堀健太郎

プロスポーツのチームには浮き沈みがあり、強豪がずっとその地位にいられるとは限らないし、下位にいたチームが急浮上することもある。しかし、チームがこれまでとは違うレベルへと変貌するのは決して偶然ではなく、それだけの質と量を伴った仕事が必ず行われている。現在のB1における『急浮上』の筆頭は島根スサノオマジックだ。地方のクラブが持つ不利を抱えながらbjリーグからBリーグまでを戦ってきた島根は、株式会社バンダイナムコエンターテインメントの資本下に入ることで経営基盤が強化され、ここまで24勝8敗で西地区2位と大躍進を見せている。編成を司る堀健太郎GMはバスケの競技経験がない33歳。大分ヒートデビルズのインターンからの叩き上げで、実直な働きぶりと熱意で周囲の信頼を勝ち取り、強力なチームを作り上げている。

「ただ予算が増えたから使うのでは間違った方向に行く」

──まずは堀GMのこれまでのキャリアについて聞かせてください。まだ33歳ですし、バスケのプレー経験がないと聞きました。

はい、父親がミニバスのコーチをしていた関係で小学生の時に少しだけ経験はありますが、正式にバスケをやったことはありません。私は高校を卒業してスポーツ選手を支える仕事がしたいとトレーナーの専門学校に行きました。20歳の頃に、地元の大分ヒートデビルズのインターンとして、アシスタントトレーナーを経験させてもらったのがキャリアのスタートになります。当時はスタッフも少ない状況で、アシスタントトレーナーですがマネージャーの業務をやったり、チームを移ってからはチーム統括やアシスタントGMをやらせてもらったり。Bリーグ初年度の2016年に、当時B3だったライジングゼファーフクオカで途中からヘッドコーチをやらせてもらってB2昇格を果たしました。翌年にはGMへと役割を変えて、そこからGMを続けさせていただいています。

当時の福岡は「B3から最短の2年間でB1に上がろう」という目標を立てていて、その2年目にGMを務めました。選手もスタッフも頑張ってくれてB1昇格を決めたところで島根から声を掛けていただいたんです。当時は島根が1シーズンでB2に降格した年で、「次の年にどうしてもB1に上がりたい、そのために力を貸してほしい」という話でした。

──バスケ経験がない、若くて実績もない。その堀さんがそれだけ評価された理由はどこにあると思いますか?

特にbjリーグの頃は球団も選手もスタッフもあらゆる意味で余裕がなく、苦しい状況でのスタートだったので「何でもやって当たり前」という姿勢で、1人2役でも3役でもこなしていました。それを当たり前にやっていたので、その後は多少苦しいことがあっても切り抜けられます。

やっぱり自分の中で、「あいつは若いから」とか「バスケをやったことがないから」と言われるのが一番嫌で、そう思われないような動きをずっと意識してきたし、それは今でも変わりません。GMやヘッドコーチが集まるような場があると、他の皆さんは高校や大学から第一線でやってこられた方ばかりで、自分が場違いなんじゃないかと感じることもありましたが、逆に「自分だけの強みがあるはずだ」と感じて、そこを強くすることを考えるようになりました。年齢が若いことを強みにする。それは選手との距離が近くて話しやすい部分だと思っていて、練習場に行って話す頻度だったり、何か気付いた時に声を掛ける頻度を上げて、日常からコミュニケーションを取ってお互いが何を考えているのか共有することを心がけています。

──2018年に堀さんがGMになった時点での島根は「限られた予算を上手くやり繰りして1年でB1に」というチームでしたが、バンダイナムコさんが加わって経営が強化され、今度は「資金力はあるから優勝を狙えるチームを」と求められるものが変わりましたか?

強化予算が増えたのは誰が見ても分かる事実です。ただ、その予算の考え方はいろいろあると思っていて、島根だけじゃなくBリーグ全体で選手の年俸が上がっている状況で、例えばBリーグの選手に数千万円のオファーを出す場合でも、私は「自分で数千万円の家を買う」ぐらいの覚悟と責任を持って決めたいです。ただ予算が増えたから使うのでは間違った方向に行くので、自分が本当に納得できるのか考えます。また予算が増えても交渉のやり方を変えているつもりはなくて、プロ選手である以上はお金を求めるのは当然なんですけど、島根で頑張りたい、島根を変えたいという思いがある選手に誠意を持って交渉、オファーさせていただくように心がけています。本当に島根でやりたい選手に、それだけの価値を見いだしてお金を使いたい。それが生きたお金の使い方だと思います。

