
父の卓也は元プロ選手弟は中学卒業後にヨーロッパに渡り、今シーズン途中より川崎ブレイブサンダースに電撃加入した大河。バスケット一家で育った岡田来夢は、アメリカのウェストミンスター大を卒業し、今年の11月に山梨クィーンビーズの一員となった。大学卒業を控え、バスケットボール人生に一区切りをつけようと思っていた矢先、あることをきっかけにバスケットを楽しむ気持ちを取り戻し、再びバスケットボールの道へ。そんな彼女のこれまでの競技人生について聞いた。
幼少から憧れていたアメリカに単身渡米
──バスケットを始めたきっかけを教えてください。
幼稚園からずっとバレエを習っていたのですが、父の指導によくついて行っていました。最初は外で遊んでいるだけだったのですが、同年代のスクールに参加している女の子に誘われて始めたのがきっかけですね。
誘われて入ったので、もちろん自分が一番上手ではありませんでした。でも、ドリブルができるようになったり、何か新しいことができるようになるとコーチがすごく褒めてくれて、それが楽しかったですし、だんだんとできるようになる感覚が楽しかったのを今でも覚えています。それまでは水泳やテニスもやっていたのですが、バスケットに夢中になっていきました。
──なぜ、日本の大学ではなくアメリカの大学に進学を決めたのでしょうか?
母がアメリカの大学に進んでいたこと、そして父の仕事の関係でアメリカに毎年のように行っていたことが一番影響が大きく、幼少期から「将来はアメリカに行きたい」という気持ちが強かったです。大学進学を考えた時に父の知り合いにアリゾナウエスタンカレッジを紹介していただき、渡米を決意しました。
──アメリカでの生活はいかがでしたか?
アメリカの大学は文武両道が基本で、学業で一定の成績を収めないとバスケの活動もできません。高校時代は「スポーツができたら学業は二の次でも大丈夫」という風習だったので、学業の大切さも学びました(笑)。教授やクラスメートもスポーツを両立している学生をすごく応援をしてくれていたので、チームの一員であることの責任感も大きかったです。
──ホームシックにはならなかったのですか?
一度もならなかったですね! 本当にまわりの方々に恵まれていました。アメリカではアジア人差別を受けるという話をよく聞きますが、アリゾナウエスタンカレッジは海外から留学してくる学生が大半で、英語が第二言語という人がたくさんいました。英語で会話をすることの大変さをお互いが理解しているので間違えても気にしない風習があったので、英語がまだまだだった留学当初でもストレスなく過ごすことができました。
──競技生活は充実していましたか?
アリゾナウエスタンカレッジはNJCAA(全米短大体育協会)の上位校で、ポイントガードとしてどうプレーメークするのかというノウハウを多く学びました。チームの成績も良かったので勝たせるバスケというのが身につきましたね。ただ、ウェストミンスター大に編入してからは、アリゾナでできていたはずのバスケが作れなかったりして、自分に対してちょっと疑問を持ってしまうことが多くなってしまいました。
──その疑問は、コーチ陣とのコミュニケーションでは解決できなかったのでしょうか?
メンタルが弱くて、コーチと上手くコミュニケーションが取れなかったことは結局の原因だったと思います。ウェストミンスター大はアリゾナよりもシステマティックだったので一つひとつのオフェンスを深掘りしていったのですが、考えすぎてしまうことも多く、コーチと少し噛み合っていなかったです。そして上級生として編入をしたので「自分のチームだからこそ」という責任感を負いすぎたのも原因の一つだったのかもしれません。チームの成績も上がらず、プレータイムも伸びなかったので、「今までできたことがなんでできないんだろう」という気持ちが大学の最後の試合まで続いて、不完全燃焼で終わってしまった感じはありました。

バスケットの楽しさを取り戻したポルトガルでのプレー
──その悔しさもあって、Wリーグで自分らしいプレーを取り戻そうと思ったのですね。
実はそうではなく、バスケは大学で一区切りをつけようと思っていました。でも、大学での引退が近づくにつれて「もうちょっとできたんじゃないか?」という気持ちが自分の心の中に引っかかっていました。卒業するちょっと前に、SNSを通じてポルトガルで現地のプロチームと試合ができるツアーの存在を知って、観光もできるという話だったので軽い気持ちで参加してみたら、そのチームは全米から集まった大学4年生の寄せ集めチームで、練習も2回くらいしかできなかったのですが、そこでやったバスケが本当に楽しくて「バスケって、やっぱり楽しいな」という気持ちを取り戻すことができたんです。
──寄せ集めのチームだったからこそ、自分の考えを伝えたり、やりたいことができて楽しかったのですね。
そうですね! 私のストロングポイントはポイントガードとしてチームオフェンスを構築すること、ピック&ロールや2対2のシチュエーションで、どのように効果的に攻めるか。センターポジションの人が取りやすいパスはどういったものなのかというのを実践していくことなので、寄せ集めのチームでピックアップゲームのようなバスケットをしたことで、バスケットを始めた頃の楽しさを思い出すことができ、原点に立ち帰ることができました。
そして「バスケをしていたからこそアメリカに来ることができて、いろんな方に出会うこともできた」ということを再認識する機会になって、「もう少しバスケを続けたい」という気持ちが芽生えました。卒業後に、父がアメリカでお世話になっているファミリーの方と話をした時に「ほんの少しでも『バスケがしたい』『楽しい』という気持ちがあるんだったら、その気持ちがあるうちは続けた方がいい」とおっしゃっていただいて、それが一押しになったんです。