宮本浩次

和歌山信愛は15年連続22回目のウインターカップ出場、インターハイでも32回出場の和歌山の強豪校だ。就任19年目を迎える宮本浩次コーチは強豪校の監督としては珍しく、バスケの指導者よりも教員を志してこの世界に入ってきた。それも、家業を継ぐかどうか悩んで末に教員を選んでいる。だからこそ「自慢の生徒です」と選手たちを紹介する時はほがらかな笑顔を見せる。練習も厳しさとともに規律を重視しており、ダラダラと長時間続けるのではなく決められた時間に必ず終わる。だからこそ選手は限られた時間の中で集中して練習に取り組む。そんなチーム作りを進める宮本コーチに話を聞いた。

「バスケで繋がったものは先へと続いていく」

──まずは宮本コーチの経歴、指導者を志したきっかけを教えていただけますか。

私は和歌山の出身で、和歌山はあまりミニバスが盛んではないのでバスケを初めてやったのは小学4年で、学校の体育でした。中学では県大会に出れず、和歌山北という体育科のある高校でインターハイに出場しています。大阪体育大を出て、大阪の中学で講師をやっていました。当時はなかなか中学の体育の採用がなくて、大阪と和歌山を転々としながら講師は8年間続きました。当時はまだ現役も続けていて、国体とかに出ながら指導の勉強をしていました。和歌山信愛に来たのは30歳の時で、これで19年目になります。指導者としては27年ですね。

高校の時にキャプテンとして全国に出て、地元の小さなところで天狗になっていた面がありました。それが大阪体育大に行くと全国から選手が集まっていて、とてもじゃないですけどスキルも知識も足りない。そんな中で選手を助ける側に回ろうと思ったのが指導者になるきっかけだと思います。ただ実家がスポーツ店をやっていまして、長男なので継ぐ流れだったんです。それでも最終的には教育実習で母校の選手を指導したこと、またクラスで生徒を教えたのが楽しくて、バスケのコーチングよりも教師になりたいというのが先で、講師の頃には家業を手伝っていた時期もあるのですが、教員の道を選びました。

──家業を継ぐことと教師になることの間で悩んだことはありましたか?

祖父の代からやっている店なので葛藤はありましたが、特に母は私が教員をやりたいのに気づいていて、わざと突き放してくれました。両親は商売人なので「教師は人に頭を下げられない」ということをよく言いました。偏見もあるんですけど、その言葉を覚えているので私は今も謙虚であり続けるよう心掛けています。

──これまでで一番難しかったのは、バスケのコーチとしての出来事ですか、教師としての出来事ですか?

講師の間は辛かったですね。私の方を向いてくれて練習してきた選手がいるのに、私が採用試験を通っていないばかりに3月にお別れをしなきゃいけない。それが毎年のように繰り返されました。採用すらない年もあったので、それが一番辛かったです。

──逆に楽しさややり甲斐を感じるのは、どんな時でしょうか?

例えば今回、バスケ部はウインターカップに出場しますが、同じクラスの中にはインターハイや国体がなくなってチャレンジする機会すら与えられずに引退したクラブの子が自分のクラスにもいます。コロナの期間中は会えなかったのですが、夏に会った時には泣きじゃくっていたんです。でもその子たちが、バスケ部のウインターカップ出場が決まった時には全員が拍手して喜んでくれて、そういうのを見ると担任をさせてもらっているやり甲斐を感じます。

──高校での指導はバスケを上達させるためだけでなく人間教育でもあります。

私もバスケットがあって今があるので、それが一番だと思います。子供たちにもバスケットがあり仲間がいて、その先がある。「たかが」と言ったら言い方が悪いですが、バスケはあくまでバスケですから、大学で違うスポーツをやってもいいと思います。ただバスケで繋がったものは先へと続いていくので、人間力を育むことが一番だと思います。

宮本浩次

「決まった時間にどれだけ自分のマックスを出せるか」

──就任19年目で、ウインターカップの出場は実に15年連続となります。和歌山で圧倒的に強い、その理由は何ですか?

私が30歳でここに来て1年目は前任の先生のアシスタントで、まずは学校の仕事を覚えるところからのスタートでした。コーチになっても最初は選手の勧誘が上手くいきません。それでも講師として中学にいた頃の仲間とかお世話になった先輩が「あいつが頑張っているなら」と選手を紹介してくれて、少しずつ部員が集まるようになりました。大阪でも講師をしていたので、その時の先輩方が練習試合に来てくれて、そこで興味を持って受験してくれる子も少しずつ増えました。

当時の指導ノートを読み返してみると、やっぱり最初の何年かは練習の流れが全然できていなくて、選手に申し訳ないと思います。その頃の選手たちがちょっとずつ積み重ねてきてくれたことが今に繋がっているので、卒業生のおかげなんです。

──それでも選手が入れ替わる高校バスケで何年も勝ち続けるには、伝統や文化のような『変わらない強さ』があると思います。

そういう意味で大事にしているのは『時間』です。私は絶対に決まった時間に練習を終了するんです。どれだけ流れが悪くても、それ以上はやりません。「ラスト1本」と言って、それを成功させて終われば気分は良いでしょうけど、特に女子の場合はチーム練習の後にやるワークアウトが自己満足に陥りがちです。シューティングとかワンプレーの練習を続けて、その日にできなかったことを最後にチャラにする感覚があります。そうじゃなくて、決まった時間にどれだけ自分のマックスを出せるか。それは選手も分かっています。当然ワークアウトも朝練もありますが、自己満足にならないように。体育館は使えるので朝練はフリーで、全員が来るわけではなく「こういう練習をしたい」という子がパッと来てやる形です。

──特に女子は長時間の練習をするイメージがあります。決まった時間で120%の練習をやるコツはありますか?

練習メニューにもいろいろ工夫していますが、今まで指導した中で一番のマックスが出た瞬間のきっかけは、私じゃなかったんですよ。数年前ですが、練習に取り組む姿勢が私から見ても尊敬できる選手がいました。ランメニュー一つにしても体育祭の徒競走ぐらいのダッシュをします。抜いたところが全くないんです。そういう選手が1人現れると、先輩たちもその子に負けないように乗っかって、1カ月後にはチームの雰囲気も変わりました。私がいろいろ考えるより、その選手の影響の方がよほど大きかったですね。私としてはその選手が卒業した後もチームの雰囲気を落とさないよう、受け継いでいかなければいけないと必死でした。

ウチは進学トップ校ではないにせよ、勉強も頑張る学校で学力も高いです。バスケで頑張るからと入学できるわけではなくて、テストもあります。一番見てほしいのは練習よりも勉強している姿ですね。毎朝必ず小テストがあるので、朝練に来た子は教室に戻って小テスト向けの勉強をします。それを苦手だと感じてウチを選ばない子もいます。私も若い頃はやや否定的だったのですが、今はありがたいです。勉強もちゃんとやる学校なおかげで、ウチの選手たちは集中が一本スッと入るし、集中の持続という意味でもすごく効果があります。みんな短い時間で集中して勉強も練習もやるし、友達でありライバルとして影響を受けつつやっています。

そういった中で当たり前のように気配りもできます。もちろん個人差はあるんですけど、2年生3年生と成長するとみんなそういう動きになります。良いことばかり言ってますけど、本当に自慢の生徒なんですよ(笑)。