサナエも「キャプテンはルイだから」って引くタイプじゃなかったし、とにかくみんなが勝ちたい、優勝したいという気持ちだったので、言いたいことを言うようにしていました。まぁ、上島さんからは「シオリはアシスタントコーチ」って言われていましたからね(笑)。もうキャプテンよりも上の存在として、みんなを引っ張ってくれていました。

結果として高校3冠になりましたが、もともと考えていたわけではなかったんです。いや、3年生になった時に自分たちで目標を決めようということになって「全国制覇」を目標にしたことはあるんです。それを体育館の黒板に大きく書いていたら、練習に来た上島さんから「消せ」って言われました。「全国制覇は当たり前、そんなの目標じゃない」って。

「マジかっ!?」って一瞬思いましたけど、すぐに「ああ、上島さんは私たちよりも上を見ているんだ、全国制覇が目標じゃないんだね」って話になって、それからは目標として全国制覇も、高校3冠も掲げていません。「上島さんの追求するバスケットをどれだけできるか。上島さんが想像しているバスケットをどれだけ超えられるか」が私たちの目標になったんです。