コー・フリッピン

琉球ゴールデンキングスは、チーム設立当初から地域密着を強く打ち出したチーム編成を継続し、これまで多くの沖縄出身選手がプレーしてきた。その系譜を継ぐ選手として、今シーズンに加入したのがコー・フリッピンだ。アメリカの西海岸、カリフォルニア州で生まれ育ったフリッピンは、母親が沖縄の出身であり、幼少期から何度も訪れるなど沖縄との繋がりが深い。Bリーグ随一のスラムダンカーである彼は、抜群の身体能力を生かした豪快なプレーでチームの貴重な戦力となり、早くもファンの心をつかんでいる。

2023年には沖縄でワールドカップが開催される。開催は来年夏だが、そのチケットは3月1日から限定先行販売がスタート。バスケファンの期待が高まる中、フリッピンも沖縄にルーツを持つプレーヤーの一人として、この大会への出場に意欲を燃やす。琉球ゴールデンキングスで、また日本代表でも活躍が期待されるフリッピンに、自身のルーツである沖縄への思いを聞いた。

フリッピンにとって琉球は「家族の地元を本拠地とするチーム」

──昨シーズン、フリッピン選手は特にチャンピオンシップで素晴らしいパフォーマンスを披露し、千葉ジェッツのリーグ初制覇に大きく貢献しました。それだけに琉球への移籍はファンに大きな驚きを与えました。琉球からオファーが来た時は率直にどんな気持ちでしたか。

キングスは子供の頃から知っているチームです。そのチームが獲得に動いてくれたことはとても素晴らしい気分でした。日本で一番のホームアリーナを持ち、素晴らしいスタッフ、選手、コーチが揃っています。このチームの一員になれて感謝しています。強いチームを作る上で、キングスからすれば僕の獲得が絶対に必要ではなかったはずですが、それでも家族の地元を本拠地とするチームからオファーをもらえて、すごく幸せな気分でした。

──キングス加入を知った時の家族の皆さんの反応はどんなものでしたか? 特に昨シーズン、試合会場に足を運ぶ姿が話題にもなったおじいさんは、より応援に力が入っているのではないでしょうか?

家族はとても驚いていました。そもそも千葉ジェッツを離れるとは思っていなかったようです。僕が地元でプレーすることを、みんな幸せに感じてくれています。おじいちゃんには、キングスのグッズをすぐに贈りました。これまで僕の試合をすべて見てくれていますし、これまで以上に熱心に応援してくれています。時には僕以上にキングスに夢中で、それにはちょっと驚きますね(笑)。

──子供の頃から、学校の長期休みに合わせて何度も沖縄に来ていたと聞いています。沖縄にはどんな印象を抱いていましたか。フリッピン選手が生まれ育ったカリフォルア州トーランスも沖縄と同じく海が身近にある土地です。

トーランスは日本人や日系移民が多く住んでいる街なので、日本の文化には馴染みがありました。沖縄とカリフォルニアの大きな違いは湿度です。カリフォルニアは湿度がなくてカラリとしていますが、沖縄は蒸し暑いです。ただ、沖縄はとても美しい土地です。沖縄のビーチはカリフォルニアより断然、綺麗ですね。僕は今でもビーチに行くのが大好きです。

高校に入った頃から1年を通してバスケをやるようになって、沖縄には行けなくなりました。プロバスケットボール選手として日本に来る前に沖縄を訪れたのは、大学に入る前の休みが最後でした。今こうしてキングスの選手として沖縄で暮らすようになって、昔と違って自分のお金で自立して暮らしているので、より自由に沖縄を楽しんでいます。

コー・フリッピン

「首里城は沖縄の歴史を知ることができる大切な場所、焼失はショック」

──沖縄のビーチといえばBBQが有名ですが、これまでにやったことはありますか。また、アメリカはBBQの本場ですが、アメリカと沖縄ではどんな違いがあると思いますか。

僕には2人の叔父がいて、彼らが家族や友人が集まって行うビーチBBQ、自宅でのBBQに誘ってくれていました。アメリカのBBQだと、肉を大きな塊のまま焼いていくスタイルです。沖縄は肉もたくさんの種類があって、肉だけではなくお刺身とかも一緒に出てきます。僕にとって沖縄スタイルのBBQは、いろんな食べ物を口にしながら、たくさんの人たちとの交流を楽しむ場です。

──沖縄には有名な地元ならではの食べ物がいろいろとあります。好きな沖縄フードは何かありますか。

沖縄そばですね。お気に入りのお店もあります。名前が思い出せないのですが、おばあちゃんが時々行く病院の近くにあるお店が大好きで、本当においしいです。その他にはラフテーも好物です。おじいちゃんに勧められて小さい頃からゴーヤチャンプルなど、沖縄の伝統的な料理をいろいろと味わってきました。

──小さい頃、よく行っていた場所として思い出に残っているところはありますか。

那覇市の新都心公園には、いつも兄と一緒に行っていました。バスケを本格的に始める前にはスケートボードもよくやっていて、新都心公園にはスケボーパークもあります。ある年はスケートボード、その次の年はバスケットボール、翌年はゴルフと、沖縄に滞在している時はいろんなスポーツを楽しんでいた思い出があります。

また、海沿いにあるストリートのバスケットボールコートで有名な安良波公園にもよく行っていました。コロナ禍で行動が制限される前ですけど、子供たちがプレーするのをよく見ていました。僕はプレーするのと同じぐらい、バスケを見ることも好きなんです。現在はチームの一員としての責任があるので、人が集まるところは避けるようにしているので、なかなか公園にも行けません。いずれ新型コロナウイルスが終息したら、オフシーズンには安良波や新都心公園のどちらにもバスケットボールコートがあるので行きたいですし、どこかでストリートバスケを楽しめたらいいと思っています。

──コロナ禍が収まり、アメリカの友人たちが沖縄に来られるようになった時、彼らを連れていきたいオススメの場所はどこになりますか。

ビーチですね。おいしい食事を楽しみながら、太陽が海に沈んでいくのをのんびりと眺めている時間は僕にとって最高のものなんです。オフの時、無人島のナガンヌ島にいってリラックスしたこともあります。今は復興途中ですが、首里城にも連れていきたいです。沖縄の歴史を知ることができる大切な場所であり、子供の時から何度も訪れていました。だから焼失したのを知った時はショックでした。

──沖縄の歴史といえば、フリッピン選手はうちなーぐち(沖縄の方言)を挨拶で使いますよね。これは誰から教わったのですか。

はいさい、ゆたしくうにげーさびら(よろしくお願いします)と簡単な言葉ですが、母から教わりました。母は自分のルーツである沖縄の文化を僕が知ることを、とても大切に思っています。僕もうちなーぐちを使うのが好きなんです。

スポーツアイランド沖縄

取材協力=スポーツアイランド沖縄