新型コロナウイルスの影響で移籍の動きが少ないとの予想に反し、今オフは大型移籍が相次ぎ、リーグの勢力図が変わろうとしている。チャンピオンシップ進出を狙える位置までジャンプアップした滋賀レイクスターズも選手の出入りが激しく、Bリーグになってからの4シーズン、主力としてチームを支えた狩野祐介も、名古屋ダイヤモンドドルフィンズへの移籍が決まった。悩みに悩んだ末の決断を「不安はあります」と語るが、それ以上に自信もある。タレント揃いの名古屋Dで精神的支柱となること。今の狩野は、その役割をいかに果たすかだけを考えている。
「ものすごく悩んで、何週間も考えて」
──滋賀では今オフ、多くの選手が移籍しました。ただ、キャプテンの狩野選手まで移籍するのは予想外でした。
そうですね。僕が移籍を考えた一番のきっかけはこの新型コロナウイルスという世の中の状況です。今は息子がいるので家族のことをまず考え、そして自分のことを考えました。僕の移籍は予想外だったかもしれませんが、「狩野は残るだろう」というイメージで見られたくなかったのもあります。滋賀で4年間を過ごして築いてきたものがあり、それを捨てて新しいところに行くのは大変だと思いますが、そういう挑戦ができない選手と見られたくはなかったです。
葛藤はありました。ものすごく悩んで、何週間も考えて。自分で言うのも何ですけど、滋賀での4年間で信頼を勝ち取ってきました。それがゼロになるのはやっぱり不安です。それでも、これまで教わってきた指導者の皆さんは、みんな「悩んだ時はつらい選択をしろ」と言っていました。僕はこれまで運良くそういうコーチとの出会いに恵まれたので、今回の決断ができました。
──Bリーグができるタイミングで東京エクセレンスから滋賀に加入して、良いことも悪いこともあったと思います。移籍するこのタイミングで振り返ると、良い思い出と大変だった思い出、どちらが頭に浮かびますか?
本当だったらチャンピオンシップ進出を争った思い出話をしたいんですけど、それまでの3シーズンは残留争いで、そちらの印象が強いです。4年間を総合的に見ればつらかったことが多いですね。それでもポジティブに考えたら、3年連続で苦しい戦いになりましたが、それを戦い抜いてきたのは僕たちしかいないし、4シーズン目にはたくさん勝って、気持ち良く終わることができました。負けが続いた時期も長かったですが、最後に良いチームとして戦えたのが僕の滋賀での思い出です。
──26歳で加入して、30歳で出て行くことになります。チームリーダーとなり、キャプテンも経験しました。
チームのまとめ役は、苦しいというか大変でした。でも3年目には伊藤(大司)さん、そして4年目は狩俣(昌也)さんが入って来てくれて楽になりました。
──プレーの面で、ここが成長したと言える部分はどこですか?
ショーン・デニスヘッドコーチがシューターとして僕を育ててくれたので、自信を持ってシュートを打てるようになりました。シューターの心得としてどうあるべきか、「常にシュートを狙え」と言われて、ちょっとでも迷ったら指摘されました。そうやってプレーを育ててもらったのも事実なんですけど、あとはキャプテンとして、人としてどうあるべきかもすごく教えてもらいました。
例えば遠征で飛行機に乗った時、エコノミーでの移動だったんですが、ある日本人選手が非常口の横で足元が広いシートに座っていたんです。するとコーチが僕に、(ファイ)サンバが普通のエコノミー席で窮屈そうに座っていることを指摘したんです。「俺だったら席を譲る。サンバをあの狭いところには座らせないぞ」と。その時に自分が気づいて指摘できなかったことを恥じました。
デニスコーチは本当にいろんなことを細かく見ている人です。僕がキャプテンだからというのは関係なく、すべての選手を一人の人間と見なして多くのアドバイスをくれます。デニスコーチの下でやっていなければ、自分はここまで来れていないと思います。
「崩れそうになった時に支えて、崩れさせないのが役目」
──それでも、滋賀を離れて新たな環境でチャレンジする決断を下しました。新しいチーム、名古屋Dにはどんなイメージを持っていますか?
