川村卓也

「B1とB2でカテゴリーは違えど、チャンピオンになりたい」

圧倒的な得点力から付けられた異名は『オフェンスマシーン』。2005年に19歳で日本代表に選出され、JBL時代には何度も得点王に輝いた頼もしい男、川村卓也が西宮ストークスに加わった。小学4年生でバスケットボールを始めた彼は、最初から現在と変わらぬスタイルでプレーしてきた。

「僕は素晴らしい指導者に出会ってきました。チームで一番背が高くても、ゴール下ではなく今のようにアウトサイドからシュートを狙うポジションを幼少期から任されたんです。そういう指導者に出会えたことで、今こうやって自分のポジションが確立できて、プロの世界に繋っているのかなと思います」

中学に進んでもバスケを続けるのは自然な流れ。全国大会とは縁がなかったが、参加したある大会が中学生バスケットマンの川村を大いに刺激した。

「ジュニアオールスターという、県内で選抜される選手たちが集まってチームを構成し、県代表として戦う大会のメンバーに選んでもらったんです。結果的にベスト4まで行ったのですが、全国にはスゴい選手がたくさんいるんだなと刺激されました。当時の福岡代表には堤啓士郎(元ライジングゼファーフクオカ)、寒竹隼人(仙台89ERS)、山下泰弘(島根スサノオマジック)という、すごいトリオがいたんです。『コイツらはスゲえ!』って思ったのを、今でも鮮明に覚えているくらい、自分の中でインパクトの大きな大会だった。あの大会に出られたことで世界が広がって、もっともっと上手くなって全国制覇したい、日本代表になりたい。目の前の目標だけじゃなくて、将来のビジョンが広がったのは確かです。それで全国で戦える高校に行きたいと思い始めたんです」

全国を目指して入学した盛岡南では、1年次からウインターカップに出場。2年次はインターハイ1回戦で55得点を挙げるなどベスト16入りに貢献し、3年次のインターハイでは前年を上回るベスト8へとチームを導いた。この時のベスト4入りを懸けた洛南との試合は、今も記憶に深く刻み込まれている。

「試合は1点を争う展開で、逆転のブザービーターのショットが僕に託されたんです。マンガの『SLAM DUNK』で、三井寿がショットを打ってからボールがゴールに届くまで、時間がゆっくり流れている感覚がするというのを読んだことがあるんですけど、全く同じ経験でした。僕の場合はシュートしたボールが、リングの上をクルっと回って外に落ちてしまったんです。あれが入ったら逆転勝ちだったんですけどね……。でも外れたことで、次のウインターカップに向けて頑張ろうと思ったし、高校を卒業したらプロになることを決意していたくらいの時期だったので、プロで絶対に上手くなってやると思えた。失敗したショットだったけど、さらに自分を高めてくれる、次に繋がる最高のきっかけをもらいましたね」

川村卓也

「ストークスに決めたのは、一番パッションがあったからです」

日本のバスケ界は高校を卒業すると有名大学に進み、その後にプロ入りが一般的なルートだ。しかし彼はその道をなぞらず、高校卒業後に実業団のOSGフェニックスに入団する。

「高卒で入って、やっぱり最初は厳しかったですね。先輩たちがこの世界は厳しいんだよ、高卒で簡単に成功するほど甘い世界じゃないというのを、身体で教えてくれたと思います。いじめられたり暴力を振るわれたことは一切なくて、コートの中で身体を激しくぶつけ合うフィジカルの大切さだったり、ディフェンスの厳しさだったりを教えてくれました。1年目は対応するのに苦労しましたが、自分はやれると常に思っていた。その気持ちだけは忘れずに、いつでもやり返してやるという気持ちを持ちながら、プロのキャリアをスタートさせました」

持ち前の負けん気を発揮して、1年目にルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出されると、そこからいくつものチームを渡り歩き、同時に日本代表でも実績を残した。そしてキャリア17シーズン目、35歳になった今シーズンにストークスの一員となった。

