文=鈴木健一郎 写真=古後登志夫、島根スサノオマジック、B.LEAGUE

Bリーグ初年度、B2西地区は稀に見る激戦となった。全体勝率のトップ3に入る島根スサノオマジック、広島ドラゴンフライズ、熊本ヴォルターズの3チームが同地区でしのぎを削り、60試合の長丁場で一つも落とせない緊張感の中でシーズンが進んだ。島根は序盤戦にいくつか取りこぼしたものの、交流戦の時期をメインに21連勝を記録するなど調子を上げ、プレーオフでは広島を相手に第3戦までもつれる死闘を制し、昇格を決めた。

優勝決定戦で西宮ストークスに敗れてB2優勝こそ逃したものの、1年間の死闘を戦い抜いての昇格はチームにとって大きな勝利だった。それでも末松勇人GMは今オフに『非情』とも取れる決断を下す。選手をガラリと入れ替え、全く新しいチームでB1を戦う決断を下したのだ。

島根ではフロント業務兼任のマネージャーからスタート

──まずは末松GMの経歴について聞かせてください。

元々は選手でした。大学を卒業した年の10月にbjリーグが開幕するということで、専修大4年の時にトライアウトを受けて、オリジナル6で地元チームの大分ヒートデビルズに入りました。大学までバスケをやっていて、卒業後は地元に帰って教員をやるつもりでしたが、そういうきっかけでこの世界に入りました。

ドラフトにかかるようなレベルではなかったし、報酬も高くなかったので、プロ選手をやりながらリーグの仕事もやっていたんです。現役を退いた後も「まだやりたい」という思いがあったので、最初は試合会場に行くのがつらかったですね。それでも現役を早く退いて、いろんな経験をさせてもらったおかげで、今もこの仕事ができているんだと思います。

──島根に来たのはスサノオマジックができたタイミングでですか?

島根の2シーズン目ですね。大分の厳しい状況も分かっていたし、小さい世界でしか動いていなかったので、他のチームで新たにいろんなことを吸収したいと思いました。島根で最初にやったのはチームマネージャーです。フロント業務兼任のマネージャーだったので、今のGM業に近い部分はありました。

翌年から2シーズンはアシスタントGMを経験して、一度チームが大きく崩れたので、自分の判断で身を引いたのですが、代表が代わったタイミングで「GMをやってくれ」という話をいただいて引き受けました。

「厳しい現状は、結果を出していくことで変えるしかない」

──GMとしてチームを作るのはこれで3年目、B1に昇格したチームを大きく変えました。これは大きな賭けだったと思うのですが、踏み切った理由は何ですか?

これまでは「B1に昇格するためのチーム作り」が根本にありました。この1年でB1でも戦えるチームになっていれば、そのまま行ったんだと思いますが……。B1の試合を見るたびに、目指しているバスケットの質が全然違うのだと感じさせられました。それが一番の理由です。

──昇格争いに勝てるチームではあっても、B1で勝てるチームではなかった?

シーズンを通して51勝、勝率は85%あったんですが、上位がもつれて「1敗もできない」という危機感があったからこその成果でした。流れの中では本来負けているような試合も、その危機感の中で拾ってきたというのが正直あります。

大きかったのは優勝決定戦の西宮ストークスとの試合ですね。スカウティングをきっちりやられて、やりたいことを何一つさせてもらえなかった。でも、B1で戦うとなればすべての試合がそうなるわけで、それに対応できる選手を集めるのが私の仕事です。

もちろん、昨シーズンの昇格争いの中でチームには勝ってもらいたいし、選手たちを信じていました。新シーズンが厳しい戦いになることを承知の上で「このチームでB1でもやっていきたい」という思いがなかったわけではありません。それでも契約の難しさもあって、結果的に残ったのは2人です(山本エドワードと岡本飛竜)。やっぱり、勝ったチームが選手と翌年の契約を結ぶのは簡単ではないんです。他のクラブが島根の選手に注目した時に、いくらでも引っ張っていけるというのが実際問題としてありました。

──変えるという決断をしただけでなく、「選手を持っていかれた」という面もあるんですね。

そうですね。変えるという決断をしたことは事実で、選手の入れ替えがないと「ここで変わらなければ」というメッセージが伝わらないのも間違いありません。本来はもう少し選手が残ってくれれば良かったのですが、これは契約事なので。また選手獲得についても厳しい面がありました。B2から上がって来たばかりの島根の現状では何をするにも厳しいのですが、これは結果を出していくことで変えていくしかないと思っています。

「相当に強い覚悟がなければ、B1では戦えない」

──厳しい状況でチームを編成する中で、選手を選ぶ基準やポリシーはありますか?

コーチのやりたいバスケット、システムに近付けることです。その中でもディフェンスマインドが高い選手、というのは一つあります。でも、これも難しいところで、昨シーズンのウチはディフェンスは評価されたのですが、攻撃力が物足りないという課題がありました。それをカバーするために、外国籍選手の編成をうまくやりながら、日本人選手は基本的にアウトサイドの確率を持っている選手を集める。この2シーズンは基本的にそういう枠組みでやってきたのですが、それはB2でしか通用しないと思っています。

B1は我々にとって未知の世界です。そもそもB2で勝てるレベル感が想定できたと言えるのも、実際に結果を出せたから言えることです。昨シーズン、B1で1年を経験したチームがどれぐらい強いのか、実際のところは経験してみないと分かりません。単純に選手の年俸も大きく違うわけです。そういったチームに立ち向かい、互角に戦って結果を出さなければいけない。そのためには相当に強い覚悟がないとやれません。

──とはいえ、これまで積み上げてきたものを壊すリスクは少なくないですよね。

それはそうなんですけど、これまで島根が培ってきたカルチャーにはまだ甘さがあったと思うんです。何が問題かと言うと、選手のメンタルが強くなっていかないことです。B1に行けば技術だけではどうにもならない部分が出てきます。大事なゲームで力を発揮できない、勝負どころで弱いチームのままでは戦えません。そこはリスクを取って変えました。

リスクを取るからには、ただ選手を集めただけではありません。これまでの甘さを払拭するような、メンタルの強い集団になるための選手を選ぶ、そこだけ抜き出して言えばすごく前進したと自負しています。そういった選手が集まったことで、チームの意識はすごく高くなりました。

島根スサノオマジックの末松勇人GMに聞く2017年夏のチーム作り(後編)
「年齢を問わず『この1年に懸ける』選手を」