
2009-10シーズンに日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)でプロキャリアをスタートさせ、2014-15シーズンに千葉ジェッツへ移籍。飄々としたプレースタイルと高いバスケットIQを生かしたプレーで千葉Jの黄金期を支え続けた西村文男が引退を決断した。元同僚、そして盟友として彼をよく知るインタビュアーが思いを聞いた。
もがくのではなく去り際は美しく
──引退を決めた理由や、きっかけについてお聞かせください。
自分の中でコート上で表現ができることが少なくなってきたなと、と感じたからです。僕はずっと「コート上で貢献できなくなってしまう前には選手を終わりたい」と思いながらプレーしてきましたが、その時期が近づいてきたのかなと。来年で40歳になりますし、バスケ以外にやりたいことも芽生えましたし、良いタイミングだと感じました。大きくコレというものがあるわけではないのですが、一つひとつが重なり合って「今かな」と思いましたね。
──コートに立つ時間は少なくともメンターとしてチームに貢献する選手もいますが、そういうあり方は望まなかったのですね。
うれしいことに、みんな同じことを言ってくれます。そういった形で現役を続けている選手を否定するわけではないのですが、僕はコート上で貢献ができなければ選手として存在する意味がない、試合に出られないのであればロスターに入っている意味がないと思っています。後輩の育成という観点で考えるなら選手という立場でなくても良いわけで、その貴重な一枠を「俺が選手でいたいから」という勝手な理由で埋めるわけにもいかないと思っています。
去年もそうだったように、今年もプレーで貢献できるタイミングはいっぱいあると思うし、それに応える自信もあります。ただBプレミア以降を想像したときに、外国籍選手が多くコートにいる状況で自分が貢献できているイメージが湧きませんでした。そういうことも重なって「文男、もうダメじゃん」って思われる前にやめたい、かっこいい姿を見せたまま終わりたいという気持ちもあります(笑)。
──JBLやNBLを経て、Bリーグで戦ってきた選手がBプレミアでもプレーするというのは多くの人が経験できるものではないと思いますが、そこにチャレンジするという気持ちにはならなかった。
メンタルがもたないです(笑)。毎回、練習や試合に臨むメンタルに持っていくことも大変ですし、気を抜いてしまうと「今日はもう負けてもいいや」というような気持ちが出てきそうで怖くて。もちろん今はないですけど、気を抜くとそうなってしまいそうな自分がちょっと出てきているから、そうなる前に終わりたいなというのもあります。ちゃんとチャレンジャーというか、勝負師のままで終わりたいなと。
プレータイムの多少よりも貢献できるか否か
──コート内で貢献できるという自信はあったものの、昨シーズンはプレータイムが大幅に減りました。ご自身の中で消化できましたか?
割り切ってはいます。例年以上に「俺を出してくれ」と思うタイミングは多々あったし、コーチに「俺は今までこれだけ結果を出してきたぞ」と話をしに行ったこともありますけど、今年もあまり変わらないと思います。だからといってチャンスがゼロなわけでもありません。僕はもともとプレータイムにそんなにこだわりがあるタイプではなく、出場時間が3分だったとしても自分がコートでしっかり貢献してチームが勝てれば満足なので。もちろんゼロだとイラッとしますけど(笑)。今はもう(富樫)勇樹の他に(瀬川)琉久もいてくれて、原(修太)がポイントガードをするというパターンもできたので、「客観的に考えて今は自分じゃないな」というタイミングも増えましたし。
──とはいえ、チャンピオンシップで「ここは西村選手が出て良いのに」というタイミングがいくつかあったように感じました。
引退の理由にも繋がるのですが、試合にまったく出られないこともあれば、急にバック・トゥ・バック(連戦)の日曜日の第4クォーター開始から起用されるなど、今までの自分の経験では考えられないようなタイミングで試合に出ることが増えました。もちろんそういった起用法でも仕事をこなしてきたつもりですが、自分の今のパフォーマンスやコンディションの作り方では、ずっと出ていないタイミングで急に出て結果を残すというのはちょっと難しいなと思ったりもしました。勇樹がケガをしてスタートで出るようになった4戦目で軽く肉離れを起こしてしまいましたし、そういった意味でも限界かと。
CS(チャンピオンシップ)は琉久がスタートで、勇樹がセカンドという流れができていたのでしょうがないと思いましたが、正直「ここで出してくれたらうまくやれるのにな」と思う時間はありました。でもチームとしての戦い方は間違ってないと思うので、割り切れてはいましたね。