Bリーグ開幕から3年続けてタイトルを逃した川崎ブレイブサンダースが、常勝軍団の復権を目指してチーム刷新に乗り出した。その第一歩として新たな指揮官に任命されたのが佐藤賢次だ。現役時代から川崎一筋、北卓也ヘッドコーチの下で8年間に渡りアシスタントを務めていた佐藤は緻密な分析力に定評があり、満を持してのヘッドコーチ昇格となる。伝統と変革を担う若き指揮官の意気込みを紹介する。
「とにかく毎日ずっと川崎のために一生懸命やってきた」
──ヘッドコーチとしての抱負を聞く前に、まずはこれまでのキャリアを教えてください。
バスケットボールを始めたのは小学校1年生でした。ミニバスをやっていた兄と姉についていくうちに入部して、最初は練習がキツくてつまらなかったのですが、試合だと楽しかったんです。上手くなるにつれてどんどん楽しくなり、あれよあれよと夢中になっていった感じですね。中学2年のジュニアオールスターでは奈良代表として優勝しました。あの時は、点を取るだけでなくボールも運ぶし、パスもさばいて何でもやっていました。中学の時が一番輝いていましたね。ピッカピカでした(笑)。
洛南高校では2年生から試合に出ていました。ただ、田臥(勇太)が能代工で高校9冠を達成した中でのインターハイ2つは僕たちが決勝で敗れたもので、タイトルをアシストしたようなものでしょうか。青山学院では3年生の時にインカレで優勝しました。この時は同学年に佐藤稔浩(元日立サンロッカーズ)がいて、1つ上に青野(文彦)さんや竹田(謙)さんがいたチームで3冠(春のトーナメント、関東大学リーグ、インカレ)を達成しました。
──これだけの実績があれば、大学を卒業して東芝に入るのも早々と決まったのでは?
そんなことは全然なかったです。下級生の時は試合に出ていませんでした。なにより稔浩がエースとして目立っていたので、トップリーグに関しては「俺はどこにも行けないな」と思って、リクルートスーツを着て就職活動をしました。最後の最後で東芝に声をかけてもらえたんです。
「東芝から川崎へと繋がるこのクラブに恩返しを」
──北さんがヘッドコーチに就任するタイミングで、佐藤さんは現役を引退してアシスタントになりました。以前に北さんから「賢次が現役を続けたかったのは知っていたが、頼み込んで引退してもらった」と教えてもらったことがあります。もともと指導者を目指していたのですか?
正直に言うと、あと2、3年は現役でやりたかったんです(笑)。ただ、選手をやっている時から将来はコーチをやりたいと思っていました。それに、こういうのはタイミングが重要で、今を逃したら誘われることはこの先ないと考え、長くは悩まずにコーチ転身を決めました。
東芝の時は選手は午前中に仕事をするのですが、コーチになるとバスケットだけの仕事になります。ただ、コーチ業を終えれば社業に戻ることができたので、アシスタントになる時も社業と切り離すような決断ではなかったんです。Bリーグ開幕後も東芝のグループ会社がクラブを運営していましたが、DeNAグループへと体制が変わる際に、東芝に戻って社業に従事するという道が完全に消えると思うと、その時はこれまでで一番悩みました。
ただ、去年の時点でコーチを7年間やっていて、バスケットボールに関わる仕事を一生やっていくんだろうという思いもどこかにありました。自分がここまで来られたのは東芝から川崎へと繋がるこのクラブのおかげだし、自分にやれる仕事で何かしら恩返しをしなければいけない。その気持ちが大きかったです。
──ヘッドコーチのオファーを受けた時はどういう心境でしたか? それこそ東芝の時代から北さんは佐藤さんを後継者に指名していたので、そこまで驚きはなかったですか?
北さんから聞いた時は「マジか」という感じで、予期していなかったので不安しかなかったですよ。これだけ人気と実力があって、代表選手も抱えているチームを自分が率いて優勝させられるか。ただ、最終的には自分の中でやれると決心がついたので「やらせてください」と言いました。
確かに東芝時代から「次はヘッドコーチだ」という言葉をいただいていました。ただ、北さんがそう思っていても、自分が次のヘッドコーチだという契約を結んでいるわけではないので、僕自身は「どうなるか分からない」という気持ちでした。シーホース三河の鈴木(貴美一)さんみたいにずっと北さんの体制が続く可能性もあると思っていて、そうなるとNBAにいるようなアシスタントコーチのプロになることもあるかと。
──今のBリーグでは佐藤さんと同じ世代のヘッドコーチが次々と出ています。「自分もそろそろ」という感情はありませんでしたか?
年齢的に考えてどうこう、と考えたことはなかったです。目の前のことに精一杯になるタイプで、とにかく毎日ずっと川崎のために一生懸命やってきました。だから、ヘッドコーチになりたい欲もあまりなかったです。もちろん「できたらいいな」とは思いましたが「早くやりたい」という気持ちは全くなかったです。
「プレッシャーはありますが、優勝する力はある」
──東芝時代からの名門ですが、Bリーグになって3シーズンは無冠が続いています。このタイミングでヘッドコーチを引き受けることをどう受け止めていますか?
勝たないといけないチームなので、プレッシャーはあります。ただ、優勝する力はあるわけですから、プレッシャーはありますけど、やりづらいということはないです。元沢(伸夫)社長からは最初に「伝統を引き継いで、なおかつ今の状況を変革してください。チームを新しくしてください」と言われました。伝統と変革を同時にやるのは難しいですが、「それをやるのは僕しかいない」と思っています。それにいろいろな変化を認めてもらえる意味ではやりやすいです。そこに加えて僕が何か間違っていたら北さんがGMとしてアドバイズをくれるので心強いです。
──「僕しかいない」という言葉には、北さんの次に自分以外の誰かが川崎のヘッドコーチになるのは嫌、みたいな感情がどこかにはあったのでしょうか?
想像もしなかったけど、言われてみると確かにちょっと嫌ですね。OBの人が来てやってくれるのなら別ですけど、縁もゆかりもない人が来て、いきなりヘッドコーチになるのは寂しい感じはします。一人のコーチとして、そういう新しい人の下で勉強をしたい、という思いもありますけど、やはりそうなった場合に寂しさはあったと思います。
──実際にヘッドコーチになって、すでにアシスタントとの違いを感じましたか。
最終的に決定しないといけないことが本当に多くて「これがヘッドコーチか」みたいなところはありますね(笑)。今まで北さんは大変だったと、あらためて思っています。
──アシスタントはヘッドコーチと選手の間に入る潤滑油の役割も大事だと思います。それがヘッドコーチになると、選手との関係性は一線を引かないといけないと考えますか。
逆にこれまでより選手とご飯を食べに行くようになりました。アシスタントコーチの時はあまり行けてなかったです。篠山から誘われたりもしましたけど、シーズン中は水曜ゲームも多くて、選手のコンディションも考えると、そういう機会を作れていませんでした。
このオフに入って、たまたまタイミングが合ったからではなく、僕から意図的に選手とご飯に行くようにして、いろんな話をしました。シーズンに入っても一線を引くのではなく、チームみんなでディナーに行ったり、そういう機会を増やそうと思います。特に新しい選手、スタッフが多いので、コミュニケーションを深められる場は作っていく考えです。
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