かつての指揮官デル・ハリスが明かした驚愕のプラン
現役時代に着けた8番と24番のジャージーがともにレイカーズの永久欠番となったコービー・ブライアント。1996年のドラフト全体13位でホーネッツから指名されたものの、ドラフト当日のトレードにより本人の念願が叶ってレイカーズに入団し、それから20年間『パープル&ゴールド』一筋のキャリアを送った。
レイカーズは、1996年のオフにシャキール・オニールを獲得し、シャック&コービー体制で1999年から3連覇を達成。NBA史に残る王朝時代を築き上げた。実は、コービーがドラフトで指名された翌年のドラフトで幻に終わったプランがあったことを、当時のヘッドコーチ、デル・ハリスが『New York Times』に明かしている。
ハリスが明かした驚愕のプランとは、1997年のドラフトで、レイカーズが後にバスケットボール殿堂入りを果たすことになるトレイシー・マグレイディの指名を検討していたというもの。結果的に当時のオーナーだったジェリー・バスがこのプランを認めなかったというが、もしマグレイディがレイカーズでNBAキャリアを送っていたら、もしコービー&シャックと共闘していたら、彼のキャリアは全く別のものになっていたはずだ。
この話が公になった後、『ESPN』の番組に出演したマグレイディは、幻に終わったプランについてこう語った。
「もし自分が彼ら2人と一緒にプレーしていたら、選手としての成熟度、プロとしての姿勢を2人から学べていただろうね。彼らは偉大な選手だ。1人はNBA史上最も支配的な選手で、もう1人は史上最高の選手であるコービーだ。彼らと一緒にプレーできたら、私個人にもどういう影響があったかなんて、考えられないくらいすごい話だよ」
またマグレイディは、ラプターズとマジックでのキャリアを振り返り、マイケル・ジョーダンの『女房役』としてブルズ黄金期を支えたスコッティ・ピッペンの名前を挙げ、こうも語った。
「基本的に私はスコッティ・ピッペンに近いタイプだった。チームメートとボールを共有して、対戦チームのベストプレーヤーを抑える役割だ。マジックでは、チーム事情もあってスコアラーにならないといけなかった」
ハリスが明かしたプランが実現していたら、マグレイディは『第3の選手』としてシャックとコービーを支える役割に徹したのだろう。つまり、マジック時代のようにスコアラーとしてNBAトップクラスに成長し、2002-03シーズンから2シーズン続けて得点王に輝くこともなかったかもしれない。
それでも、一度も優勝することがなかったキャリアは別のものになっていたはずだ。もしレイカーズでプレーしていたら、シャック&コービーと3連覇を達成していたかもしれない。誰よりマグレイディ本人が驚いたプランだっただろうが、時間が経ってから明かせる話もある、ということだ。
たらればを言っても仕方がない。それでもこの『ビッグ3』を見てみたかったと思うファンは多いはずだ。