僕たちが入る以前からメンバーがすごいですし、シーズン序盤はすごく強いんですよ。ですが、キャプテンをやっている(張本)天傑とも話したんですけど、シーズン途中に一度崩れるとどんどん崩れていってしまう。その理由の一つはメンタルの柱がいないことだと。実際、僕も試合をしていてそういう脆さを感じたことがあります。滋賀は勝っていなくてもすぐ全員で集まっていて、他のチームよりたくさんコミュニケーションを取っていました。名古屋Dもないわけじゃないけど、少ないと感じます。その部分が良くなれば絶対強くなるという印象はあります。
──タレントは揃っているけど噛み合わない、それを一つのチームにするのが狩野選手の役割になりそうですね。
まず自分のプレーをするのはもちろんですが、崩れそうになった時に支えて、崩れさせないのが僕の役目です。タレント揃いであっても個々の能力で勝負するのではなく、個々の能力を生かすチームプレーができればと思います。
僕が個人的に求められているのはまずシュートですね。安藤(周人)はシューターですけどドライブも好きで、僕のような『ザ・シューター』ではないので。僕が入ることでスペースを広げる意味もあって、どんどんシュートを狙えと言われています。もう一つはキャプテンシーの部分。どんどん声を出して引っ張ってほしいと言われています。新しいチームにはなりますが、その部分で特に不安はありません。コミュニケーションの取り方は滋賀で学んできたつもりです。
もちろん名古屋Dでもスタートを狙う気持ちでやっていきます。結果的にそうなれば先発で頑張るし、コーチ陣の判断でシックスマンをやるのであれば、その判断を尊重して自分の仕事ができるように努力していくつもりです。
──滋賀での4年間でプロキャリアは充実したものになりました。ここから先、どういったシナリオを描いていますか?
僕はできる限りプロ選手として長くプレーしたいです。欲を言えば、移籍先がなくて引退とか、もう動けないから引退するんじゃなくて、まだまだ全然動けて移籍先もある状態で引退したいと思います。今回、新型コロナウイルスの影響で長いオフになりましたが、引退後に何がしたいかを考えて、バスケットにかかわる仕事をするために会社を作りたいと思いました。時間はあったので、そのためのミーティングをかなりやりました。引退後も自分に何ができるのかを考えて、今のうちから準備はしていきます。
「3回とも残留という形で皆さんと笑えたのは良い思い出」
──それでは最後に、ちゃんと挨拶できなかった滋賀のブースターの皆さんにメッセージをお願いします。
まずは滋賀レイクスターズを応援してくださっているブースター、ファンの皆様には、どんな時も最初から最後まで応援してくれたことに感謝したいです。本当であればチャンピオンシップに進出して良い結果を出して、皆さんと笑って終わりにしたかったんですけど、それはできませんでした。3年間、残留争いをしてしまったのは申し訳ないですが、3回とも残留という形で皆さんと笑えたのは本当に良い思い出として残っています。
今シーズンも途中は苦しい時期がありましたが、皆さんの応援のおかげで調子を上げて、勝ち越して終わることができました。本当に皆さんには心から感謝しています。滋賀からは離れますが、是非ともこれからも応援をしていただければと思います。
──名古屋Dの皆さんにも挨拶しておきましょう。他のチームのファンからはどう見られているんですかね?
僕はよく「怖い」って言われるんですよね。体育館から出るとマイペースな人間であまりしゃべらないからですかね。初対面の人にいっぱい話し掛けるキャラじゃないですし。滋賀でも最初は怖いイメージがあったらしいんです。この眉毛なので話し掛けづらいのかな? でも、滋賀でも「そんなことないですよ」と伝えて、そこからファンの皆さんとコミュニケーションを取れるようになったので、まずは「怖くないです」と知っておいてください(笑)。人見知りなので、話し掛けていただければしゃべります!(笑)
狩野選手の移籍には驚きましたが、その経緯や思いを聞きました。30歳になった今も成長し続け、キャプテンシーを持つ狩野選手は名古屋Dにも良い影響を与えるはず。新天地での狩野選手の活躍に期待大!#Bリーグ #滋賀レイクスターズ #ドルフィンズhttps://t.co/qSvi92o149 pic.twitter.com/hFc4FSThjU
— バスケット・カウント (@basket_count) July 3, 2020
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