「田舎ですから」と駅まで迎えに来てくれた富樫英樹コーチは、車に乗ったところからしゃべりっぱなしだった。学校のこと、バスケ部のこと、息子である富樫勇樹(千葉ジェッツ)のこと、新型コロナウイルスの影響、新潟県のバスケ事情、日本バスケ界のこれからと話題は尽きず、録音を始める前から面白い話がたくさん出てきた。4つの中学校で26年間指導して全国優勝2回、開志国際の創設とともに高校へと活躍の場を移して5年目の2018年にインターハイ制覇。富樫コーチは大好きなバスケットに打ち込みながら選手を育て、人を育てている。
「自由の中に厳しさがある」のが開志国際のバスケ
──富樫先生がバスケットボールの指導をする上で大切にしていること、譲れないことはありますか?
3年前から『凡事徹底』をスローガンとして掲げていますが、考え方はずっと一緒です。本丸中もそうでしたが、目標を持って来ている子たちを指導するのは難しくありません。ただ、ゲームに出る出ないというのはあります。ゲームに出ない子たちも充実感を持って3年間バスケットをやって、社会に飛び出していってくれたら、という思いです。
今は部員が38人いるので、試合に出ないどころかベンチにも入れない子の方が多いです。チームの良い雰囲気はそういう子たちの姿勢が乗らないと絶対にできません。私はどんな選手も大事にするし、全員がチームに必要でありチームメートだと思って接しています。その姿勢が全員にあれば良いチームになるし、見ている人に愛されるチーム、感動を与えられるチームになります。
昔は補欠はボールにも触れずに外を走ったりすることがありましたが、私は中学校を指導していた頃からそれは絶対やりません。機会均等で同じように練習させます。そういう意味では今は密になってはダメなので分けて練習するより他にありません。
私は日体大の3軍でしたけど、一生懸命に1軍を応援していたし、試合に出れなくても楽しかったですよ。そういう思いを自分のチームの選手たちにさせてあげたい。コミュニケーションも全員と同じように取ります。全員が同じチームで一緒にやっていこう、という一体感を持てるのはチームスポーツの良さですね。
──最初の全中優勝まで20年弱かかったと聞きました。それ以前と日本一になった時では、何か指導に違いはありますか?
本丸中の途中で指導方法を変えました。それまでは厳しく指導して、押し付けるような形でしたが、選手の自主性を認めて、むしろそれをどんどん出させるように変えました。そこからずっと勝っています。
指導者が怒れば選手はピリピリします。もちろん今でも厳しく注意することはありますが、私の中で選手たちへの接し方を変えたというのはあります。本丸中の時に中村(和雄)先生が「本丸は自由の中に厳しさがある」と面白い表現をしてくれました。「厳しさの中に自由がある」じゃなくて「自由の中に厳しさがある」です。例を挙げるとウチはオフェンスはフリーランスでやることも多くて、選手たちが自主的に考えて、自由にやるんです。良い練習になります。もちろんチームの約束はあります。
ただ選手として優れているだけじゃなく、社会に貢献できる大人になってほしい。これがすべてです。最高峰はNBAで、仮にそこまで行けたとしても、現役が終わってからの人生も長いわけですから、そこでどんな形であれ社会に貢献できること。それが『凡事徹底』になるわけで、高校生から自ら考えて行動できるようであってほしいです。
「バスケで成功してもそうでなくても、大事なのは人としての心」
──Bリーグになってプロバスケが注目を集めるようになりました。それと同時に開志国際の選手も、みんなプロ選手を志してやって来ると思います。こういう環境の変化により、選手たちを指導するアプローチを変えた部分はありますか?
中学から高校に移ったことで、生徒たちの進路の考え方も変わりました。昔はプロ選手を目指すのは反対でした。長く続けられるとは限らないし、一生食っていけるだけ稼げるわけでもありません。才能ある子が努力しても、それで何人がプロになれるのか。そのうち何人が30歳まで続けられるのか。正直、Bリーグになった今でも半分はそう思います。しかし私が「稼げないから考え直せ」なんて言うと嫌味っぽくなる(笑)。
──息子さんが1億円プレーヤーですからね(笑)。
その親父が何を言ってるんだ、と言われてしまう(笑)。でも、ウチを出た選手もプロになれるのはほんの一握りです。それでも今は実際にプロ選手になりたいという子が増えて、それがニーズとしてあるわけです。子供たちの夢を砕くわけにもいきません。だから私は「そうか」と聞いてあげて、肯定も否定もしないんです。
進路は3年間かけてコミュニケーションを取りながら、保護者とも連絡を取り合って決めていけばいいと思っています。バスケットの技術を伸ばしつつ、プロ選手以外の道にも進んでいけるような準備をしていくこと。そういう意味では、バスケで成功してもそうでなくても、大事なのは人としての心です。私たちは親御さんから大事な子供を3年間預かるわけですから、そこだけはしっかりと教えていかなければいけないと思っています。
──死ぬまでバスケットボールに携わるために選んだはずの教員ですが、結局は人を育てる『先生』でいらっしゃいますね(笑)。
先生になってきているのかなあって、最近は自分でも思います(笑)。
──チームが勝つことだけが成功だとしたら、インターハイかウインターカップで優勝したチーム以外は敗者であり、失敗ということになります。バスケの指導者がそこに重きを置いたら、これは苦しいですよね。
プロになりたくてバスケットをやってきて、その夢はかなわなかったかもしれない。でも、人生は負けても倒れてもくじけても立ち上がり、あきらめないことに尽きると思います。そして、立ち上がってまた前に進んでいく。そういう人間になってほしい。何度も言いますけど、私は田舎に生まれ育って苦労して、日体大で3軍です。でもずっとバスケットを続けていますから(笑)。
──ではバスケの指導者として、選手たちが卒業後にどうなったら成功したと言えるでしょうか?
バスケットボールに携わっていてもいなくても、社会に出て貢献してくれていればそれで満足です。出会いを大切にして、多くの友人を持つことが成功ではないでしょうか。ゲームに出ない選手も充実感を持って、ここに来て良かったと思えるチームであること。これは指導者としての義務だと思っています。私は「出会いを大切にしてほしい」と選手にも親にも言います。出会いがあったら一生ですよ。そのつもりで付き合っています。
もう一つは今のBリーグで、日本のバスケット界が昔では考えられなかったぐらい盛り上がっています。選手を育ててチームを作っていくことで、そこに少しでも役立てればと思います。やっぱりバスケが好きですから、もっともっと盛り上がってほしい。そういう意味では東京オリンピックも、なんとか実現してバスケが注目されるようになってほしいです。