瀬川琉久

「ここぞという時はエースなので、絶対に決めるつもりでした」

世代No.1プレーヤーの呼び声は正しかった。準決勝までの5試合で平均24.0得点、14.8リバウンドでゴッドドア(兵庫)を牽引してきた瀬川琉久は、KAGO CLUB(大阪)と対戦した決勝でも28得点16リバウンド、さらには5アシスト2スティール1ブロックショットを記録して全国制覇の原動力となった。

ゴッドドアには、瀬川を含めて全中で優勝した本山南中学の選手が数人所属している。ただ全中は大会最終日に新型コロナウイルスの影響で試合を行うことができず、大会本部の判断で準決勝に残ったチームすべてを対象とする『4校優勝』の裁定が下った。だが、瀬川はこれを「悔しさがすごくあった。終わってから4カ月ぐらい、常にあの悔しさを忘れずに、毎日毎日練習に取り組んできました」と振り返る。

8月21日の全中最終日、本山南は感染者を出したわけではないが『濃厚接触者の可能性あり』として体育館に入ることさえ認められなかった。『4校優勝』の判断が出るまで待機させられた彼らの心境は想像するに余りある。戦うことなく優勝しても、すっきりしない思いがあったのは間違いない。「そうですね。本当の日本一になりたかったです」と瀬川は言う。

このJr.ウインターカップでも、大会期間中に全国で感染者が急増する不穏な雰囲気はあったが、全試合を行うことができた。無事にコートに立った瀬川は持ち前の身体能力とスキルを遺憾なく発揮。がっしりとした首と背中、しなやかで強靭な足腰と、中学校3年生とは思えない完成されたフィジカルを持ち、スキル面でもドライブからフィニッシュまでの精度が高く、プレーの引き出しの多さも光った。そして何より、『エースの自覚』を持ってチームが苦しい時こそ自分が引っ張る精神力の強さを示した。

『エースの自覚』について質問すると、「ここぞという時はエースなので。そこは頼られていると分かっていたので、絶対に点を決めるって気持ちでした」と力強い答えが返ってきた。

瀬川琉久

「適当にプレーして勝つのは納得がいかない、今後に繋がらない」

試合が終わった直後、コート上でのインタビューで瀬川は「日本一の選手になりたい」と大きな目標を掲げた。本山南とゴッドドア、部活とクラブチームの2つを掛け持ちする中で、両方の『良いとこ取り』で成長してきた瀬川は、「ウインターカップ優勝もしたいし、日本代表に入ってスタートになって、日本一のガードになりたい」と将来を思い描くとともに「NBAでプレーしたい」と語る。

そのためのアプローチが明確なのも、彼の頼もしいところ。これはミニバス時代から瀬川を指導したゴッドドアの本間雄二コーチ譲りの考え方だ。本間コーチはJr.ウインターカップ初優勝を決めた直後であっても、至極落ち着いた表情でこうコメントしている。「これが彼らの目的であって目標ではありません。ここでチャンピオンになっても彼らの未来が大きく開けるわけではないはずです。しかし日本一を目指して培った力は今後、彼らが発揮していけるものです。チャンピオンになっても1回戦で負けても、頑張って自分を磨いけているか。それを崩してはいけない」

もっとも、それは育成年代を担当するコーチだからできる発想で、選手は目の前の試合で勝つことに必死になりそうなものだが、瀬川は「勝ちたいと思って全力でプレーすれば成長に繋がると思います」と前置きしながらも、こう続ける。「でも、流れが悪い中で適当にプレーして勝つのは納得がいかない、今後に繋がらない。バスケット人生はこれだけじゃないし、これが目標じゃない。それじゃ繋がらない」

だからこそ、瀬川は「日本一の選手になりたい」と言いながらも、現時点での自分に何ができて、何ができなくて、次にどう成長したいかを思い描いている。わずか5日間の大会での自身の成長について「相手やゲームの状況を見てどうプレーするかの判断は成長したと思います」と、明確な答えが返ってきた。この世代のどの選手も瀬川をライバル視して追いかけていると言っても過言ではないが、彼自身に全く緩みがないのだから、追い付き追い越すことが困難な道になるのは間違いない。

大会を通じた自己評価は「100点満点ではないですけど、大事な場面でのターンオーバーとかが多かったので80点ぐらい」と、まだまだやれる自信はある。次なる高校バスケの舞台で、世代No.1プレーヤーがどんな成長を見せるのかが楽しみだ。