佐藤公威

島根スサノオマジックにとっては激動のシーズンだった。今度こそはB1残留を勝ち取るべく臨んだ今シーズン、前半戦は苦戦を強いられながらもしぶとく勝ち星を重ねた。天皇杯明けの1月15日の試合を終えた時点で10勝19敗と、勝率を2年前の倍近くに伸ばしており、強豪とまでは言わないまでもB1を戦う激しさとしたたかさを兼ね備えたチームになっていた。ところがこのタイミングで、鈴木裕紀ヘッドコーチにパワハラがあったとして職務停止処分を受けるとチームは崩れ、その後は1勝11敗。B1残留を何とかもぎ取るべく、正念場となる終盤戦を迎えたところで、新型コロナウイルスの影響によりシーズンは終了となった。結果的にB1残留は決まったが、チームの誰もが消化不良の思いを抱えている。粘り強く戦うチームの象徴、佐藤公威にこの1年を振り返ってもらった。

「最後までやりたかったという思いはあります」

──今は日本中が大変な状況になっていますが、佐藤選手はどのように日々を過ごしていますか?

島根は感染者が出ていなかったので、他のチームに比べれば練習ができていました。ただ、島根にも感染者が出てそれがクラスター感染と分かってからは、僕たち選手や家族を守るためにもチームから買い物など以外は外出禁止の要請が出て、何もできなくなってしまいました。

──東日本大震災が起きた2011年にもシーズンが中止になりました。今回のシーズン終了をどう受け止めましたか?

これが初めてじゃないという感覚はあります。当時は大分ヒートデビルズに所属していて、震災でシーズンが終わり、チームの経営危機もありました。ただ今回もまだどうなるか分からず楽観視できないところが大きいです。もちろん、最後までやりたかったという思いはあります。良いパフォーマンスが出せないまま、これが結果になってしまうのは選手として死活問題でもあります。

──佐藤選手個人としては、ケガから復帰して調子を上げてきたところでシーズンが終わってしまった感じです。

局面ごとで良い結果を出そうと試みて、良かった時もあればダメだった時もありました。数字としては悪くないと思うんですけど、良い印象付けができなかったシーズンという感じです。

ケガは11月の秋田ノーザンハピネッツ戦で、初戦で40点差で負けたんですけど、第2戦では勝ったんです。その試合でレイアップに行った時にパキンって。最後までプレーは続けたのですが、痛いと思っていたら右のくるぶしの内側を剥離骨折していました。年末の滋賀レイクスターズ戦で復帰して、少しずつ調子を上げていたところでした。

もちろん難しかったですけど、やるしかないと思っていました。ただ、そこでチームを客観的に見ることができたし、ケガの功名じゃないですけど、ケガして離脱したマイナスをどう取り戻すかに集中できたからパフォーマンスが上がったんだと思います。良い感覚はつかめてきていたので、ここからプレータイムを伸ばせていけたらと思っていました。

佐藤公威

「どんな状況でも自分の芯に対してあきらめなかった」

──チームとしては11勝30敗の成績でした。ただ、健闘ぶりが目立った一方でヘッドコーチの職務停止処分があったりと、数字以上に難しいシーズンだったと思います。

B1昇格は自分たちでつかんだものだから堂々とやろうと、残留を目標にシーズンに臨みました。優勝する実力がないのは分かっていて、まずは残留を勝ち取るという考えでした。チームとしては頑張ったと思います。シーズン序盤には川崎ブレイブサンダースに勝ったりして、B1でも戦える感覚は実際にありました。ただ、あのようなことがあったので、ヘッドコーチの下でみんなが一つになって戦い続けることができませんでした。

難しいんですけど、3点差で負けた試合を紐解いていくと、あそこでスティールされた2点が結局は自分たちのミスだったとか、そのワンポゼッションを守れていれば勝てた、決めていれば勝てた、というのが僕らは多かったです。ユキさん(鈴木ヘッドコーチ)も「ワンポゼッションが大事」と常々言っていて、僕たちもそれに向かってやっていたのですが、B1のレベルだとその一つのポゼッションでミスをすると勝敗が決まってしまう。その難しさを痛感したし、その一つひとつは緊張感のある中で身に着けていくしかないと思いました。

──結果的には、新型コロナウイルスの感染拡大という思わぬ要素によりシーズンが中断し、B1残留が決まりました。

実際にどう受け止めればいいのか難しいです。入れ替え戦を回避して残留するのが一番ですが、あのままでは入れ替え戦を想定せざるを得ない状況で、そこでシーズンが終わりました。結果として残留になりましたが、うれしいとか楽しいとか言うことはできません。「不完全燃焼」の一言に尽きますね。

──課題が多い1年だったと思いますが、収穫と課題とそれぞれ挙げてもらえますか?