堀健太郎

「金丸選手にクルーザーをオファーした事実はありません(笑)」

──金丸晃輔選手に安藤誓哉選手、そしてオーストラリア代表としてオリンピックに出場したニック・ケイ選手。今シーズン開幕前の話題は島根がほとんど独占した印象でした。昨夏の補強について振り返っていただけますか。

昨シーズンの終盤は外国籍選手がケガで帰国するような状況がありながらも球団史上初となるB1での8連勝を記録するなど、非常に良い形で終えることができました。そのチームの戦いぶりに手応えを感じていたので、そんなに大きく変えたくなかったです。もちろん選手の獲得は大きな戦力アップになりますが、チームの積み上げに勝る補強はありません。

正直に言うと、この3人にしかオファーを出していません。戦力としてプラスになるのはもちろんですが、戦うメンタリティ、戦う姿勢を島根スサノオマジックにもたらしてほしかった。大舞台を経験したからこそ見えるものが彼ら3人にはあると考えましたし、今まさにそれをチームに還元してくれていて、非常に良い効果が出ていると思っています。

──安藤選手はアルバルク東京、金丸選手はシーホース三河に在籍していて、お金の面も環境も良かったはずです。その彼らが島根のオファーを受けたことに驚いた人は多かったと思います。どうやって口説き落としたのですか?

私はどちらかと言うと交渉の時にチームの弱いところやこれから良くしていきたい部分など、決してポジティブとは言えないような部分も伝えるようにしています。それだとなかなか振り向いてもらえないと思うんですけど、良いことだけを切り取ってアピールするのは違うと思っていて、環境や待遇もBリーグのトップと呼ばれるクラブと比較してどうなのかを正直に話すようにしています。交渉では良いことだけ話せばいいのかもしれないのですが、僕は契約をまとめるまでよりも、契約をした後に「やっぱり島根に来て良かった」と思ってもらうことが重要だと思っています。そう考えると交渉はその過程にすぎません。もちろん良い部分も伝えますし、「一緒に島根をこうしていきたい」という話もします。

「金丸選手も安藤選手も移籍するとは思わなかった」とよく言われるんですけど、皆さんが移籍するとは思わなかった両選手に、バスケット経験がない私がある意味とんでもないチャレンジをした、そういうところに助けられたのかもしれません。ただ、私自身が島根に来た時と同じ流れなんです。B1で戦うのも魅力的でしたが、自分自身のチャレンジで島根に行こうと思ったので。両選手には、オファーは1回しか出していません。2人とも私にとって本当に納得できる選手だったので、駆け引きなしでウチが出せる最大級のオファーを出して、他と比べて上げるような交渉は何もしませんでした。

──バスケと同じぐらい釣りが好きな金丸選手にはクルーザーをオファーした、という噂がまことしやかに流れています。

結構言われるんですよ。最初は船という話だったのが、いつの間にかクルーザーにランクアップして話が広まっていました(笑)。船もクルーザーもオファーした事実はありません。金丸選手も「そもそも船の免許は持っていません」と言っていました(笑)。ただ、そうやって島根県やスサノオマジック、所属選手について話題になることは、とてもありがたいことだと思っています。

──ニック・ケイ選手についてはいかがですか? 派手な仕事もできますが、チームファーストでプレーできる選手です。

ケイ選手は、今の島根がお金があるからオファーしたわけではないんです。外国籍選手にバスケのスキルだけを求めればトップレベルの選手がいくらでもいますが、私はそれだけなら正直その選手が絶対に必要だとは思いません。彼の人間性の良さはプレーからも分かると思うんですけど、彼は自分が点を取らなくても、勝つことや仲間が点を取ればハッピーでいられる選手で、試合状況によっては自分がコツコツ点を取ることもできる。目立たないところで細かいことを頑張る、外国籍選手っぽくない外国籍選手だと思います。実は以前にも代理人を通じてリサーチしたことがあって、その時は彼はヨーロッパでのプレーを選びました。でも今回は島根に来てくれた。ずっと注目し続けたから振り向いてもらえたんだと思います。高い期待をかけていましたけど、それ以上のものをチームにもたらしています。

堀健太郎

「一番変わったのは応援してくださる方々の期待の大きさだと思います」

──今の島根は西地区の2位と好調です。勝ち負けを別にして、チームの変化についてどんな点に注目していますか?