「ストークスにお世話になることを決めたのは、一番パッションがあったからです。昨シーズンに西地区を制覇して、行けると思ったB1に行けなかった。何が足りなかったのかをチーム関係者が考察し、どうしても今シーズンに上がりたいんだという思いで、僕に声をかけてくれた。僕もチームの大きなミッションにトライしてみたい思いがあり、それが合致したので、このチームに来ることを選択しました」

トップカテゴリーで輝かしいキャリアを築いてきた者として、B2でプレーすることに抵抗はなかったのか。

「正直、最初はありましたね。でもそれは日々考えているうちに、無駄なプライドなのかなと感じるようになりました。確かにB1のほうがレベルは高くて環境も整っていますし、ファンも多いかもしれない。だけど35歳になって、こういう大きなミッションにトライできるのは、限られた人しかいないと思う。もしかしたら、35歳は引退する年かもしれない。それでも現役を続けるなら今後のキャリアを考えても、若手の選手と育成の時間をともに過ごすより、自分に与えられた大きなミッションをクリアしたい。そう思うようになったのも、このチームに決めた理由です」

大きなミッションへのトライを目前にして、希代の点取り屋は胸を高鳴らせている。

「デカいですよ、このミッションは。60試合という長いレギュラーシーズンを戦い抜いて、その後にプレーオフが控えていますから。35歳の選手の身体には正直、長いシーズンだと思います。だけどB1とB2でカテゴリーは違えど、チャンピオンになりたい。チャンピオンを取るためにともに戦ってほしい。そう思ってくれる経営者、チームメートがいることは、自分にとって大きな財産です。B1というカテゴリーからグレードダウンするかもしれないけど、そこは前向きに捉えて、来シーズン自分たちがB1の舞台に立っているんだとポジティブなモチベーションに変えています」

川村卓也

「一度は蹴落とした僕がこのチームを這い上がらせる」

川村は横浜ビー・コルセアーズに在籍していた2017-18シーズンにストークスとの対戦を経験している。シーズンの最後には、B1残留プレーオフという残酷な舞台で相対した。

「お互いにB1残留の思いを持って戦う試合で、当時の僕が所属していた横浜がストークスに勝った。僕らが残留の権利を得て、ストークスがB2に落ちてしまったという過去があります。勝負の世界なので、今はそれを許して僕を受け入れてください(笑)。当時は敵でしたが、今は味方としてストークスのチーム名、応援してくれるスポンサーさんやファン・ブースターを背負って戦う立場にある。今度はストークスのために、自分が何ができるかを模索しながらやりたい。一度は蹴落とした僕がこのチームを這い上がらせるのは、緊張やプレッシャーというより、ワクワクする気持ちのほうが大きくあります」

B2優勝、B1昇格の命題に再び挑む2021-22シーズンが、間もなく幕を開ける。プロ17シーズン目を迎えたベテランは、チームにどのような力を注ぐのか。

「僕が今から新しいことをするのは、なかなか難しいでしょう。でも17年のキャリアで培ってきた、他の選手にはないものがあると思う。見てきた景色も、多少なりとも違うはず。チームは生き物なので、シーズンを過ごしていく中で上下の波があるものですが、いかに上の波を長くして、下の波を短くするかが大切。そういう時こそベテランの立場でチームを引っ張って、一つのことに一喜一憂しながらも尾を引かず、いつもフレッシュな状態かつ楽しんだ雰囲気で、チームを支えていけたらと思っています。僕たちの最終目的地は、ただ一つ。シーズン中にいろんな道が現れるでしょうが、一番の目標であるB1昇格に向かうべく、最後の一本の道に繋げたい」

川村は「オフェンスマシーンは、ちょっと錆びてきています(笑)」と冗談交じりに笑う。だがストークスにとって今シーズンがいかに大事かは、充分すぎるほど理解している。トレーナー陣のサポートも得てコンディションを整え、オフェンスマシーンは2021-22シーズンを全力でやり切る決意だ。

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