篠山竜青

代表までの道のりが長かったからこその『覚悟』

バスケワールドカップ出場を21年ぶりに自力でつかんだ日本代表。その日本代表でキャプテンを務める篠山竜青が代表に対する思いと、これまでのキャリアについて語った。

日本代表のキャプテンである篠山には、精神力の強さ、リーダーシップ、アグレッシブなプレーのイメージが強い。しかし、篠山はバスケを始めた当初を「怒られるのが嫌いな子で、怒られないためにやっていた」と振り返り、積極的にバスケに取り組んでいたわけではないと明かす。それでも、当時の先生が挑戦してミスをすることは怒らないが、リスクを恐れて挑戦しないことには怒り、『怒られないために』挑戦した結果が今のプレースタイルに繋がったと語る。

篠山は以前のインタビューで「僕は20代後半になって代表に選出される、他の選手とは違う歴史をたどっています」と話していたように、強豪の東芝でプレーしながらも代表キャリアは必ずしも順風満帆ではなかった。リオ五輪の世界最終予選では、最後の最後でメンバー落ち。年齢の近い選手が代表に招集されるのをただ見ていた時期もあった。

NBL1年目のファイナルの試合前に当時の代表のヘッドコーチを務めていた長谷川健志に「来シーズンもこの調子で頑張ってくれればA代表に呼びたいから頑張って」と声を掛けられ、いよいよA代表の仲間入りかと思っていた矢先、足を骨折してチャンスを逸した。篠山自身もその時が一番の挫折だったと振り返る。しかし、そういった経験があるからこそ、篠山には危機感と覚悟があり「常に最後の試合になるかもしれない」という気持ちで試合に挑んでいる。

これまで日本代表におけるポイントガードの1番手を務めた富樫勇樹がケガのためチームを離れた今、篠山にかかる期待はこれまでにないほど大きくなっている。それでも篠山は「自分は『これだ』という武器がないタイプの選手」だと自負し、一日一日が勝負だと思って練習から取り組んでいると言うように慢心の入り込む隙がなく、30歳を過ぎても試合を重ねるごとに収穫と課題を自分の成長へと繋げている。

キャプテンとして、そして日本の攻守を引っ張る司令塔として、篠山が世界の強豪に挑む。