昨シーズンは日本人選手の得点や3ポイントシュートの確率、また競った展開で終盤に勝ちきる力が足りなかったのですが、補強した選手が変えてくれました。ヘッドコーチのポール・ヘナレの力も大きく、選手からよく聞くのは「自分に今までなかった、できなかった一面を引き出してくれる」ということで、選手の新たな一面を引き出す指導力は大きいと思います。

また、以前からチームにいる選手の活躍にも是非注目してもらいたいです。昨シーズンに主力でやっていたメンバーがバックアップに回り、プレータイムが減ることも起きています。みんなヘナレコーチと一緒にやるのは初めてで、そのスタイルを理解するのも大変です。それで悔しい思いをする選手も腐ることなく一生懸命に練習に取り組んでいるし、出場時間が短いかもしれないけどその中でしっかり結果を出してくれていると思います。そういう選手がいるからメインの選手がまた活躍できる。チームとして大切なことができていると思います。

──GMの仕事は外部から見ているよりも責任が大きくて大変だと思います。自分でも大変だと思いますか?

自分の仕事が苦しいとか大変とか、そう見られるのはあまり好きではないです。日本の中で22名しかできないB1のGMを任せていただいていることに感謝しかありません。でも、正直この仕事は大変なことが多いと思います。20歳でアシスタントトレーナーとして働き始めた時に、将来自分がGMやヘッドコーチになるとは全く想像していませんでしたし、GMの仕事だからしんどいのではなく、仕事そのものが楽なものではないと思っています。例えが難しいのですが、100のうち80とか90が苦しいことだと思います。ただ残りのたった10とか20しかないものがたまに80の苦しさを一瞬にして超える喜びを感じることができる瞬間が来るんです。

それはファンの皆さんや会場にきていただいてる方が楽しそうな表情で応援している姿や笑顔を見たときとか、もちろん試合で勝つこともそうですし、勝った時の選手やスタッフが喜んでいる姿だったり。そういうものに救われます。

『縁で生きる、感謝と結果でお返しをする』。これは私が大切にしている言葉です。これまでの人生の中で本当にご縁や環境そして運に恵まれてきました。これまで一緒に戦ってきた選手やスタッフ、今一緒に戦っている選手やスタッフ、ファンの皆さま、サポートいただいている多くの方に支え、助けていただいて、今の私がありこの仕事ができていると思っています。今季加わってくれた、金丸選手、安藤選手、ケイ選手も素晴らしい縁があってだと思います。そういったすべての方に喜んでいただける環境を準備することが私の責任だと思います。

──この先、島根スサノオマジックをどんなチームにしていきたいか、堀GMがどんな仕事をしていきたいかのイメージを教えてください。

これまでクラブの中でいろんな役割をやってきましたが、GMの次に何をやるかはあまり考えません。ただ、この先実現したいのはスサノオマジックのバスケで島根県、山陰地方をもっと活気あふれる街にしたいとか、多くの人たちに試合のある週末を楽しみだと思ってもらえるチームを作ることなので、そのためには昨日の自分のままじゃダメだし、自分が成長しなければチームの成績に繋がらないとも思います。そのためには私自身がスキルを伸ばし、人間力を高めなければいけない。それがなければGMだろうと何の仕事だろうと上手くいかないので。

スサノオマジックのファンの方は年代が幅広くて、ご高齢の方も結構多く熱く応援してくださる方もいます。自分の祖父母を考えた場合、これだけ熱くなれるものってなかったんじゃないかと思うんです。そうやって皆さんが盛り上がっている姿を見ると本当にこの仕事をやっていて良かったと思います。もっとたくさんの人に見ていただきたいんですけど、そう言うからには自分たちが胸を張れるチーム作りをしなきゃいけない。私自身ももっと頑張らなければいけません。

その結果としてチャンピオンシップに行きたいですし、贅沢かもしれませんがホームアリーナで開催して、スサノオファミリーの皆さんに見ていただきたいです。ファイナルに進出したら会場に島根から何人の方が来てくれるか、スサノオブルーで埋まるか心配していますが、ただこの心配ができるのもありがたいことですよね(笑)。

資金力のあるクラブになっても私はあまり変わらないという話をしましたが、一番変わったのは応援してくださる方々の期待の大きさだと思います。そういう意味で、1勝の価値や責任が今までとは変わってきていると思います。