森川正明

プレータイム確保に苦しんだ三河での4年間が、今の活躍の土台に

シーホース三河は、世代交代を進める今こそ若手が活躍しているが、数年前までは橋本竜馬、比江島慎、金丸晃輔に桜木ジェイアールと代表クラスが先発にズラリと並ぶ豪華スター軍団だった。先発の負担を減らそうと彼らに続くタレントを数多く獲得したが、先に挙げたビッグネームからプレータイムを奪うのは簡単ではなく、その陰に隠れる選手も少なくなかった。

森川正明もその一人だった。NBDL時代の豊田合成スコーピオンズでは日本人エースとして活躍し、2015-16シーズンにはチームトップの18.6得点を記録。Bリーグが始まる2016年夏に三河へと移籍した。それでも、同じポジションに比江島と金丸がいるのでは分が悪い。前年の37.5分から8.1分とプレータイムは激減し、コート上での役割は極めて限られたものとなった。

Bリーグになって、選手を取り巻く環境が激変していた時期だけに、すぐに好条件を求めて移籍することもできただろう。それでも森川は、三河で4シーズンを過ごしている。森川が常に話していたのは、「三河の環境が自分を一番成長させてくれる」ということだった。鈴木貴美一ヘッドコーチが見守る中、比江島や金丸と毎日のようにマッチアップするのだから、それも当然だ。

それでも、新型コロナウイルスの影響で打ち切りとなった2019-20シーズンを終えると、彼は横浜ビー・コルセアーズへの移籍を決意する。新天地では単にプレータイムが伸びただけでなく、勝敗が懸かった場面でボールを託されることも増えた。移籍1年目の昨シーズン、三河では一度も10分を超えなかった1試合平均のプレータイムが30分近くまで伸び、9.5得点を記録。三河での最後のシーズンに61.3%を記録した3ポイントシュート成功率は本人が「出来すぎです」と苦笑とともに答えるものだったが、試投数が228本へと増えた昨シーズンも40.8%を記録。その勝負強さで横浜の日本人エースとなった。

「三河の時よりもイキイキしていたかもしれません」と彼は笑うが、三河に対して悪い感情は一つも持っていない。注目されることなく努力を重ねた4年間があったからこそ、今の自分があると考えている。「三河で積み上げたことを横浜で表現できた。試合に出られない期間もしっかり努力して、いろいろと経験させてもらった土台があって、横浜で表現したんだと思います」と彼は言う。

かくして森川は日本代表候補に選ばれた。ハイスピードなバスケ、3ポイントシュート重視のバスケを志向するトム・ホーバスの目に、攻守にバランスが取れ、思い切り良く放つ3ポイントシュートという森川のスタイルは魅力的に映ったのだろう。横浜2年目となる今シーズンも開幕から好調をキープ。チームの主力としてフル回転する経験が、これから彼をさらに大きくするはずだ。森川の躍動感溢れるプレーが、日本代表の新たなカラーになることを期待したい。