あきらめないこと、ですね。どんな状況でも自分の芯に対してあきらめなかった。難しいことはたくさんありましたが、これだけは譲れないところ、ここだけはしっかりやろうというところは逃げずにできました。

イメージとして、決めるべきところで決める、強く行くべきところで強く入ってフローターを決めるだとか、その日その日の課題がクリアできた時期はあったんです。特にここ最近、調子が上がっていた試合ではできていたんです。逆に言えばそこに波があったのが課題で、「この場面では公威でしょ」というプレーがコンスタントにできませんでした。

だから、僕はやっぱり自分でレイアップに行くより、もらってすぐに打つジャンプシュートで、その決定率が低くなってしまったらダメなんです。自分のシュートをしっかり打つ、そのために打つべきタイミングでボールをもらうスキルを年々上げていかないといけません。シュート力に関して自信はあります。でもシュートは足元だと思っていて、そこは鍛えないといけない。ボールをもらうまでの動きが良くなればファウルをもらうことも増えるだろうし。

佐藤公威

「皆さんがいなければプロ選手としての存在意義もない」

──こうやって話していると、もう来シーズンに向けての「やってやるぞ」という気持ちが伝わってきます(笑)。

そりゃそうですよ。もうすぐ36歳なので、みんな年齢だけ見て「そろそろ引退じゃないの」って思うみたいですが、僕は全然違うと思っています。年齢を重ねるにつれて身体能力が衰えて、いわゆるベテランの役割に回るようになるって、誰が決めたんですかね?(笑)

23歳で引退する選手を僕はたくさん見てきました。でも折茂(武彦)さんは50歳までプレーしました。みんな年齢だけ見て「すごい!」と言いますが、「なぜそこまでできるのか」にフォーカスすれば年齢は関係ないって分かるはずです。

自分の引退については、ちょっとでも「もうしんどい」とか「負けてもいいや」と思ったらすぐ決断します。でも僕には反骨精神があって、「公威はもう無理じゃないの」と言う人がいれば「俺の何を知ってるの?」と思うんです。そういう声があるのもうれしいんですよ。見返したい気持ちが力になるので。若い選手にもまだ負けたくないし、それをプレーで証明したいと思っています。

──とはいえ、家族の待つ家に戻ってホッとしているのでは?

でも、僕には家族家族という気持ちはあまりないんです。こういう状況で家族を守らないといけないし、カッコ良いところも見せないといけない。それはバスケのモチベーションにもなっていて、負けてる姿は見せたくないので。それが僕を動かしているんだと思います。

──今シーズンは特に、ファンの人たちに挨拶する機会もなかったと思いますので、最後にメッセージをお願いします。

新型コロナウイルスの影響で日本中がこうなってしまい、シーズンも途中で終わってしまいました。ブースターさんに感謝を伝える場がなかったし、スポンサー各社様に挨拶することもできませんでした。そういう人たちがいなければ僕たちは生活できないし、プロ選手としての存在意義もないと思います。「ありがとうございました」と直接お伝えできないのはつらいです。無観客で試合をやって感じたのは、たくさんの人の前じゃないと試合はカッコ良くならないということです。皆さんが試合を楽しみに会場に来て、お菓子を食べてビールを飲んで、そこで僕たちが胸躍るようなプレーを見せる。そういう環境をみんなでまた作り出したいです。

来シーズンを無事に迎えられたら、もう一段ギアを上げていきます。今シーズンは5速まで来たところで終わってしまいましたが、僕は7速まであるんで(笑)。疑う人もいると思いますけど、そこは僕が自分の置かれているところ、自分がどう思われているのかを見つめ直して、そこからまた認めてもらえるようにやっていくつもりです。